見出し画像

水樹奈々ライブ最前列はオタクが見えないからよい。/ライブ感想


煽りではない。

すまない、ややイキッたタイトルをつけがちなのは、ぼくのわるい癖だ。許してほしい。

最後まで読んでもらえれば、ただの最前列至上主義ではないことがわかってもらえるはずだ。

さて、いきなりいい訳からはじめてしまった。このテキストでは、「NANA MIZUKI LIVE EXPRESS 2019」静岡公演初日について書いている。1曲だけネタバレも含むので、閲覧は自己責任でお願いしたい。

突然ではあるが、ぼくには集中力がない。
以前、ほかの記事でも詳しく書いたが、ライブ中もすぐに気が散ってしまったり、ほかのことを考えてしまう。お気に入りの曲がいつの間にか終わっていた、なんてこともざらだ。

おそらくそれは、情報を拾いすぎているがゆえに起きる現象なのだと思う。
つまり、目に入ったもの、耳に聞こえたものをつぎつぎと大脳に取り込んでしまう。好むと好まないにかかわらず。

んでもって、本来観るべき対象から注意をそらしてしまう。もちろん、今回の場合は、その対象とは「水樹奈々」のことだ。

べつにぼくの視野が広く、たくさんの情報をまとめて処理できる優秀なCPUを搭載していると自慢したいわけではない。

むしろ、逆である。

いろんなノイズに気が散らされてしまうがゆえに、本来の目的物がターゲットスコープから消えてしまう。「Crystal Letter」(水樹奈々の楽曲。いちばん好き)を聴きに来たはずなのに、気づけばつぎの曲に進んでいる。そんな悲劇が起きる。

では、この場合の「ノイズ」とはなにを指すか?

簡単である。
オタクだ。

油断すると、ぼくの注意は水樹奈々からオタクへとスイッチしてしまう。なんという悲劇であろう。

たとえば、今回の水樹奈々ライブチケットは、指定席で7900円である。
そして、水樹奈々のライブは通常、3時間ほどである。つまり、1分注意をそらすだけで、

「7900÷180分=約43円」

の損失を計上するハメになる。

勘違いしてほしくないのは、ぼくはべつにオタクの存在を糾弾しようとしているわけではない。
また、ぼくの集中をそぐ人間を、いわゆる、「厄介オタク」とカテゴライズして、攻撃する意図もない。

これは、あくまで、ぼく自身の問題である。
もっといえば、ぼくと水樹奈々の問題である。

そんな問題を抱えたぼくであるが、静岡初日、なかなかにおもしろい座席を引き当てた。

スタンド席。
もっともステージ寄り最端の最前列。

ライブ慣れしていない人にはピンと来ないかもしれない。図で表現してみる。

やや狂気じみた図になってしまった。
わかると思うが、満面の笑みがぼくで、歌っている女性が水樹奈々だ。

これがステージ向かって、右手のスタンドである。エコパアリーナにはバックスタンドが存在しないので、あとは左手にも同様のエリアが存在することになる。ステージを両サイドから挟む形だ。

そしてこれは大切なポイントなので強調しておきたいのだが、スタンド席はアリーナを取り囲むようになっており、その端っこ部分ーーつまり、ぼくがいたエリアは、アリーナよりさらにステージに向かって突き出た位置にある。
出島や半島型になっているといえば、伝わるだろうか?

単純な距離感でいえば、
「ステージ→スタンド最端ブロック→アリーナ最前列」となる。

べつにステージにより近いから、アリーナ最前列よりいい席である、といいたいわけではない。
臨場感や画角などを勘案すれば、アリーナ席のほうが総合的には上回るであろう。

むしろ、ぼくがいいたいのは、距離がもっとも近いというのはつまり、水樹奈々とぼくを遮る要素が存在しないということである。

ライブにおける距離の近さというのは、どうしても慣れがでてしまう。
最初は近い近いとはしゃいでいても、順応してくれば、それがあたりまえとなって感動が薄れる。

むしろ、ステージから遠い席にいながら、不意に推しが接近してくれたほうが、よろこびは大きい。

ライブにおける推しとオタクの距離とはあくまで、相対的な概念なのである。

だからこそ、距離そのものではなく、距離の近さによって生み出される、遮蔽物のなさに着目したいのだ。

まだピンと来ないかもしれないが、これは、マジにすごいことである。

ふつうにライブに入ると、どうやってもオタクの後ろ姿を拝むことになる。
たとえ、アリーナ最前列にいても、横一線にオタクがいるのだから、どうしても無意識に、横にも意識が向いてしまう。

しかし、ぼくがいた席はほんとうにあらゆる意味で、水樹奈々から注意をそらす存在がなにひとつなかった。

ほかのオタクのコールや叫びは、むしろあまり聞こえない。非常に孤立した空間であった。

その点、連帯感は味わいづらい。みんなで盛り上がりたい人には向いていないかもしれない。
まるで、オタクにとっての精神と時の部屋である。

そこでひたすらに音に浸る。
なんというか、もろに水樹奈々を浴びるーーそういう感覚であった。

ひたすらに一対一。
ほかになにものも媒介しない形で、水樹奈々の歌を受け止める。すさまじいエネルギー量である。

それがいちばん強烈な形で顕現したのが、ライブ後半で披露された「Astrogation」である。

この曲に関しては、「LIVE EXPRESS」ツアー初日に参加したあと、詳細に検討を加えている。

ここではとりいそぎ、それくらい大好きな楽曲である、とだけ理解しておいてくれればオーケーだ。

そんな大好きな「Astrogation」を歌うとき、水樹奈々はステージの端っこまで来てくれた。

メインステージは両端の部分が、真ん中よりやや高くなっている。おそらく、後方のオタクへの配慮であろう。

しかし、水樹奈々はその両端部分を、今回の公演ではあまり使ってこなかった。

いちどバックバンド・チェリーボーイズの紹介コーナーの際に、サックスの藤陵雅裕が端っこまで来て、パフォーマンスを行っただけだった。なおそのとき、水樹奈々は衣装チェンジのため、不在であった。

そのときでも、あまりの近さに少しギョッとしてしまった。そして、同時に、「これは水樹奈々が来ると大変なことになるぞ」という予感に震えもした。

そして、来た。「Astrogation」。
くそ長いnoteを書くほどに大好きなーーいや、今夏のツアーでより大好きなった楽曲。

本日の、「瞬間最大水樹奈々」である。

それを目の前で浴びる。冷静でいれるはずがなかった。
連番者が目の前に来た水樹奈々を、「質量のある水樹奈々」と評したが、極めて的確な表現である。

ライブは生のエンターテイメントである。
しかし、距離が一定以上を越えると、ぼくたちは推しを実体としてとらえられなくなる。

極端にいえば、モニターを観ているのと、家でブルーレイを観ているのと変わらないかもしれない。

実体と虚像の境界線がどこにあるのかはまたいずれ検討したい課題ではあるが、ともかく。
ぼくと連番者は、水樹奈々を質量ある実体として完璧に認識することができた。

さらに、「Astrogation」は、前掲の記事でも分析しているとおり、「君とぼく」の関係性を極限までスケールアップした楽曲である。それを、目の前で、極限までスケールダウンした規模で正面から浴びる。

なにがなにやら、わからない。
サビの頭で水樹奈々は、「感情がハジける」と歌うが、それどころではない。こちとら、いろんな思いが交錯して、感情がぐっちゃぐちゃである。

さらにさらに、ぼくはほんとうに感情がハジけたとき、感動がマックスに達したときは、ペンライトを振ることも盛り上がることもできない。
ただただ忘我の表情を浮かべて硬直してしまう。キモい。

しかし、目の前にいる水樹奈々は煽りまくってくる。「跳べ」と身振りで示してくる。跳ぶ。
けれども、ぼくの感情はもはやオーバーフロウしており、運動神経は信号を受けつけない。シナプスがショートする。

かくしてぼくは、混沌に突き落とされた。

水樹奈々は、「君との距離をワープしたい」と歌う。まずい、これ以上距離をつめられたら、ぼくはまちがいなく死んでしまう。

………………………………は。

思い出すだに、めちゃくちゃに消耗する瞬間だ。
文章もつられてトリップしてしまった。お見苦しいところを見せてしまい、すみません。

昨日につづき、今日もまた静岡でライブである。
今日はアリーナ席である。思いっきりはじけられればいい。楽しみましょう。

(終わり)

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
note.user.nickname || note.user.urlname

サポートは声優雑誌のバックナンバーなど、資料代とさせていただきます。 また、ツイッターにて更新のお知らせもしております。 フォローいただけますと幸いです。 @crystal7letter また、お楽しみいただけた場合は、各種SNSでの拡散もお願いできますと幸甚です。

励みになります。
49
声優、読書(ミステリ中心に全般)、日本語ラップ、が好きな都内の会社員。20代。読みやすい文章を心がけてます。主なコンテンツはオタク長文と日記です。ツイッター:@crystal7letter 連絡先:nanashi.note.nanashi☆gmail.com (☆→@に)

こちらでもピックアップされています

オタク長文
オタク長文
  • 103本

水樹奈々やオタク全般についてのまとめです。オタク長文だけ読みたい人は、これをフォローすると捗る。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。