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4着35,000円で、向き合えコンプレックス。

寒色の布団にクッション、エレベーターの金属にすり寄りたくなる。クリームソーダのインスタ画像が目に心地よい。汗ばむジャケットを脱いだ先、ノースリーブが目に付くような季節に差し掛かっている。

ノースリーブから覗く女の子の二の腕は、胸の見本帳だと毎夏おもう。同期にマウンティングがてら揉まれている、あの子のたっぷりと白い二の腕は、その先を想像させる。そしてふと、自分の過去にオーバーラップする。

白玉みたいな感触の友人の二の腕を、きもちいい~と揉むことに何のためらいもなかった大学生の夏。あの頃のわたしは、二の腕が随分とすっきりしていて、むしろ二の腕がある程度あるひとのほうが断然セクシーでうらやましいとさえ思っていた。

それなのに社会人生活も5年を過ぎ、ふと気づいたらたくましくムチムチと、育っていた自分の身体。会社の集まりで、写真を撮られたドレス姿に大きな戸惑いを覚えた。他人のことならいいね!と言えたのに、いざ自分がそうなったら、けっこう絶望した。

いつの間にこんな、二の腕もお尻もムチムチしてボリュームが出るようになったんだ、わたしは。自己認識とのギャップに戸惑う。社会人になってからも性徴ってあるのだろうか、いやただ運動不足で太っただけなのかもしれないけれど・・と悶々とする日々。

男の子が読むマンガに出てくるようなおねえさんは、いつだってムチムチしていた。名探偵コナンの蘭、クレヨンしんちゃんのおねいさん、ルパン3世の峰不二子(あんまマンガ読まないので例えが古いかもしれないけど)。ちょっと憧れもしたけれど、じぶんはそんなセクシーな体形じゃないしねとおもっていたのに、図らずも近づいたじぶんはどうすればよいのだろう。

そんな中、デート服をオシャレな男友達に選んでもらう機会があった。選んでもらった服は、見事にボディラインが分かるような素材・デザインのものばかりだった。「え、これ着るの?ほんとに大丈夫?」と何度も聞きながら、私はそのとき悟ったのだ。

コンプレックスを強調するものは、つよい。つんく♂さんなど音楽プロデューサーが売れると確信する曲は、楽曲を提供する「アーティストが嫌がる曲」。それは大衆に親しみやすいダサさであったり、その人の特長にフォーカスした歌詞だったりする。たしか指原莉乃にフォーカスした『恋のフォーチュンクッキー』は、「最初曲を聴いた時に、ほんとにこれ歌うんですか?ってすごく嫌だった」と本人が話していた。

「恥ずかしい」と感じる部分は、その他大多数と比べたときに違いが表れる部分だ。私・・というか日本の女性は結構、じぶんの顔・身体の特長をコンプレックスと認識して隠そうとする傾向が強いとおもう。だけどそれこそが、その他大勢と比べたときに差別化しやすいチャームポイントでもあるのだ。

『五体不満足』のなかに、著者の乙武洋匡さんが自分の身体を「特徴」ではなく「特長」と捉えようとするエピソードが出てくる。前者は良い悪いもひっくるめた目立つ部分を指し、後者は良い部分だけを指す。コンプレックスを特長、つまりチャームポイントだと認識する。それっていいよな。

結局男友達に薦められた服は、4着35,000円を出して、買った。そんでもってちゃんと着ているし、昨日も後輩に褒めてもらった。じぶんの特異な部分を、顔や身体だけでなく能力もひっくるめてきちんと活かすことができたなら。存在を肯定された、宝物みたいな経験に変わるのじゃないかしら。自分自身だけでなく、他の人のそんな経験をつくりだすことができたら幸せだな・・そんなことをおもった。



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