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【保存版】知っておくだけで、城を見る目が変わる構造5選!

めくるめくめぐるの世界へようこそ、書店員vtuberの諸星めぐるです。
みなさん、城は好きですか。
諸星は、城に行くと「どうやって攻めればいいのか」考えてしまうくらいには城が大好きです。
そんなわけで今回は、ときめく日本の城の「見方」を解説します。
次回公開する推城(おしろ)も全部紹介しているアーカイブはこちら!


日本の城の基礎知識


城の歴史を知れ

★はじまりは3世紀


城の歴史は3世紀の弥生時代にさかのぼる。
このころから、貧富の差が生まれ、物資や人を守る必要ができた。
つまり、初めの城は「外堀」にあたる「濠(ごう)」で囲い、集落を守った環濠集落にはじまる。

吉野ケ里遺跡の環濠集落



★武士と籠城と鎌倉時代


鎌倉時代の武士の登場で、楠木正成が籠城戦を成功させたことで、「城での戦い」の戦法が注目される。この当時の城のほとんどは山城(山全体を戦略基地にする)。
木造と土で作られる城の登場である。


つよつよまさしげ


★乱立!戦国時代


戦国時代半ばには城は、「拠点」だけでなく「権力」としての意味合いを持ち始める。
ただし、城もろとも運命を共にするわけではなく、あくまで拠点なので切り捨てることができた。
「外堀」は弓矢や火縄銃の発達により幅が変化している。城下町の登場もこのころ。
石造り・瓦葺はこの時代から主流になっていく。


平山城の代表「岡山城」かっけえ


★三英傑と天守閣


安土桃山時代、安土城という6日しか存在しなかった城の登場から「天守閣」という建物が主流になっていく。この時代の主流は平山城。
ちなみにこのころから江戸の前期まで立てた城の引っ越しというリサイクルはよく行われた。

イメージ安土城かっこよ・・・


★テンプレ化江戸時代


江戸時代には一国一城令が出され、戦略や権力のために築城されまくった城の発展の時代は一度ストップすることとなる。
江戸時代には内部の御殿や装飾が豪華になる傾向がみられる。

太平の世とはいえ、江戸城の作りは「攻めにくい」


まとめ:城の役割


時代と目的に応じて大きく比重が変わるが基本的には
「住居」「象徴」「拠点」「戦略」の目的が存在する



構造を知れ


その1:地形による区分


◎種類
・平城・・・平地に築かれた城。
 ・平山城・・・平野の中にある山、丘陵等に築かれた城。
 ・山城・・・険しい山に築かれた城。


もう少し詳しく説明すると、
山城とは「山を切り出し、地形を利用する『攻めにくい』城である。
基本的な戦国以前の城は山城。山に城を築くことは軍事的防御に有利なため、場所・時代に関係なく普遍的に作られている。
そして、戦国後期になると城下町を伴う平城・平山城が主流となっていく。

平城とは、戦略の拠点となったり、城下町(都市化)の拠点になる城である。
そして、周りが川や沼などの自然の堀でかこまれている。海や湖を埋め立てて造る水城もこの一つ。

平山城とは、小高い丘に築かれた城。防御的な機能と、政務を行う拠点といった役割を併せ持ち、領国を支配する上で、経済の中心的な役割を果たしたとも言える。

日本三大水城の「中津城」の櫓・・・惚れる

主な城の種類の例

平山城の例・・・江戸城、姫路城、岡山城、熊本城。
平城の例・・・名古屋城、駿府城、二条城、広島城。
山城の例・・・躑躅ヶ崎館、一乗谷城。

(外にも建て方によって区分があるのだが、今回は割愛)


その2:石垣


時代によって土塁からうってかわり、石の加工技術が向上し、加工方法だけで3種類に分けられる。
使う意思は近くの地形からとれる岩石が主流
ちなみに、搬送の途中で落とした岩は「縁起が悪いので」放置される。

また、石垣の技術は特に石工集団の「穴太衆」(あのうしゅう)がいた、近江国で発展していた。




野面
ほぼ加工せずに自然石を積み重ねていくだけの、実にシンプルな工法

打ち込み
表面に出る石の角や面を叩き、できる限り平たくしてから、石と石の接触部分(接合面)の隙間を減らして積み上げる方法。

切込接
石材を余すところなく加工したのちに、積み上げていく技法
関ヶ原合戦以降の江戸幕府で主流になる。

石垣の角も良い
石垣の崩落を防止するために、いちばん大切な部位は、角(隅角部)。石材の角は、「櫓」(監視や防御を目的として、城郭内に建てられた建築物)などの建物が載ることが多く、重量がかかってしまうため、崩れやすい部位であった。
そのため、石垣を造る際には、隅角部を強固にする「算木積」(さんぎづみ)という技法が用いられていた。

算木積でしか得られないロマンがあるぞ「江戸城」



その3:櫓(やぐら:矢倉)


古代より存在した櫓は、主に見張り台として使われ、「曲輪」(くるわ:石垣や堀などで囲まれた城の1区画)の隅や門の周辺などに多く建てられた。
中世には「矢倉」と書かれていたことから、矢を置くための蔵が語源と考えられている。
櫓の主な種類には「平櫓」(ひらやぐら)、「二重櫓」(にじゅうやぐら)、「三重櫓」(さんじゅうやぐら)がある。

近世の城では、土塀越しに敵の様子を窺うにはちょうど良い高さとなるため、二重櫓が主流。

1865年ごろの大阪城の櫓は「三重櫓」

その4:天守(てんしゅ)


先述の通り、安土城が初め。
最初は物見やぐらのような意味があったが、のちに「象徴的な」ものとして存在し始める。

主な種類
望楼型 自由度が高く豪華で頑丈な初期天守
層塔型 コストカットで生まれたスマートな天守

望楼型かどうかの見分け方は、「大きな入母屋屋根を持っているか」、「望楼部に廻り縁があるか」、「望楼部の柱や長押(なげし:鴨居の上や敷居の下などの側面に取り付けた、柱と柱の間をつなぐ横材)が見えるか」である。


熊本城の天守はかっこいいぞ



その5:その他オススメ攻防の設備


馬出


堀を挟んで虎口(出入口)の対岸に土塁で小さな区画を設けて、攻守の拠点にした設備。

甲府城の天守曲輪うわあああああ

虎口


入口であり、相手に手段を取らせないための策を練る場所。桝形虎口などの恐ろしい制限もある。

狭間(さま)


塀には、お城の内側で警備する守備兵が敵に身をさらすことなく攻撃できる工夫があり、天守や櫓、塀などの壁面には、「狭間」(さま)という穴を開けられていた。
形は◯や△、□など様々で、形によって武器を使い分ける。
雨の日には火縄銃が使えないため、壁に鉄砲狭間だけが並ぶということはなく、矢狭間と交互に設置されていた。

奥に行くほど狭いから反撃のリスクが減るのだ!!「姫路城」

石落とし


石垣や天守台の隅部は死角になりやすいことが多いため、天守や櫓、門、塀などの床面に造られました。これが「石落とし」。

姫路城の石落としがかっこいいんだ!!!


今回はここまで!
次回は諸星イチオシの日本の城を紹介します!

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それではみなさん、さよなら×3



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