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道北とタルタリア

突然の弾丸ツアー

豊富温泉に行きたいと閃いた友人からのメッセージを受け取ったのは、前日の11時22分。

その頃、私は夢の中

朝起き出してメッセージを見て何回かやり取りして

突然の弾丸ドライブに出発することになりました。

北海道の日本海岸沿いに300キロ

札幌から北に向かい海岸沿いに進みます。

石狩 浜益 増毛 と抜けて留萌へ

山が多く、くらく長いトンネルの多い道です。

10日ほど前に来た留萌、短い休憩で先を急ぎます。

留萌からの道はほとんどトンネルもない海岸沿いのほぼ平坦な道を走ることになります。

イメージとしてはこんな感じです。

暗くなってから目的地の豊富温泉に到着しました。

この温泉は原油を含み、アトピーなどの皮膚病に効くと有名です。

この日はゆっくりとこの温泉につかって休みました。

幸運は翌日やってきました。


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この本をぱらっとめくって、やった~ と

宗谷支庁庁舎

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木造と思われる新庁舎です。

以前のものは、明治44年の大火で焼失とあります。

おそらく以前の様式をある程度残したと思われます。

この庁舎も今はありません。

稚内町役場庁舎

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ここも明治44年の大火で焼失し、翌45年に新築されています。

その他、タルタリアぽい建物を

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奥に大きめの工場のような建物が見えます。

隣にレールのようなものも見えます。


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タルタリアぽい建物と左の船はタグボートでしょうか?


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右のカフェ目の大きな建物と、左の日本的木造家屋・歩いている人

全く統一感がない印象です。

地面も雨がふればすぐにぬかりそうな感じです。

天塩川歴史資料館

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上手く撮影できなかったので、

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北海道Style様よりお借りしました。

この建物の下側のコンクリートの部分は不自然な感じがします。

煉瓦の目地を埋めるモルタル(?)が流れだしたり

はみ出している部分もありました。

後からの補修、窓枠工事の施工が粗かったのでは???という感じです。

中に入ると一面の写真と展示が目に飛び込んできます。

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天塩川河口は、サロベツ原野にかけて長く発達した砂嘴によって守られる天然の良港。
明治時代には木材の集積地となり、材木問屋が軒を連ねました。
天塩川流域の木材は、寒冷な気候から木目の詰まった良材で、ピアノやヴァイオリンなどの楽器用としてアカエゾマツが、小樽から船積みされるミズナラが「オタルオーク」というブランドになるなど、珍重されたのです。
明治33年に天塩川に就航した船に長門丸と命名したのが起源で、それから天塩川を運航する舟は、すべて「長門船」と呼ぶようになりました。
天塩川歴史資料館には、天塩川を往来した長門船の復元展示(2分の1スケール)がある

北海道Style

この展示は木材を運ぶ「長門船」です。

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木材を運ぶ馬橇の様子もあります。

私が注目したのは、木造船で賑わう港の奥にあるものです。

もう一度

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写真奥を拡大します

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水平線に近いラインで蒸気をあげる大型船が見えます。

明治33年に天塩川を周航する船に長門丸と命名したとあります。

日露戦争は明治37年~38年です。

はっきりと断定できないですが、

後ろに写りこんでいる船が軍船かと思いました。

留萌から稚内まで大きな港はないと思っていましたが、

天塩(以前はテシホといわれたようです)にも大きめの港が

あったのですね。

歴史資料館の隣のレンガ倉庫

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道北のスタンダード建築?


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豊富温泉の日帰り温泉センターです。

どことなくタルタリアの雰囲気を出しています。

海沿いにオロロンラインを走っていると時々、

こんな感じの建物を目にします。

道北のオロロンラインは 日本じゃない感 が強くあり

樺太・ロシアを感じさせられる場所でした。


本日もお読みいただきありがとうございました。





どうしてこの世に生まれてきたのかをずっと知りたかったのです。 あちらこちらに頭を突っ込んで、楽しかったり、ドツボにはまってもがいたり、 その全ての体験が笑ってしまうほど愛おしい。 これからの人生は、自分流、気ままに楽しく創造しちゃいます。