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「せっかくだから」問題

幼児を育てているお母さんを見ていると、時々、「せっかくだから問題」を知らずに損しているなあと思うことがある。
「せっかくだから問題」というのは私の造語なので、知らなくても当たり前なのだが、言われれば「ああ、あれか!」と誰もが思うに違いない。
おそらく、日本中のいろんなところで起きているので、目撃された方も多いと思う。

説明しよう!
「せっかくだから」問題とは?

子どもを喜ばせてあげたいと思って「せっかく」連れてきたのに、初めての場所に腰がひけて、まったく楽しそうでない我が子に苛立ち、
「せっかくだから、あなたもやりなさいよ」
と体験を強要しようとする行為のことだ。

例えば、初めての海水浴。波が怖くて海に入れない。
例えば、初めてのディスにーランド。思ったより大きなミッキーが、張り付いた笑顔でこちらを向くのが怖くて大号泣。
例えば、初めてのキャンプ。虫が嫌だと文句ばかり。
こんな時、想像したように楽しんでくれない子どもにうっすらといら立つ経験、あなたもしたことないですか?

子どもが連れてきてくれと頼んだわけではないし、喜んでる顔、楽しんでる様子が見たいのは、完全に大人側の都合でしかない。
なのに、
「せっかく連れてきてあげたのに」
の一言で、子供は罪悪感を植え付けられるのである。
「楽しめない自分は、悪い子なんだ。お母さんの期待に応えられない自分はダメな子なんだ」
と。

この「せっかくだから」問題は、たいていの場合、他者との比較から発動する。
「あの子はあんなに楽しそうなのに、どうしてうちの子は、楽しそうじゃないのかしら?」

答えは案外、簡単なのだけれど、「せっかくだから問題」が立ちふさがるため、なかなか気づけない。
「なぜうちの子は楽しそうではないのか」の答えは、対処方法の後に書くことにして、まずは、こちらから。

「せっかくだから問題」への対処方法
1 まずは、あなたが、その場を楽しむ。(私が来たかったから来たのだ。今日、ここに来られてよかったな。と味わう)
2 そして、「早くこの場に馴染んで、楽しそうにして。せっかく連れてきた私を安心させて」という子どもの感情をコントロールしたい気持ちを捨てる。
3 続いて混然一体となりがちな親子の間の感情に、びしっと境界線を引く。 「私は楽しい。子どもが楽しくないとしても、それは、私の問題ではない」連れてきたかったのは私の都合。子どもが私の都合に合わせて、喜んで見せる義務はない、としっかり理解する。
(それが心苦しければ、次回は子どもの行きたいところに付き合う約束をすればいい。だいたい、親という生き物は、子どもに良かれと様々な体験を与えたがるが、実のところ、子どもはいつもの公園で満足していたりする。)
4 そして最後に、手出し口出しを控えて、見守る。子どもからヘルプサインが出るまで、こちらからは何もしない。不安から抱っこを求められたら、子どもが満足するまで抱っこしてあげる。

そうすれば、子どもは親の無言の「せっかくだから」プレッシャーから逃れて、勝手に自分のペースで楽しいことを見つけ、いつのまにか面白がっているものなのだ。
「ほら喜べ」
「早く楽しめ」
と、こちらから何かをやらせようとする限り、子どもはどんな楽しい事だって嫌になる。

大人だってそうなんだから、わかるはず。強制から喜びは生まれない。自発性が楽しみを生み出すのだ。

つまり、「うちの子が楽しそうではないのはなぜなのか?」の答えはこれなのだ。
「せっかく来たのだから、楽しんでほしいという親の思いが、子どもの気持ちをコントロールしようとし、自発的に楽しむことを妨げるから」

ふたを開けてみれば実に簡単。
みんなと同じに楽しんで欲しいという期待を捨て、その子なりのやり方で、面白さを見つけるのをじっと待てばいい。
でも、ただじっと待つなんてつまらないから、あなたはあなたで、子どもに関係なく楽しんでしまえばいいってだけなのだ。
そうすれば「楽しませなくちゃ(こどもの気持ちをコントロールしなくちゃ)」という気持ちも消えて、楽に呼吸ができるようになる。これ、ほんと。

「せっかくだから問題」にやられそうになったら、ぜひ試してみてほしい。

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