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何気ない日常こそ愛おしい 〜ただの文章術の記事だと思って読んだら受けた衝撃〜

およそ2ヶ月ぶりの更新になります。
夏に向かっていくたび意欲が劇的に下がり、
ただ時間の浪費をするだけになっていました。

それでも、また書きたいと思えるようになりました。(これ言うの何回目だろう)

一応noteは度々覗いていましたが、
記事を書こうと思えず。

できる人の成功体験を見つけては比較して病んで
ってしていたら、noteからも距離を置いていました。

ある日、定期的に現れる人生迷子になっていました。

そんな時は人の考えを読んでヒントをもらってみよう。自分じゃどうにもならないことは他人の知恵を借りよう。



とりあえずなんか探してみるか、と思いnoteを徘徊していました。

noteを開くとなんとなく文章を読まれるための記事を読んでしまいます。

自分が書いてて楽しいのは第一でも、人に向けて書いてる手前、たくさんの人に読まれた方がいいに決まってるからです。

今日もぼんやりnoteを見ていて、衝撃を受けた記事に出会いました。

よくある文章術の記事かな、と思ってふらっと立ち寄って読んでいました。

あ、やっぱりこういうノウハウを詰めた記事のが読まれるんだな〜

さすがライターさんは違うな〜

と倫理的に書かれている部分をサラッと流し見したところであとがきに衝撃を受けました




何が言いたいかと申しますと、、、

猫暮は今日書いた内容一切に興味がないのです!!!

「書きたいなら書けばいいじゃん」という過激派思想を持っている社会不適合者なのです!

「あなたの文章が読まれるために」with ~ハードコアな後書きを添えて〜|猫暮てねこの創作暮らし


思わず嘘でしょ!?って声が出ました。

ここまで論理的に説明できてるのに興味がない…!?

とはいえ、実を言うと私も最初の部分に興味が一切湧かず流し読みしていまして。(ごめんなさい)

それでも、あとがきに入った途端、一文ずつ丁寧に読み始めました。


本編で、

いきなり自分の日常を書いても、どこの誰だかも分からない人の日記は読まれません。
まさに公開日記。
とか書きましたが、猫暮、そういう日記こそ本当に面白いと思っています。

誰にもリーチされない、自分のことを病気のように書き綴っている妄執的な日記が大好きなのです。そこに「ひずみ」があってはいけないとすら思っています。

「ひずみ」ってなんのことかって?

今日書いた内容が全部まるっきり「ひずみ」です。このひずみを微塵も考えずに心のままに書き綴った日記が、私にとって本当に面白い読み物なのです!!


ノンフィクションなのが本当に良いの!!!

「あなたの文章が読まれるために」with ~ハードコアな後書きを添えて〜|猫暮てねこの創作暮らし




このノンフィクションの部分がわかる!!と頷いていました。

私がエッセイや日記に惹かれる理由って特にこの部分だろうなと。

おそらく、何も着飾らない人間性が見えるからでしょう。
そういう記事ないかな〜とnoteやネットの海を徘徊しています。



が、ネットにあるのは豊かさを追求するものばかり!(に見えた)

様々な媒体で見かける

デキる大人の仕事術!
お金やSNSフォロワーをジャンジャン稼ぐ方法!

などの記事にはみじんも興味がありません。


なんならあまり見たくないと思うほどです。

それでも、それらの情報は決して悪ではありません。

みんな豊かになりたいし、豊かになる情報の方が需要があって当然です。

たくさんの人が求めているから、需要があるから溢れかえっているのはわかっています。


でも、見知らぬ誰かが楽しく過ごしている姿を見る方が私にとっては格段に楽しいし、学びになります。

何気ない日々を好きに生きるのってとんでもない才能だと思っています。



そういえばnoteってもっと自由な場所だったよな。

形にとらわれず、自由な思いがたくさんあっていい場所だ。

と、こちらの記事を読んで改めて気付かされました。

2ヶ月も更新が止まっていたから、途絶えた理由をまたダラダラ書いてやろうと思っていました。

しかし、昔の記事で読んだ「情報は鮮度」という言葉を思い出し、気づいた頃にはこの記事の感想文を衝動的に書き始めていました。

久々に暑苦しくなってしまったようです。

noteを諦めずにまた書こうと思えたきっかけとなりました。

実は何度も何度もnoteから離れては戻ってきています。

私はきっとnoteから離れたくても離れることが出来ない。書くことが好きだから。

それよりもっと、1番noteが書くことに適しているから。

何度諦めても、また戻ってこようと思えるnote。


読むのも書くのも、noteは楽しい。