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伝えるチャンスというのは、いつだって女神の前髪だ

仕事の話。

提案とプレゼンを担当した案件が、少し前に無事ローンチを迎えた。
受注後、私が制作に関わることはなかったが、入社後初めての大型提案で、思い入れだけはあってずっと気にしてきた。

提案当時のことを今でも鮮明に思い出せる。
一緒にアサインされたデザイナーの勢いが、本当にすごかった。RFPを渡された次の日、デザイナーがプロジェクト全体のコンセプトを出し、「私はこれでいきたい」と熱弁を振るってくれたのに、私は文字通り返す言葉を失った。

え、デザイナーが、そこまで言うの?
と。

だが、最終的にキャッチコピーだけでなく全体の提案をリードし、自分の描く理想像に集約させていく彼女の熱意に圧倒され、同時に引き込まれた。

デザイナーは上から降りてきたものを形にするだけ、という制作会社を渡り歩いてきた私にとって、明確な理想を持って最初期から物言うデザイナーは良い意味で新鮮だった。面白い、あなたのビジョンで私も全力で戦いましょう、という気持ちで戦略を組み立てて受注と相成ったとき、私は明確な転機を迎えたと思う。

その案件がローンチした直後、同業の友人にサイトを見せたところ「デザインがすごくいい、このデザイナーのアプローチはいいね」と言われ、私はそのとき一人で(そうだろうそうだろう)とニヤニヤしていたが、先日不意に、それを本人に伝える機会ができた。

客先近くのガストで遅い昼食をとりながら「そういえば、同業種の友達があのサイトのデザインがいいって褒めてたよ」と切り出すと、デザイナーは表情をぱっと明るくして「えーすごい嬉しいです!ふだん、誰もデザイン褒めてくれないので!」と笑った。

この業界、デザインがまず人目につくのに、なにも言われなかったの?
と思ったが、それは私も心当たりがある。
いい大人になってしまうと結果を出すのが当たり前で、誰も「あえて褒めて」くれたりはしない。良くも悪くも結果は自分で昇華しなよということなのか、そんな手間をかける余裕がないのか、それはわからない。が、私も事実、周囲から「褒められることも叱られることもおまえにはもう与えられない(自分でケツを拭け)」と言われている。

いい歳こいた大人の世界では当たり前かもしれない。
が、そんなもんだと思って相手にもそれを強いるのは酷だ、というか、
言える機会があるならせめて自分は伝えようぜ。と思ったのだ、その瞬間。

仕事だから。
褒められたいからやっているわけでは、もちろんない。
そして、自分がどんなに気を配っても、クライアントからの評価がすべてな部分もある。
けれど、私はあなたの頑張りを見ているよ、そしてアウトプットが好きだよと伝えることで、自分の努力が無駄ではなかったと思ってもらえるのは、とても良いことなんだと思う。

この間失敗したあの案件も、ギリギリで取り逃がしたあれも、関係者にもう一回伝えようかな。
「だめになっちゃったけど、あのデザインすごくよかったです」
「負けちゃったけど、あなたのコミュニケーションを尊敬してます」
って。

私の入社後、縁があって勝ちも負けももっとも多く共有してくれたデザイナーの彼女はもうすぐ新天地へ旅立つ。最後のアタックだから楽しくやりたいです、と言ってくれたこの案件はぜひ受注したいし、私の、彼女への評価を形にする意味でも、なんとかして思いを残したいと気張っている。

今回もオチはない。
そして写真は、伝え損ねるとこんなふうに別れてしまうかもよというカモで私でカモ。

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