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[小説]色情、浮ついた心、あるいは愛。

左にスワイプして、NOPE、NOPE、NOPE、NOPE…。
男たちのたくさんの顔写真と短いプロフィール文章を見て、その作業を繰り返す。
どれもこれもピンとこない。彼らの精一杯に"盛った"写真も、文章も、見飽きてしまった。
もう、マッチングアプリなんてやめてしまおうか。
だけど止めたら、私はどこで男を探せば良いのかーーと、憂鬱になりかけたところで、スワイプする手を止めた。  

「32歳、会社員、趣味はスポーツ観戦。」
ここまでは普通だ。気にも留めないくらい退屈で、ハンコに押されたような文章。何も面白くない。
しかし、その次が問題だ。
何が問題かというと、「結婚しています。」と続いている。
見間違いだろうか?思わずアプリを凝視してしまった。
いや、たしかにいつものアプリだ。私は間違えていない。
「……。」
しばし沈黙し、しげしげと画面を見つめた。
少し焼けた肌、人懐っこい笑顔、ジムにでも通っているのだろう、体も引き締まっているようだ。
スワイプして何枚かの写真を見ると、確かに薬指には指輪が光っている。
友人と肩を組み、酒を飲んでいるその様子は、どこにでもいる陽気な男のそれだった。  

しかし、だからこそ違和感がある。
私が使っているのはfacebookでもmixiでもない、「恋人を探すマッチングアプリ」ーその中でも一番節操がなく、有り体に言えば「セックスできる人間」を探すようなアプリだ。
その暗黙の了解のもと、恋人持ちや既婚者が使うこともおかしくはない。
だけど、それをプロフィール欄に書いたりはしない。匂わせもせず、隠すことがマナー、正しい遊び方…のはずだが、この男はそれを隠しもせず、まるで誰でも閲覧できるSNSかのように、簡単に記載している。
「家庭を壊さないで遊んでくれる人募集」という本音を隠すことすら、しない男なのだろうか?
だとしたらちょっと信じられないほど、図々しい…などと、違和感や疑念、嫌悪感が次々と湧いてくる。
しかし、左にスワイプする作業には飽きてしまった。
同じような写真も、同じようなプロフィールも。  

どうせアプリを止めるならば、最後におかしな男と会うのも良いだろう。
男の顔も悪くはないし、年齢や身長、服装の好みもちょうど良い。
それに何より、既婚者なのは「お互い様」だ。
そう考えて、私は男の写真を右にスワイプした。-「LIKE」。  

* * *  

「じゃあ、乾杯ー」
「かんぱーい」  

カチ、とグラスを当てて、二口ほど飲む。
お酒の味は、実はそんなに好きじゃない。ただ、酔わなければならないから、飲む。そういうものだと思っている。  

「さとみちゃんは、写真で見るより可愛いね」
「えー、ありがとうございます」  

いつだって、体を重ねる前の男は特別優しい。
すり切れた褒め言葉も、その無意味さも、分かっていながら抱きしめる。
私をニコニコと見つめながらグラスを傾ける彼-慎二-の薬指には、今日も指輪が光っている。  

2人でご飯に行く約束を取り付けるのはすぐだった。
彼に「LIKE」をすると、私たちはすぐにマッチングして、メッセージのやり取りを始めたのだ。
私は「いつも」、だらだらと長いやり取りをするのが苦手で、自分からご飯に誘ってしまう。
今回も彼の会社の最寄駅を尋ね、おすすめのお店を教えてください、という流れで会うことにした。  

意地悪な気持ちと、保身と、好奇心から、「奥さんは本当に大丈夫なんですか?」と聞く。
「うん、うちは大丈夫だよ、分かってるから」と慎二は答える。
どこまでが嘘で、どこまでが本当なのだろう。「そう思いたい」からそういうことにしている、というタチの悪い嘘つきもいる。
だけど、そんな彼らの残酷さも関係ない。私はただ、一時の気持ちよさと、刺激がほしいだけ。
渇いた私を潤す、水が。  

* * *  

はっ、はぁ…
男の息が短く途切れる音が、ホテルの室内に響く。
男の腰使いに合わせて、私も短く声を出す。  

「さとみちゃん、可愛い」
慎二が私の目を見て囁く。  

写真からも、会話からも、イメージがぶれない男だ。
優しそうに見えたし、実際に優しかった。
この男は"アタリ"だ。
体を緩め、非日常に心を浸す。
セックスは温かい。私の輪郭を緩め、忘れさせてくれる。

何を?
何かを。
全てを。  

* * *  

「お帰り、今日はどうだった?」
夜遅くだというのに電気がついた家に帰る。
リビングの扉を開けると、甲斐甲斐しくも妻の帰りを待っていた私の夫-恭介-に迎えられた。  

「別に、普通だよ。」
突き放すように言った。
恭介が少し間を空けて、「そっか」と呟き、寂しげに笑った。
彼のそんな仕草を見るたびに、苛立ちが走る。  

まだ何か話を聞きたそうにしている恭介を後ろ目に、何も言わずに自室に戻る。
クローゼットを開けて、鞄を、羽織っていたカーディガンをしまう。
イヤリングを外し、ネックレスと時計を片付ける。
ああ、「今日」が終わり、「日常」に戻ってしまった。
寂しくもあり、ホッとする。特にこんな日には。  

ダブルベッドに腰掛けて、そのまま上半身も投げ出す。化粧を落とさなきゃ。だけど少し、休みたい。  

布団の上で目を閉じると、先ほどの恭介の顔を思い出してしまった。
傷ついたような顔。何故そんな顔ができるのか。
お前と同じことをしているだけじゃないか。
私だけを愛すと誓った瞳で、指で、言葉で、他の女を愛しただろう。
裏切りに震え、泣き腫らした夜を、女の元に行くのだろうと送り出す朝を、
怒りと悲しみに引き裂かれそうになる苦痛を、
お前はほんの少ししか知らないじゃないか。  

まだ足りない。
もっと。もっとだ。
お前を傷つけ、お前が愛した享楽に、私も浸ってやろうじゃないかー。  

そう思って、色々な男と体を重ねるようになった。
たかだか半年前のことだ。
だけど、最近はそれも少し虚しい。
男たちに繰り返す、NOPE、NOPE、NOPE。
私だって彼らに繰り返されているのだろう。NOPE、NOPE、NOPE。  

たくさんの男に愛され、一時の寂しさを分かち合い、袂を分かっていく。
初めは楽しかった数々の刺激も、同じことの繰り返しが見えてからは、飽き始めてしまった。  

それでも慎二は少し面白かった。  

彼とは終電前に別れたが、ホテルの中でも話をした。
私はまた、意地悪と好奇心で彼に尋ねていた。
「奥さんにどんな顔で"ただいま"って言うの?」と。
彼は苦笑いして、「普通にだよ」と答えた。
「普通にって?」「他の日と変わらないよ、普通に」「泣いてたりしないの?」「ううん、見たことはないかな。もし泣くくらい辛くなったなら、教えてほしいし。」
的を射ていないような回答に、のらりくらりとはぐらかされているように感じて、「なんでよそでセックスをするの?」とストレートに聞いてしまった。  

慎二は当時を思い出してか少し苦々しそうに、彼の妻が、子どもが生まれてからセックスができなくなってしまったことを語った。
家族としか思えなくなったと。
それで色々と話して、うちは「この形」に落ち着いたのだと。  

「この形」。
変な形。
だけど、うちだって歪だ。

私が慎二の妻だったら、絶対に「外」で遊んでくることを、許したりなんかしない。
そう、私は許したことなんて無かった。一度も。
それとも自分がセックスを拒んだなら、する気がないなら、平気なのだろうか。

恭介はいま、どんな気持ちで私を迎えているのだろうか。
何故、「外」で遊んでいた時も、私が「外」で遊んでいる今も、別れを拒むのか--。

意識が「いま」に戻ってきて、そうだ、化粧を落とさなきゃ、と体を起こした。
部屋の扉を開けて、リビングに出ると、恭介がキッチンで紅茶を作っているところだった。
目が合ってしまい、思わず「紅茶?」と話しかけてしまう。
恭介が驚いたように、「あっ、うん、そう」と答える。
「…一杯もらっていい?」と聞くと、恭介がまた驚いたように、「あっ、うん」と答えたので、笑ってしまった。  

「あのさ、今日…」  

別に、全部を水に流そうというわけではない。
ただ、今日会ってきた男の少し変わった話を、聞かせてみたくなっただけだ。


#オープンリレーションシップ #小説 #不倫 #夫婦

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