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頭の中 -廿捌-

 誘ってもらったライブは、とても楽しかった。

普段はブックカフェなのか、ある枠で集められた本たちが、不規則に並んでいる不思議なライブハウスだった。

ライブが始まるまでも、2人で本を手に取りながらいくつか欲しい本に目星をつけて、「またお昼間にも来たいね」と話していた。

 ライブ自体も素敵で、経験も長いであろう出演者の方々は、若いアーティストのように曲紹介に力を籠めるでも自分のCDを売り込むわけでもなく、エッセイ小説のような語りを間に挟んでゆったりと時間が進んだ。

『私とは全く違う、きっと私には難しいやり方。でもやってみたいなあ』

 これが「憧れ」という感覚なのかもしれない。きっと私が同じようにライブをすれば、延々歌の始まらないステージが完成するだろう。

 開演までの待ち時間や、出演者の交代時間に、私はまた彼女に色んな話をした。彼女も、その話に色んな意見を聞かせてくれる。

「この前、人の趣味を聞いたときにいつも通り頷きながら聞いてたら、第三者の人に驚かれてん」

「どうして?」

「『その趣味を、そんなにあっさり受け入れられるのか』って。ゲームの話やったんやけど」

「あぁ、なるほど」

「『許容範囲が広い』ねんて。それ聞いて、あなたにもそう言われたこと思い出した」

 彼女は一度、私の部屋に遊びに来て一晩中話をしたことがあった。

そのとき、私が「同性に好きだと言われたことがある」という話をしたのだ。

「私は勿論、同性愛とかLGBTにも偏見はないし、認めることやと思うけど。

 でも告白されて、もときちゃんがそれに動揺とか驚きもせんのがすごいなと思って。

 うん、確かに『許容範囲が広い』のかも」

 それがどうしたの?となると、私も続ける言葉に困った。

『許容範囲が広い』、確かにそうなのかもしれないし、だからこそ「話しやすい」と言ってもらえることもあるのかもしれない。

でもそれを少し、私は問題なんじゃないかと思っているのだ。

「私は許せる」けれど、「誰かは許せない」ということが、私には理解が難しい。

 高校生のとき、私を含めて3人で勉強していると、1人が当たり前のようにもう1人の物を使った。

「おい。せめてなんか一言言えよ」

 笑いながらも少し怒ったように言う相手に向かって、その人は言ったのだ。

「え?使ってたん?」

 そうじゃない、けど…と言われた相手は言葉を詰まらせる。その後仕返しとばかりに、何度も黙ってその人のものを使っているのを見たが、その人は目で確認するだけでなにも言わなかった。

 人は、自分が持っているものは相手も持っていると、無意識に理解している節がある。

あのときの彼は、自分が許せるだけの優しさを持っているからこそ、相手にもそれがあると思っていた。

それはひょっとすると、本来成長過程で人が得ていく感覚なのかもしれない。

 だが残念なことに、私もその感覚は人よりも鈍い。と、自分で感じている。

そしてそれが、今後の人間関係や社会人生活でなにか障害になるんじゃないかと危惧しているのだ。

 恐らくそのときは、そこまで彼女に伝えることが出来なかった。きっと彼女の中では、これを読まない限り気にも留めないただの雑談として、忘れ去られていることだろうと思う。

 そして私は、少し時間が経った頃にまた話を変えた。

「最近、ドラァグクイーンっていう女装してはる人らのグループが、それぞれメイク動画出してるのをたまに観るのよ」

 私はいわゆる「ナチュラルメイク」「小顔メイク」のような日常的なメイク動画はどうにも興味がわかず、一切見ない。

ただアーティストがするような、街中ではみないような派手で艶やかなメイクが作られていく過程を観るのが好きで、目に入ると思わず再生してしまう。

ドラァグクイーンもその類で、メイク動画の撮影時間は半日近くかかることがざらにあるという。

 その動画には、ときどき彼女らが自分の過去や持論についてを語る瞬間がさしこまれている。

「その中で、一人こう言った人がおったんよ。

 『正しい人といれば、幸福でいられる』って」

 私は「正しい」という言葉は好きではない。主観的なその言葉には強い強制力が含まれているきがする。「かくあるべき」なんて、意見を決めるのは他人ではないのだ。

 でもなぜか、その言葉の「正しい」という意味はすんなりと受け入れられた。

その不思議さと同時に、私の中に疑問が浮かんだ。

『私は今、「正しい人」といるのか?』

 今この瞬間だけに限らず、常に私は幸福だ。

でもそれは、「正しい人」といるが故に与えられるものなのか?

そうでないとすれば、この幸福は実はとても脆くて、ある日突然壊れてしまうものなんじゃないか?

 あの言葉を聞いてから、私はそんな思いにずっと駆られているのだ。

「もときちゃんが想像してる、『正しい人』がどんな人なのかは分からへんねんけど。

 私は今、幸福やから、私と一緒にいる人は『正しい人』なんやって考えてる」

 彼女は「正しい人=幸福」という考え方で、私の「正しい人➝幸福」という考え方には疑問が残るようだった。

 疑問や不安は次々に生まれ、身体を少しずつ蝕んでいく。

音や本に満たされる最高に幸福な空間の中で、私は必死に、自分の身体を覆わんとする水風船に爪を立てていた。

 気づけばライブは終わり、2人は帰路につく同じ電車に乗った。

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朗読家で物書き、そしてプランニングアーティストです。2020年5月末までシンガーソングライターとして活動していましたが、20年6月をもって肩書きを変更しました。 エッセイ小説の執筆を始め、居酒屋でのライブ、インターネットでの配信など各種企画を行っております。

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2019年4月に新卒としてホワイト企業に就職した私ですが、2020年4月現在は、3つのアルバイトを掛け持ちするフリーター。 どうしてそうなってしまった?なぜ3つもアルバイトを掛け持ちしているのか? 激動の数か月を記録した自筆のエッセイです。 最新話は私の個人HPで公開しています。

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