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『遠野物語』たち

《ブックカバーチャレンジ(「読書文化普及に貢献するためのチャレンジで、参加方法は好きな本を1日1冊、7日間投稿する」)という、Facebookで行われているリレー投稿の続き》
【6日目】

初めて遠野を訪れたのはもう20年ほど前。それから、何度か定期的に遠野を訪れていたが、自然あふれるところに居住の地を移すことになってから行かなくなってしまった。単に、森と山と目に見えない存在たちとのふれあいに飢えていただけだったのだろう。
その初めての遠野旅行で泊まったのは、東北地方特有の『曲がり屋』という古民家を改装した趣ある宿だった。
囲炉裏があり、夜になると「語り部」の年経た女性がやって来て、独特のなまりで民話を語ってくれた。ホテルなどと違って、トイレは共同、部屋も鍵などかからないオープンマインドな感じだったと思う。それに反して、宿の亭主はちょっと皮肉屋なところがあり、ご飯は・・・おいしかったのだろうか・・・記憶にない・・・。
それまであまり旅行というものをしたことがなかった私は、面白いとは思いつつもけっこう緊張していた。
その日の夜はなかなか寝付けず、そとで、時折強く吹きつける風の音を聞くともなしに聞いていた。
それは、相方も同じだったらしい。
それでも、ちょっとうつらうつらと眠りにつこうとしていたとき、屋根に石つぶてのようなものが打ち付けられる音で、ふ、と意識が引き戻された。
雨だろうか。
だが、それはほんの一時のことで、また静かになる。そして、また、一瞬の石つぶて。
相方が起きて、窓を開けた。風に揺れる木の葉の音がひそやかにうずまき、空には一面の星。

じゃあ、さっきの音は?

ぼんやりと考えながら、何故か、そのまま私はまた眠りの世界に入っていった。
翌朝、朝食を食べ、亭主の皮肉にちょっとばかり腹を立てていた相方だったが、ふと、神妙な顔つきで昨夜の「音」について考え始める。
「天狗のつぶて」という、山の怪音がある。
山の中でどこからともなく石が飛んでくる怪現象で、天狗のしわざといわれるものだ。ほかにも「天狗笑い」や「天狗ゆすり」などといった、山の特有のさまざなま不思議な現象があるらしい。

「さすが遠野」
初めての訪れでそんな不思議に逢えて良かったねえ。

山には、そんな、人智を越えた現象が多く見られる。もちろん、海にも川にもそんな不思議な話はたくさんあるのだろうが、私が惹かれるのは何故か山ー木々が繁り土の薫りが強く立ちこめ、鬱蒼としたほの暗い闇が広がっているようなところだ。
その先にあるものが、遠い昔の記憶を揺さぶるような感覚にとらわれる。

「コッチニオイデ」

ここにいるのは、本当の私だろうか。
あそこに在る私の方が、真の私なのではないだろうか。

子どもの頃から、ずっと、そんな空想をしてきたような気がする。
人の形をしながらも、人ではない存在。そういうものに、恐れながらもあこがれを抱いていた。

あの時遠野に行きたかったのは、本当は私自身だったのかも知れない。

改めて、そんな思いがよぎる。

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