望月もちぎ

学生作家。 ゲイ業界で色々やってきた人。 ■ブログは基本的にはどこから読んでも大丈夫…

望月もちぎ

学生作家。 ゲイ業界で色々やってきた人。 ■ブログは基本的にはどこから読んでも大丈夫なようになってます。一つ一つのタイトルテーマで完結してます。

マガジン

  • 天然温泉旅館「もちぎの湯」

    ここはあなたの宿であり、別荘であり、療養地。 あたいが毎月4本以上の文章を温泉のようにドバドバと湧かせて、かけながす。 内容はさまざまな思想や日記、業界研究や感想など。SNS分析や、誰かの相談事にも言葉を残します。コメントで今後書いて欲しいことや質問も受け付けます。 たくさん書いていくのでゆっくり読んで、どっぷり浸かっていっていっておくれやす。

  • 異世界転生ゲイ

    旅行行って書いたやつ

  • ウリセン編9 卒業編と最終コラム

    長く続いたウリセン(ゲイ風俗編)最終章です。3年間を振り返ったコラムなども書き下ろしで入れてます。

  • 一発一年寿命パンチ

    ひまなときに書くやつ

  • 有料記事(単発もの)

    読み切りサイズの単発記事。 気になるものがあったら読んでみてください。

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最近の記事

自分のこと美人だと信じて生きるのたのしすぎ。

 他人から「ブス」と謗られたことは何度もある。  自分の顔や表情が変じゃないか? と不安を感じていた時期も長かった。 「顔がすべてじゃない」なんて言葉が戯れ言にしか聞こえない価値観で生きてた。  でも今は、あたいは自分のことを美人だと信じている。 ◆  あたいは誰がなんと言おうと、自分で自分のことを「美人だ」と言えるような生き方を心がけている。そのおかげで今日も美人である。  元々はそんなふうには考えていなかった。むしろ幼少期からずっと母ちゃんにとかく「あんたはブ

    • 人の部屋は笑えない、だってそいつの心だもん

       ゲイ風俗勤務時代、指名時間中にお客様の部屋を掃除した話をしますわ。  この話を書くのはちょっと躊躇われた。というのもあたいは基本的にゲイ風俗のエッセイでお客様の話を書かないようにしていたし、書いたとしても特定できないような些末なエピソード(たとえばうんこなどの粗相の話や高齢者のお客など)に留めるように努めていたからだ。いや、うんこって些末か?  まぁともかく、そういう話は特殊さこそあっても、誰のことを描いたのか分からないくらい秘匿性も担保できる日常茶飯事のものだったし、

      • メンタルとかいう壊れる時はちゃんと壊れる耐久財

        「どんな会社(仕事)でも三年耐えれば慣れる」 「体育会系でシゴかれた経験があればどこででも生きていける」 「スパルタな環境で過ごせば精神的に強くなる」 「体罰を受けた方が図太くなれる」 「毒親育ちはメンタルが強い」 「誰でも死ぬ気でやれば乗り越えられる」 「いじめられた人間は痛みを知る優しい人間になれる」  このような“苦労や苦難を経験すれば心が強くなれるし、人としてデカくなる“的なことを述べる言説は世の中に溢れているけれど、あんなもんあたいに言わせてみれば間違ってますわ。

        • 友達が友達じゃなくなる瞬間

          ◆  友達が友達じゃなくなる瞬間って、怖いよな〜って常々思ってますわ。  もちろん友達なんて、ずっと同じように関係が続くものではないことは分かってる。必然、もっと仲が深まることもあれば、繋がりが途絶えることだって往々にしてある。  そもそもが、たまたま同じ場所に居着いてたり、たまたま同じ地域で生まれ育ったり、趣味に対して似たようなスタンスだったり、なんとなくノリや経済感覚が近かったり、あるいは一緒にいられる時間の都合がつきやすかったり、仕事柄の生活リズムが合ってたり……

        自分のこと美人だと信じて生きるのたのしすぎ。

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          3本
        • ウリセン編9 卒業編と最終コラム
          11本
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        • 一発一年寿命パンチ
          2本
        • 有料記事(単発もの)
          4本
        • 隣の住人が私のアンチだった。
          3本
          ¥120

        記事

          「役に立たないと存在しちゃダメ」 ←と思ってる時期がありましたわ。

           「パーソナリティ障害」というものがある。  以前はこういう状態のことを「人格障害」という言い方で表されていた時期もあるようですわ。今は基本的にパーソナリティ障害と呼ぶらしい。確かにそう言い換えた方が鼻つまみ感は軽減されるような気もする。  ちなみにこの障害は不治の病でもなんでもないようだけれど、だからといって「パーソナリティ(性格)が悪いと感じる人」のことを勝手に「パーソナリティ障害だ」と呼べるような安易なものではなく、「認知のあり方やそれを培った生育環境に生きづらさが

          「役に立たないと存在しちゃダメ」 ←と思ってる時期がありましたわ。

          「お金に困ってないけど風俗で働いてる」

          ◆ ①風俗について書くということ  夜の街の話を継続して発信していると、どうしても避けられないのが性風俗業界で働く人のことや、そういうお店の存在だ。  あたいはそれらをわりと避けずに、内容も伏せずに、あけすけに書いちゃうことが多い。だって書くことで誰かの偏見や先入観が解けることもあるし、問題がキチンと問題視されて取り沙汰されたりもするし、そのことで誰かの決断が変わるかもしれないから。 (とかなんとか言ってるけど本当は書きたいだけだから書いてる。たいそうな理由は後付けや

          「お金に困ってないけど風俗で働いてる」

          根性焼きと肩パンが義務の中学校

          ⚠️いじめや暴力にまつわる話です。そういう描写もそりゃある。 ◆  あたいが通っていた中学は、村とニュータウンと団地に挟まれた地方にあった。少子化のせいで空き教室だらけの年季の入った校舎と、だだっ広いグラウンドと台地からの景色だけがある学校だった。整地されずにいつも土がぬかるむ校舎裏は、ほど近い裏山に直結していて青々しく茂っていて、そこからはたまに野犬も入ってきた。野犬が来るとみんなで「犬だーー!!!」と声を大にしてはしゃいだ。野生生物と自然災害のみが非日常の、とてものど

          根性焼きと肩パンが義務の中学校

          メンヘラを、走らせる。

           まず。メンヘラって言葉はむやみやたらに使うものでは無い、と思う。精神障害・人格障害への差別や偏見の強化を煽るし、それこそあたいにも精神科での既往歴があるので、この言葉が使われる際は好意的なニュアンスがほとんど無いことは充分に理解している。  だけど今回、本人が「メンヘラと自称したい。その方がカジュアルで腫れ物扱いをされない」とこだわりを持っている旨を話していたので使用する。批判があれば筆者としてこの語彙で書くことを選択したあたいが全て引き受ける。  なお本人は「メンヘラ

          メンヘラを、走らせる。

          自分よりすごい奴なんていっぱいいるけど、それでもうちらが何かをやる理由。

          ◆  何かを始めた人・何かを始めようとする人が、その道を極めた者や、上位層にいる小慣れた人間を見て「自分なんかがやったところで敵わない……」と尻込みする。  何かを続けている人・何かを挫折した人が、自分よりメキメキ上達する誰かや、努力が報われた成功者を見て「自分なんかじゃダメだ、きっと叶わない……」と嘆く。  このような自信の喪失は多くの人が味わうものですわ。お調子者のあたいですら、ある一定のレベルまで努力によって上達してくると「この人には勝てねぇな。蓄積が違いすぎる」

          自分よりすごい奴なんていっぱいいるけど、それでもうちらが何かをやる理由。

          トランスジェンダーの友達が、SNSやめた。

          ◆  ここ最近のSNSでは、LGBTについて話題になる時、大体が政治的な話題で特に「賛否を問うもの」や「分断が深まるもの」が目立つ。(同性婚法制化の賛否や政治家の発言に対する支持・不支持、同性間での性加害問題やトランスジェンダーの権利関係など)  また政治的なニュースだけでなく、一部の当事者の言動が取り上げられることもあり、それもまぁまぁ波風が立つようなことばかりで、日々穏やかでない。  つい最近でも深夜の街で裸を露出しているゲイ男性が逮捕された件についてSNSでは炎上

          トランスジェンダーの友達が、SNSやめた。

          他人といると楽な人間が考えてること。

          ◆  SNSやネットを見ていると、 「他人といると疲れる」 「ひとりの時間がないとしんどい」 「人付き合いが嫌だ」  という感じで、ワイワイガヤガヤした空間が苦手で、今の人間関係に疲弊したり、他人との関わりに苦手意識を持っている人の意見がしょっちゅう見受けられる。まぁそういう人がネットに多いというより、これはネットでくらいしか気楽に吐けない類の愚痴なのだろう。本当は多くの人が大なり小なり感じていて、実は心の内に秘めている苦労なのだと思う。 (この手の愚痴をリアルで吐き

          他人といると楽な人間が考えてること。

          環境のせいにするのは楽だから。

          ◆  あたいは他責的である。  他責ってのは自身になんらかのトラブルや落ち度があった時、それを他の人のせいや環境のせいにする思考のことだ。  まぁそうは言っても別にあたいは、自身の人生の責任を誰かべつの他人に完全に委ねることはしないし、失敗や挫折を経験しても大抵は自分に落ち度を見出すことから始めるので、「100%、〇〇のせいで失敗した」なんて考えたりすることはない。それができたらどれだけ人生が楽で、どれだけ生きづらかったことだろうと思う。  自身が引き起こした悲しみや

          環境のせいにするのは楽だから。

          「LGBTは嫌いだけど、お前は好き☺️」

          「お前、靖国神社に参拝しに行ったことないのか⁉︎ それでも日本人かよ……仕方ない。連れてっちゃる」 ◆  あたいのことを気に入ってくれている愛国おじさんがいる。よく行く店でしょっちゅう会う。夕方に行くと大体いる。なんの仕事をしているのか詳しくは知らないけれど、たまにスーツの上に作業着を羽織っているので仕事終わりにふらっと飲みに来ているようだった。  彼はあたいのことを「おバカでどーしようもないフリーターの若者」として捉えていて、いつもいろいろな話を勉強として聞かせてくれ

          「LGBTは嫌いだけど、お前は好き☺️」

          「親と仲がいい」ってのも酷なことだよな。

           好きだから辛いってこともあれば、嫌いだから楽だってこともある。 ◆  この歳にもなってくると、周りの同年代や少し歳上の友人から「親の介護どうする?」「もう高齢だからそろそろ施設も考えてる」「親がもし認知症になったら」「両親とも年寄りだからコロナ禍になってから会えてない」だとか、そういう話を聞くようになった。  来年、自分がどうなっているかも分からず、住処も仕事もずっと同じところで続けられるかも定かでない時代で、それでも確実に訪れるのは“人の老い“だ。  そして老いの

          「親と仲がいい」ってのも酷なことだよな。

          「なんでも話すこと」が友情や信頼の証では無いはずだから。

          ◆  行きつけの飲み屋さんにて。  そこで会う知り合いから、最近こういった愚痴を聞いた。 「もう私、自分のこと一切話さないでおこうかな。人間関係疲れたわ」  その子は人当たりがよく、初対面でも臆せず話ができるタイプで顔も広い。というか他の人から良くも悪くも絡まれやすいので勝手に交友関係が広がるタイプだった。  だけど本人は自分のことを「本当は人見知り」「初対面ではうまく話せるけど回数重ねるとキツい」と謙遜気味に自己評価していた。おそらく一見は人懐っこく見えるけれど、誰

          「なんでも話すこと」が友情や信頼の証では無いはずだから。

          「与えること」で幸福を感じるとはどういうことか。

          ◆  みんなは50万円を貰ったことがあるか?  あたいはある。自慢じゃないけどある。  いや、自慢ではないと強調して言ったとしても、誰かからお金や物をもらったと話せば「“それだけ自分には価値がある“という旨の主張かな?」と受け取られ、高慢な奴だと思われることもあるだろう。  世間では年収や資産という経済ステータスが地位の高さとして扱われるのが本流だし、消費の面で見ても「それに何円使ったか」「推しにいくら費やせたか」「その趣味にどれだけ投資しているか」「どれほど高級なも

          「与えること」で幸福を感じるとはどういうことか。