子どもの前にまず自分
今から25年まえ、はじめての子育てが始まった時、最初にしたことは、育児の本を買うことでした。
松田道雄先生の「育児の百科」。
「子どもって、こんな風に育っていくものだよ。」
「子どもの病気は、こんな症状から始まるよ、手当はこうしたらいいよ。」
「子どもに必要なのは、気持ちよく遊んで、楽しく食べて、ぐっすり眠ることだよ。」
おじいちゃんが優しく語りかけるようなその本は、不安と緊張しかなかった私の育児を、すこーしずつほぐしてくれました。
何も知らなかったところに知識が入り、子育てのアタマができました。
そして、生後二ヶ月からは、毎日外遊び。
それまで、システムエンジニアとして座りっぱなしでキーボードを叩いていた生活から一転、
子どもの発達に合わせて、立って歩いて走って、まずは足腰が
どんどん重くなる我が子の抱っこで腕と手首が鍛えられた気がします。
怠けたカラダが育児用に作り変えられて行きました。
そんな風に、アタマとカラダは日々の子育てでそれなりに、育児仕様になって行きました。
でも、知識が入っても、
寝かしつけ用の黄金の右腕を手に入れても、
米10キロと子供を抱えてスタスタ歩けるようになっても。
満ち足りない、変わらないのがココロでした。
子育てのノウハウはたくさん本が出てるけど、ワガママ(だと思っていた)自分のココロを「お母さんのココロ」に作り変える本はありませんでした。
「私だって、仕事だけしてたらいいなら、月の残業100時間越えたって働くよ。仕事なんて、育児に比べたら超楽だよ。」
「もう何日も髪を洗ってない。体だってちゃんと洗えてない。子どもを見てもらって、ゆっくり湯船に浸かりたいのに」
「なんで、トイレまでついてくるの?!私が1人になれるところは、この地球上のどこにもないの?」
「君が食べるご飯を作ってるのに、なんで泣かずに待てないの?!泣いたらどんどんご飯遅くなるよ?!お腹空いてるんじゃないの?」
日々のストレスは自分を蝕み、「お母さんのココロ」を育てるどころか、「ヒトのココロ」さえ失いそうな日々でした。
でもね、いまならわかるのです。
「お母さんのココロ」だと私が思い込んでいたものは、世間が押し付けてる「母性」に基づく「自己犠牲の精神」のことだったんだな、と。
「子どものために、自分を顧みずになんでもやってあげられるお母さんが、愛情に溢れた素敵なお母さんだ」と思っていたんだな、と。
子育てには愛が必要です。
でも、自分に犠牲を強いる子育てって、つまりは「自分を愛さない」と決めてる子育てです。
自分を愛さないで、他人を愛することってできると思いますか?
自分と仲良くしている人ほど、子育てが楽しそう。
自分と仲良くしている人ほど、子どもとも仲良くできている。
じゃあ、子育てに必要なことは、自分と仲良くすること?
そう、その通りなんです。(^^)
自分と仲良くなれたら、子どもと仲良くすることなんて、ちょろいのです。
子どもの前にまず自分。
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