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琉球の手ツクミ、剣術、柔術

前回の記事で、ティージクン(拳)の語源は「手ツクミ」ではないかと述べたが、このテーマをもう少し掘り下げてみよう。

真境名安興(1875-1933)は戦前の沖縄学の大家である。地元新聞記者を務めたあと、県立沖縄図書館館長に就任した。

その真境名の遺稿に「本部朝基著『唐手の真髄』序文」というものがある。これは本部朝基が出版を計画していた著書『唐手の真髄』のために書かれたものである。この遺稿は最初「大正十四年臘月初五(1925年12月5日)」の日付のあるペン書きの草稿が書かれたあと、昭和6年(1931年)に改めて原稿用紙に清書された。書き出しは以下の通りである。

近年世上に好評を博して居る沖縄の武技即ち唐手の達人なる本部朝基君が今般唐手の真髄といふ書をものされて、廣く世人を益したいといふ希望があるのは、誠に結構な次第である。

真境名安興「本部朝基著『唐手の真髄』序文」

真境名はどうやら本部朝基の依頼を受けて、この序文を書いたらしい。しかし、『唐手の真髄』は結局出版されなかったので、この序文も日の目を見ずに終わった。現在この遺稿は沖縄県立図書館に所蔵されている。

この序文では、主に唐手(空手)の歴史の考察が書かれているが、その中にティージクンの語源について書かれた箇所がある。

併し拳(こぶし)のことを沖縄の方言では手突「テーツクン」といふて手で突くといふ意味を徴象してゐることは注意すべきことである、コブシといふことは沖縄では單に関節のことを意味する言葉で足のコブシ、手のコブシ、指のコブシなどといふて、つまり小節(こふし)のことであらうと思はれる

上記によると、沖縄では拳(こぶし)のことをテーツクン(ティージクン)というが、これは「手で突く」という意味を表している。そして、沖縄ではコブシは本土のようにゲンコツを意味するのではなく、関節一般を意味している。

さらに続けて、「夫れで今ではその語源が忘れられて『手突(てーつくん)を突く』など武術家さへいふて居る」と述べ、当時の沖縄でもティージクンの本来の意味が忘れ去られてしまったと指摘している。

さて、ティージクンは単に拳骨だけでなく空手の古称の意味でも使われていた。この語源が手突(テーツクン)であろうという真境名の指摘は重要なことと思われる。それは前回紹介したように「薩遊紀行」(1801年)に以下の文章があるからである。

琉球、剣術、ヤハラノ稽古ハ手ヌルキモノナリ、唯突手ニ妙ヲ得タリト云、其仕形ハ拳ヲ持テ何ニテモ突破リ、或ハ突殺ス、名ツケテ手ツクミト云
右ノ手ツクミノ術ヲ為スモノヲ(薩ヨリナパツメノ)奉行所ヘ召テ瓦七枚重ネ突セラレシニ、六枚迄ハ突砕シヨシ、人ノ顔ナトヲ突ケハ切タル如クニソゲル、上手ニナレハ指ヲ伸シテ突ヨシ

現代語訳:
琉球の剣術、柔術の稽古は優れたものではない。ただ突き手には優れた技術を得ていると言われている。その仕方は拳をもって何でも突き破り、あるいは突き殺すのである。名付けて「手ツクミ」と言う。

右に述べた「手ツクミの術」の使い手を、(薩摩より派遣された役人が勤務する)那覇の奉行所に召して、瓦7枚を重ねたものを突かせたところ、6枚までは突き砕いたそうである。人の顔などを突けば切ったようにそげる。上級者になると指を伸ばして突くそうである。

この紀行文は10年ほど前に初めて翻刻された。ここに「手ツクミ(の術)」という言葉が出てくる。これは「テーツクン」の「ン」を「ミ」と翻刻を誤ったか、あるいは手突クミ→手突クン→ティージクンと音韻変化したものではないかと前回述べた。

さて、手ツクミあるいはテーツクンが現代空手の源流武術であったすれば、当時この武術は那覇にあった薩摩の在番奉行所で薩摩の役人たちの前でも披露されていたわけである。そして、その噂話が薩摩本国にも伝わっていた。

つまり、「空手は薩摩の武士に対抗するために秘密裏に発展してきた」という、この100年近く繰り返されてきた俗説は誤りだったことになる。

さらに、空手(手ツクミ)だけでなく、琉球人は剣術や柔術も修業していた事実が薩摩では知られていた。残念ながらそれらの技量は薩摩から見ると大したものではなかったが、いずれにしろ、琉球人が空手のみならず、剣術や柔術といった日本武術も修業していた事実を上記は明らかにしている。そしてこの事実を薩摩藩は特に問題視していなかったわけである。

もちろん「軍隊」のような、大規模兵団を琉球王府が結成したり、集団軍事訓練をするような動向を見せれば、薩摩藩は見逃しはしなかったであろう。しかし、琉球士族が個人として武術を修業することに関しては、取り立てて問題視していなかったのである。

本部朝基『私の唐手術』(1932)では、具志川親方のように剣術の達人だった武術家が紹介されている。また、本部御殿手は剣術を含む多数の武器術を包含する。本部朝基自身も実は剣術を修業していて、宗家(本部朝正)は父手製の木刀を所持している。また、機会を見て「本部朝基の剣術稽古」の様子も紹介してみたい。

2016年1月12日、アメブロで元記事執筆。
2023年4月12日、加筆修正、noteに移行。

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