モロ先生の授業「社会のドレスコードたる『DE &I』」
「DE &I」とは、多様性があって、包括性があって、そして『平等』ではなく『公平』な世界
「DE &Iとは何ぞや?」という方もおられると思います。
「DEI」と言ったり、「EDI」と言ったり、地域によって、呼び方が異なるのかもしれませんが、とにかく「D」と「E」と「I」です。
それぞれ頭文字なのですが…
Dは「ダイバーシティー(多様性)」、
Eは「エクイティー(公平性)」、
Iは「インクルージョン(包括性)」です。
これらをまとめて、「DE &I」と言ったりします。
日本でも「女性の社会進出を〜」とかよく聞くと思います。
ただ、おそらく多くの方がチョットだけ間違って捉えているのが、Eの「エクイティー(公平性)」なんですけども、これはあくまで「公平にしようね」という投げ掛けで、「平等にしようね」じゃないんです。
ここ、ちょっとややこしいですよね。
「男女平等」みたいなことを言っているのに、「『平等にしようね』ではない」って、なんか矛盾してるじゃないですか?
でも、矛盾はしてなくて、ここを理解するには、まず「平等」と「公平」の違いをキチンと理解する必要があります。
「平等」というのは、皆に同じだけのチャンスを与えることです。
「公平」というのは、個々の能力に合わせて、チャンスを調整することです。
たとえば、ありえないですけども、僕とるーさんがボクシングをするとするじゃないですか?
僕の方が体重が重いので、当然、パンチ力も強い。
この時、僕とるーさんに、それぞれ同じボクシンググローブを渡すのが「平等」です。
一方で、「諸江の方が体重も重い(パンチ力がある)ので、諸江に渡すグローブは柔らかくして、体重が軽い(パンチ力のない)るーさんに渡すグローブは硬くする」というのが「公平」です。
能力(体格)の違う人に平等にチャンスを与えてしまうと、結果的として、その差は埋まらない(=不平等になる)ので、「平等ではなく、公平にしましょうね」「弱い人は、イイ感じなるようにエコ贔屓しましょうね」、というのが、「DE &I」のEです。
日本だと、ここの整理がグチャグチャになっていて、「公平」ではなくて「平等」が叫ばれていることが多かったりしますが、今、世界的に叫ばれている「DE &I」は、「多様性があって、包括性があって、そして『平等』ではなく『公平』な世界」です。
ブロードウェイでは「DE &I」がドレスコードになってる感がすごい
で、なんで、こんな話を突然したかというと、まぁ、なんとなくここ数年、こういったことを耳にしてきたと思うのですが、ここ数年のブロードウェイの「トニー賞」(映画でいうところのアカデミー賞)にノミネートされた作品の選出が、あからさまに「DE &I」を意識したものだったんです。
言ってしまえば、「DE &Iに触れていない作品じゃないと選ばれないんじゃないか?」ぐらいの勢いです。
たとえば、ミュージカル『ドラゴンボール』をやって、それがどれだけ素敵な作品であっても、『トニー賞』にはノミネートされないんじゃないか?…という。
なんか、「DE &I」がドレスコードになってる感がすごいんです。
もちろん、そんなことは昔から多少あったのですが、ここ2〜3年で、いろんな事件があって、「DE &I」の重要度(存在感)がガチーンと上がっているのは確かです。
日本ではメディアでも、たとえばLGBTが面白いキャラクターのように平気で扱われるじゃないですか?
同時にそれは、「おもしろキャラクター」という逃げ道をつくらないと発言しにくい環境になっている。
これは、やっぱりどう考えても、時代遅れで、「日本にいるから意識が薄れる」は言い訳にならない。
そんなものを言いわけにしていたら、グローバルではとてもやっていけないので、この問題に対して積極的に理解しにいく姿勢を崩さないようにしたいです。
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