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嫌なことを先に終わらせたい私は、なんだか損をしている気がする

子どものころから、夏休みの宿題は、早めに全て終わらせたのち、後顧の憂いなく遊びたい派だった。
給食を食べるときは、嫌いなものから食べ始め、大好きなものは最後に残しておくし、幕の内弁当もそう。
喜びマックスの瞬間を最後に持ってきたいわけではなく、単に嫌なことを残したまま、楽しめない性質なのだ。
「宿題がある」と思うと、それだけでげんなりして、楽しいプールも蝉取りも8割テンションが下がる。
それなら、先に終わらせてしまえ、と思う。

しかし、これが通用したのは中学までだった。
「これは夏休みも、休むなということか?」と思うくらい大量の宿題の出る進学校に行ってしまった私は、解いても解いても終わらない問題集の山を見て、生まれて初めて勉強が嫌いになった。
それまでは、パズルを解くように数学や英語を楽しんでいたのに。

当時は、今からは考えられないくらいの完璧主義者でもあったので「7割できればいいや」とは、とても思えない。
全部終わらせなくては、私の夏休みは来ないのだ、と思い詰め必死に机に向かった。
人生初の彼氏とのデートも「帰ったら宿題があるんだ」と思うと、もう楽しめない。

青春時代が、16歳の夏が、宿題によって真っ黒に塗りつぶされていく。
おっそろしいスピードで進んでいく数学の授業があった1学期より、夏休みの方がストレスで死にそうだった。

「苦しみに終わりがない地獄」のことを何というんだったか、ああそうだ、「無間地獄」だ。
それまで、特に悪いことをした覚えもなかったのに、16歳でその地獄に突き落とされた私は、夏休みが嫌いになった。
そして、嫌いになりすぎて、爆発した。
もういい、全部ちゃんとできないなら、やらない。
宿題なんて、しない!と。

そして、9月1日。
生まれて初めて、宿題を半分だけ終わらせた状態で提出したのだった。
罪悪感で、亡霊のような顔をしていたと思う。
これから、どんな罰が待っているのかと膝ががくがくした。
……先生からは特に何も言われなかった。

考えてみれば、当たり前である。
生徒が死にたくなるほどの量の宿題を、日々の授業の準備もしなくてはいけない先生方が、全員分、ちゃんと見るわけなんてなかった。
特に私は、日頃、まじめな優等生だったので、「ノート数冊に何か文字が、びっしり書いてあるな」程度のチェックしかされなかったはずだ。
やってもやらなくても、どっちでも、たいして関係なかったのである!

何だよ、そうならそうと、先に言ってよ。
私、おかげで、ふられちゃったじゃんよ。

宿題のストレスでキリキリする胃を押さえながら、眉間にしわを寄せ、うつろな目で愛想笑いする女なんて、そりゃ、付き合いたくもなくなるってもんだ。
私だっていやだもん。

私がもし、キリギリスのように、刹那的に夏を楽しめる性格だったら。
宿題なんか後回しにして、うきうきとデートに向かえる人間だったら。
……と時折考える。
だが、持って生まれた性格なんて、そんなに簡単に変わるわけがない。

今も、なんだか損してるよな、と思いながら、天気のいい日に釣りにもいかず、全然楽しくない作業をこなしているのである。
ああ。
先に唐揚げから食べられる人になりたかったよ、ほんとに。

**連続投稿477日目**


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