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新たな森へ。人間にしびれる。

今月から新しい森に出入りしています。

で、その森。とにかく気持ちが良いんです。合う合わないもあると思うんだけど、バランスが凄く良くて。風や水や光の脈、植物たちの関係性、信頼関係、微生物たちの動き、生き物たちの循環、植物の利用、重金属の影響… みんながとにかく優しい。

こんな森は初めてだから、最初の頃は観察することも忘れてただ味わっていました。きっと疲れていたこともあって。

毎週の様に行っていたら、少しずつだけど観察する様になって。

気持ち良さの答えはシンプルでした。

その森に出入りしている人間はただ1人。

この森に誘ってくれた人。

誰も入らなくなった森を無理なく手入れする人。

その人と一緒に入っていたからでした。そのお手伝いをさせてもらいながら。

昨日も、夢中で森と関わっていて。「お腹へったから、ご飯にしよーよ」と言ったら、「じゃ、今日は大きな木の下でご飯食べよう」と。

でん。

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アサダという木の下で。この木を褒めたり感謝しながらランチ。

お湯沸かしセットは持ってきたのに、コーヒーを忘れちゃうご愛嬌を持ち合わせる山男と。

すっかり気温が高くなってきていたから、この優しい巨木がもたらしてくれる日陰が気持ち良くて幸せな時間でした。

彼は全てに対して優しくて、ただただ一生懸命で、つまり欲がなくて。

楽しいとか守るとか、そんか概念で動いてなくて。ただただ森に対して自分の役割を愚直に続けている、本質を生きる人。

森との関係性が、ほんの数年前に始めた私なんかとは比べものにならない程に強固で柔軟で。いや違う。もう森の一部として認められて動いている人。

菌打ちして、やっと出てきたキノコをカモシカが食べてくれたと嬉しそうに話す人。

汗だくで採取した山菜を、全部あげちゃう人。

森で起こる現象を、感情の波風なくただシンプルに現象として捉える人。

森だ。山かな。もう人間じゃないんです。少なくとも私が今まで出会ってきた人間ではない。

憧れとか尊敬を超えた、すごい人。

どんなに動いても疲れたとは言わず、適度に休んだらまた動く。

近くに日帰り温泉があるのに、1度も行った事がないと笑い、それよりも森や畑に向かう。

少し行くと蛍で有名な湿原があるのだけれど、行った事がないと言う。「夏は暑いから日が落ちてからヘッドライトで畑仕事するんだよ。そうすると、蛍があっちから来るんだ」だって。

しびれちゃう。

きっとだけど。知足というより、全て在るんだろうな。もう自然界が放っておけない存在だから、既に在る。満たされている。

世界中に偉人と言われる人は大勢います。有名な賞をもらったり、表舞台で活躍したり、ドラマになったり。英雄と呼ばれる人も大勢います。革命を起こしたり、民衆の意識を変えたり。

でも、私はアマのジャークだからかな。こんな山男に惹かれます。こんな凄い人に会わせてくれた自然界に感謝。

その時だけ祈る様な関わりじゃない。もう彼はずーっとやってんの。伝えるとか広げるとかじゃなくてね、彼は行動を通して経験という宝から結果を出している。それは彼の当たり前の日常で、既に祈りを超えた動きとなっている。誰に言うでもなく、認められるでもなく。で、本人は私がこんなに感動している事も知らずに飄々と続けている。

ビリビリ。びりびり。あぁしびれちゃう。

何十年も続ける。自分の役割を愚直に続ける。私はそんな彼に感謝の光を照らしていきたい。


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