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人間の不安とお金の関係

メンタルがリラックスできない…まさに今、多くの方の心境ではありませんか?そんな世の中を見るにつけ、つくづく人はじっとしていられない生き物なんだな、と思わされます。

自粛・動かないでと言われても、不安な時こそ難しい。マスクから始まりトイレットペーパーやティッシュペーパー、更には食料品まで備蓄に奔走。良くも悪くも動いてしまう。

だって困りたくないもん。そう思うと、居ても立っても居られないですね。
不安とはわからないこと、まさしくそれが行動の源。わからないからこそ動きたくなる。

だけどやっぱり、じっとしてること、今は、それがいいらしい。そしてそれをみんなが出来たら終息するらしい…震災の時のような誰かを助け合う動きから、ひとりひとりが動かない姿勢へ、不安を怖がらずにじっとしていること…私もそう思いますからそうしてますよ。でも、人間だからそれが難しいんですね。

さて、生きていくなかでの不安には、健康面と生活面(経済)の2つがあります。特に生活面における不安は、まさしく今の自粛をなかなか容認できない要因でもあるでしょう。

例えば公務員や大手サラリーマンのような安定した収入がある方と、自営業やフリーランス又はアルバイトなどの方では、正に雲泥の差。日銭を稼がないと明日には潰れる。私とて人ごとでありませんからね。

今の状況が有事なら、その状況下における命の危険を考えれば、お金の有る無しは二の次となることは誰でもが分かる話。ですが生きる為、自粛と並走しながらもお金を作ることに奔走せざるを得ないギリギリの選択もまた、あるのです。

と、今日はコロナ関連における不安から少し離れ、掘り下げて人間の不安には「お金」が密接だというお話です。

簡単に言います。

「お金」に縛られてこられた方は多い。言い換えれば「お金に使われている」人は多いというお話です。間違えたくないのは、お金は大事であり大切です。私もお金は大好きです。だけどお金があれば幸せになれるのではなく、賃金の差を意識した職業や人の選択は、どこまでいっても自分の上昇意識や一流・成功こそ勝利という価値観から出れなくなります。

例えば、好きなものを職業にして転んだら自分の事として考えられるが、金で選んだ職業は転んだら始末が悪くなりやすい。多くは更に上を目指したり本質から遠ざかる。不安は付き纏う。好きな人を伴侶にするのと金で選んだ人を伴侶にするのとで考えると、分かりやすいですかね?

お金、それは権力でもあります。権力を笠にきた人を配偶者や親に持った人に自尊心は低く、その多くはその権力の元で潰されています。お金を稼ぐ者にとって、そのお金は、大切な家族の為に使われるものではないですか。本来ならば、お金に使われるのではなく、みんなでお金を大切に使えるのです。

お金は使うもの、流すもの。その使う人の意識次第で、汚くもなり綺麗にもなる。それがお金です。不安にもなり不安を薄めてくれるものでもあるお金。その意識が心の豊かさと自由度に反映するのです。

「自分は何が食べたいのか」が先、その後で「使えるお金はいくらあるのか」で決めるのです。「自分は何になりたいのか」が先、その後で「それで食っていくにはどうしたらいいのか」と考えるのです。

お金ありきではなく、自分の気持ちをちゃんと汲むこと。その結果の我慢なら、その我慢はあなたの自尊心の基で、「諦め」でなく「納得」や「悔しさ」でいられます。「どうせ…」から、「いつか…」に意識は変わり、自分の人生を切り開く芽は必ず伸びますからね。

お金ありきの人生の選択には不安が付きまとう、というお話でした。自分にとってのお金、或いは自分の身近な人とのお金についてご一考ください。

それにしてもこの世界の状況、兎に角、粛々と待つのみ。

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