「ポップとバザー」
誰かの記憶の誰かのはなし 2
僕は、チャンスを伺っていた。
KONISHIKIこと大関と二人きりになれるチャンスを。
2005年3月だと思う。音楽部門にいた僕は、
KONISHIKI自身のレーベル
「KONY MUSIC EDUTAINMENT」から夏に発売されるハワイアンアルバム「LOCO STYLE」の
制作に携わっていた。
携わっていたといっても23才の音楽経験も何もない人間が何を出来る訳でもなく、日々初めて見るレコーディングやら、スタジオ風景にただ心震わせてドキドキしていただけである。
僕を誘ってくれた下町兄弟の工藤さんから、常々言われていたことがある。
「どうやって人の耳に音を届けるか考えろ」
そう。僕の仕事は大関の音楽を広めること。
プロモーションする事であった。
世はハワイアンブームが起こる寸前。
Def TechのMy Wayが鳴り響き始める頃である。
僕は、無い頭を必死に使った。
暗示のように工藤さんの言葉が鳴り響く。
そして、何かしなければ誰にも認められず、いるだけの存在になってしまう。
邪推とかも、毛頭なく。
世間も何も知らず純粋にアホだったのだ。
無い頭は、考えるうちにだんだん変換される。
人の耳に届ける🤔→直接人に説明すればいい🤔→全国の人に→走ればいい‼️🤣→俺は無理だから→友達が‼️🤣
たまに自分の頭に雷みたいなものが落ちて、全てが繋がる瞬間というものがあります。
僕の初めての雷は、23才。間違いなくこの時。
自分で思い描いてしまったものに、
自分で興奮したのも初めてである。
これ、どう考えても面白い。
僕しか出来ない。
今しか出来ない。
そして、何より友達を大関に紹介出来て、一緒に働けるかもしれない。
僕が、大関と出会った興奮を友達にも味わってもらいたい。
こう変換された。
そして、私はチャンスを得るのである。
確か、レコーディングの休憩中。
待合室かどっかだったと思う。
先週初対面したばかりなのに、1人でいる大関に近づいた。
「大関。すみません。今作っているCDを全国走って売って直接人にプロモーションしたらいいなと考えているのですが、友達が走りたいって言っているのでやらせてもらえませんか?」
おわかりですか?
僕は社会のルールを無視して、一週間でトップに直接、直談判したのである。
自分の無知が今になり恐ろしく感じております。
そして、まがりなりにも、この事が奇跡を起こすのである。
大関は、すぐに一言。「いいね。やりなよ」
ほんとに、それだけの言葉を僕にくれたのである。
23才の知り合ったばっかりの男に、
やりなよ。って言ってくれた。
現在、当時の大関の年齢に近い。果たして今の僕に、知り合って間もない同じような若い子に、背中を押してあげるのみの言葉をかけられるだろうか。
そういう大人になりたい。
僕は、こう感じた。
意見を聞いてくれた。
そして、何より自分の存在を認めてくれた。
後に色々出てくるが、大関がやりなよって言ってくれた一言が、全てに集約されていくのである。
有頂天の僕は、久しぶりに地元伊勢原市に帰る事にした。
なぜなら、友達のセイドウリュウジ君に走って貰わなければならない。そう。この時点で僕は、話してもいないのである。セイドウ君は、自営の仕事を親と一緒にしていた。
セイドウ君は、僕が大関に出会った事を知っていて話を聞いてくれた。
ただ、予想外の返事がきた。
「それ、俺1人じゃ無理だよ」
ちょっと何言ってるかわからないです
焦った。自分が走らないから1人でいいだろって勝手に思っていた。ヤバいよ。
セイドウ君は、困っている僕を見てこう言った。
「カジアキヒロ君が一緒ならいいよ」
カジアキヒロ。カジアキヒロ君とセイドウリュウジ君も僕の同級生である。
カジアキヒロ君を呼んだ。
カジ君は、走るのが好きで、当時大学に通っていた。
僕達は一緒に伊勢原市内一周駅伝を走っている仲間だ。カジ君も当然やる気になっていた。
そこで素敵な一言をプレゼントした。
「セイドウリュウジ君は、自営の仕事一旦退いてもらって、カジアキヒロ君は、大学休学して。明後日コンサートあるから、大関に会おう」
それが、TAWAヒロノブ。
厚生年金会館のイベントだったと思う。
大関のリハーサルに3人で感動して、さらに物販を思いっきり声張り上げて3人で売った。
楽屋で大関に2人を紹介した。
「大関。友達のセイドウリュウジ君とカジアキヒロ君です」
大関は、2人と握手しながらこう言った。
「ポップとバザーね」
なんのはなしですか
ポップとバザーとは、
KONISHIKIが名付け親のはなし
これは誰かの記憶の誰かのはなし
LOCO STYLEの発売は、2005年6月22日。
そして、その日はポップとバザーが、日本の最北端宗谷岬から日本縦断をスタートした日。
全ては2022年へ繋ぐ。
自分に何が書けるか、何を求めているか、探している途中ですが、サポートいただいたお気持ちは、忘れずに活かしたいと思っています。