服装を考える

今日、この記事を読んでいて、「男性全員がスーツの会社で、女性の中になぜか裸足で闊歩している剛の者が現れて、まもなく社内のドレスコードが定められたのを思い出した。」と思わずコメントをしてしまった。

どこまで自由でいいのかなんて、各々の責任のなかで判断すればいいだけなのだけれど、その判断を分類方法を考えてみた。

そもそも服装とはなんなのか、と考えて始めたときに、制服とか、仮装、という言葉を連想した。そこで、職場の服装という括りではなく、服装、もしくは装うとは何なのかを整理した。


個人の服装
個人が服装を選ぶときの軸は①物理的なパフォーマンス②ペルソナの表明の2つだ。

①物理的なパフォーマンス
物理的なパフォーマンスとは、着心地がいいとか、寒いときに体温を下げないものを着るとか、動きやすいかどうかなどを指している。単に物理的な道具として服装をとらえ、自分を快適にするものを選ぶ。

②ペルソナの表明
ペルソナの表明とは、自分がどうありたいか、どう見られたいか、という軸で選ぶという意味だ。高いブランドの洋服を着るのも、弁護士や金融関係者がスーツを着るのもこの軸で選んでる。仮装をする人は、現実の自分でいたくないのかもしれないし、その仮装したものになりたいのかもしれない。

①と②両方を意識する人がほとんどだけど、真冬でミニスカートでいる人はきっと②よりだし、スウェット上下にサンダルで外出している人は①よりかもしれない。

いずれにしてもみんな①②のグラデーションの中で選んでいて、個人でリスクを引き受けるのであれば(冬にミニスカの人は風邪をひくかもしれないし、スウェット上下の人はその姿を見て眉をひそめる人がいるかもしれない)、どんな恰好であろうと(法に反しない限り)問題ない。


組織の服装
では組織が服装を選ぶ(求める)軸は何なのか。これも軸は2つあって、①組織が定める成果のパフォーマンス②組織のアイコンだ。

①組織の定める成果のパフォーマンス
これは個人の①とあまり変わらないのだけれど、求めるパフォーマンスが個人の快適さではなく、組織にとっての快適さ、すなわち組織の求める成果になる。

だから、社外との良好なコミュニケーションが必須な営業は、顧客が不快に思わない、無難なスーツの着用を求めらることが多いかもしれない(対象顧客によってはネクタイも必須になる)。

一方、社外に出ることのないプログラマーであれば、成果は良質なプログラムなので、プログラマー個人がプログラミングをしやすいという観点のみから服装を選べば良くて、結果個人の①とあまり変わらないものになるかもしれない。ただ、同じ組織の人が不快に思うような恰好は、周囲の人の成果を落とす可能性があるので、避けるべきだし、禁止されるだろう。

②組織のアイコン
これはこの服装が組織そのものを表す。例えばサッカーチームのユニフォーム。選手が試合中ユニフォームを着るのは、もちろんルールによるものなんだけど、ユニフォームはチームを象徴している。

サポーターは、(意識的・無意識的に関わらず)チームへの忠誠心や帰属を内外に示すためにユニフォームを着て応援するし、優勝するとユニフォームに星をつけるのは、そのユニフォームを着ること(=チーム(組織)に所属すること)に誇りを持たせることができるからだ。

制服もそうだろう。制服を着用させることで、帰属意識と、(その組織が好きであれば)矜持を与えることになる。


冒頭の話に戻ろう。

カジュアルな服装OKの職場で着る服は?
悩んでいるということは、組織のアイコンのような服装はないのであろう(あればその服装になれば問題解決)。職場という組織にいる以上、組織の成果が最大になるような(組織の軸①)個人の服装の枠組みを中で、個人の軸①②のバランスを好みで配分すればいいだろう。


ちなみに僕は長い休暇明けに髭を生やして出勤したら、上司に軽くたしなめられたのでやめました。この件のあとで社内のドレスコードの変更はなかったと記憶している。

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