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往復書簡 対話のコツ:人に興味を持つ


お返事ありがとう。

彼の発案で始まったnote上での往復書簡。
返事が遅れてしまい恐縮だけど、何も怖がることはない。
ゆっくり楽しく気が向いた時に投げ返すような柔らかくゆるく、でも熱の籠ってる往復書簡を続けよう。

期限はない。

おいらも彼も対話が課題なのだよね。
2019年、おいらは一年を通してたくさんの人と対話を繰り返すということを目標にしました。
そこでわかった自分の欠点というものがある。
人に興味を持つことが少ないということだ。

ソースは忘れてしまったけど、何年か前に、人の動物への接し方はその人の他の人への接し方だというようなことが書かれた記事を読んだことがある。

それまでおいらは動物に触るのが苦手だった。
興味もあまり湧かなかった。
その記事の主張に科学的な根拠があるかないかはさておき、当時のおいらはそれを信じることにした。

事実、動物に興味を持てないのと同じようにおいらは人間にも興味をあまり持てないのだ。


なんとなくそれじゃまずいだろ〜と思って、それから動物を積極的に愛でるようになった。
まずは動物と向き合って、触れ合って、興味を持とうと努めた。

その結果徐々にではあるが自然と動物を愛おしいと思うことが増えた。

だが対人はどうであるか。
ここも徐々にであるが改善されてきている。
あ、これは最近2年ぐらいの話である。

それ以前、おいらは人間に興味があると思って長らく生きてきたのだけど、今これを書いていて気づいたことがある。

対話はその人に興味を持たないと難しいということだ。
この人に興味が全く持てない、と思うことが多い。

では、自分でおいらは人に興味があると長年思っていた誤解はどのようにして生まれたのか。

自分を分析してみると、どうもおいらは人そのものに興味があるわけではなく、その人がやっていることに興味を持っていたのだ。

つまり自分にとって刺激になる何か(仕事や趣味や活動)をやっていない人との対話が難しいのだ。

これはおいらの致命的な欠陥である。

彼の往復書簡に書かれているこの部分。刺さったよ。

僕が対話が苦手な理由の根本として、"結局は自分のことしか好きじゃない"ってことがあると思ってる。
例えば、僕が何か質問をするときに、「この質問鋭いでしょ。僕なかなかやるでしょ。」と思われたい気持ちが多分に含まれてる。笑
相手のことを知りたいよりも、自分がどう思われているかってのを気にしすぎているというかな。
これって多分対話未満なんだよね。

これはおいらにも当てはまることで、会話をしている相手が何か刺激的な行動や活動をしていない場合、まさに上述のようなスタイルをおいらもとってしまう。

つまりおいらはまだまだ対話ができていない。

万人の人生を少しでも良いものにしたいと願っていながら、こと対人になると、全く上手くいかない。

人自体に興味を持てなければ対話は滞る。
対話が上手い人は自然と相手に興味を抱いているのではないかと思う。
だから親身になれる。エンパシーも発揮する。

動物を愛でてもう少し対話に頑張って取り組んでみる。

しかし余談のようになるが、2020年は本当に人に会わなくなった。

ヨーロッパでの現在の対話はほぼ全て電話とメッセージでのやりとりになってしまっている。3月からオフィスに行ってないし、またまた各国ロックダウンでますます孤独人はより孤独になる。
大変だ。

共に楽しく生きようぞ友よ。
きっと楽しく生きる道はある。

この文章への返答では、冬の食べ物で好きなものを一つ教えてください。

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