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女であることの奥深さや愉しみを、ちょっと先で体現してくれている人

長谷川京子がすきだ、女優としての。15歳の夏、ドラマでみた一瞬のワンシーンがいつまでもいつまでも、目に焼き付いて離れないから。

そのタイトルは、『ひめゆり隊と同じ戦火を生きた少女の記録 最後のナイチンゲール』。終戦記念のスペシャルドラマとして2006年に放送されたものだ。

私は子供の頃から、太平洋戦争にちなんだ映画やドラマをよく観てきた。『チョッちゃん物語』『対馬丸』『サトウキビ畑の唄』ーそれはほんの少しの好奇心と、絶対に知らなければならないという心の奥底に燃え上がる使命感のようなものだった

それらのストーリーを追えばとても恐ろしく、何度も悪夢が襲うようでとても直視なんてできないのだけれど、ほんの60年、ほど生まれるのが早ければきっと。私も、そのむごたらしく悲惨な状況に有無を言わさず巻き込まれていたのだと考えずにはいられなかった。

日本人同士の見張り合いや殺し合いはまるで、学校の教室で蔓延している息苦しい空気のようでもあったし、レイプシーンが当たり前のようにでてきて女子供の人権なんてへったくれもないような。こんな恐ろしい世界と地続きになって今の私のいる世界があるんだということ。世間や大人が絶対ではなく、じぶん自身の選択の一つひとつが今日明日の命を繋いでいる。うまく言語化できないけれどそんなことをおもいながら、観ていたのだとおもう。

件のドラマで忘れられないシーンは、主演の長谷川京子と椎名桔平の、鍾乳洞でのセックスシーンだった。すでに負傷して動けない椎名桔平を前に、長谷川京子がまたがって愛を交わす。愛する人が横たわっているところに偶然出くわし、ここは戦場で約束できる明日もない。きっとこのまま彼はここで息絶えてしまう。そんな中、それでも二人、愛し合った証としての明日を残したいって願ったんだろうな。戦場で束の間の静けさの中、暗く輝く鍾乳洞の煌めきと二人の影しか見えないのだけど、それが神々しいほどに美しくてずっと忘れられずにいる

グータンヌーボを始め雑誌やCMなどで、その見目麗しい容姿や話し方にうっとりしてしまうのだけれど。ただそれだけじゃなく女であること、生きると言うことの奥深さや愉しみをちょっと先で体現してくれている女優なんだよなあとおもう。

昨日、原田マハ原作の『本日はお日柄も良く』のドラマを観ていたら、そこにも長谷川京子が出演していた。そこでの彼女は伝説のスピーチライターとして、これまた凛としなやかに強く美しい女性を演じていた。「言葉の力を信じられない人とは一緒に闘えない。私の前から消えて。」なんてセリフも出てくるのだけど、強い信念と深い愛情を持って日々闘っているんだよな、ああもうこういう女性になりたいなああああ!っておもってしまう。

素敵と感じる人に出くわしたらなるべく、その人のどこがいいんだろうって考える。そうすると、なりたいありたい自分像が少しずつ透けて見えてくる気がする。どんな人の、どんな一面に憧れるのか、それをぜんぶかけ合わせれば一人ひとり、オリジナルの理想像ができあがるんだ。理想を言語化するところから具現化する一歩ははじまっているはずだから。

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