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水樹奈々を覗くとき、水樹奈々もまたあなたを覗いている。/MV「絶対的幸福論」another ver.


泣いている。

なんで泣いてるのかといえば、「絶対的幸福論」MV(ミュージックビデオ)のanother ver.を観て泣いている。

その勢いのまま、僕はこのテキストを書きはじめた。
いいたいことがうまくまとまるかはわからない。

というか、おそらく失敗するだろう。
けれど、いま・この感動を、書き留めておく必要がある。
そう思ったからこそ、筆をとった。
お付き合いいただけるとありがたい。

まず、非オタク向けに説明しておく。
本日、水樹奈々のMV集『NANA CLIPS 8』が発売された。

公式のダイジェストを張っておく。
こちらの3分12秒くらいから、今回のテーマである「絶対的幸福論」another ver.を観ることができる。
観ていない方は、ここで雰囲気だけでも掴んでおいてほしい。


ディスクには近年のシングル楽曲のMVと、出演CMなどが収録されている。
そこに、「絶対的幸福論」という楽曲のMVが新規収録された。

しかし、この曲、実はすでにMVが製作されている。
便宜上、そちらをオリジナルverと呼ぼう。
こちらは、公式のショートMVが存在する。

もちろん、オリジナルverも『NANA CLIPS 8』に収録されている。
つまり、ひとつの楽曲のMVが2パターン製作、収録されたことになる。

これは水樹奈々にとっても、音楽業界にとっても、めずらしいことのように思える。

いちおう、かつて「エデン」という楽曲でべつバージョンがあったが、オリジナルバージョンと大きな差異を見出すほどのものではなかった。

今回のように、まったくべつのシチュエーションで撮影することは、水樹奈々史上はじめてのことである。

そして、僕は「絶対的幸福論」が大好きだ。
好きがあまって、以前、歌詞についてクソ長いオタク長文を書いたほどだ。
リンクを張っておく。興味がある人はのぞいてみてほしい。

それだけ、好きな楽曲だからこそ、同時に疑問に思った。

なぜ、わざわざ新しいMVを製作する必要があったのか
楽曲だけでは、オリジナルverだけでは、伝えきれないことがあったのか?

それをたしかめるべく、僕は購入後、さっそくanother ver.をチェックした。そして、泣いた。大いに泣いた。
これが、冒頭の涙の理由である。

今回はその理由を語ってみようと思う。
本題に入るのが遅くて、ほんとうにすまない。

そして、さっそく結論を提示する。

「絶対的幸福論」another ver.の最大の肝は、カメラである。
もっといえば、どこから水樹奈々を撮っているか。
これが、最大のポイントだ。

ここからはMVに沿って説明する。
まず、カメラの位置に注目してほしい。

もっといえば、このカメラは、誰の視点で水樹奈々を切り取ったショットなのか。
それを意識して、映像をみてほしい。

MVの状況を簡単に説明する。
海岸沿いにたたずむ水樹奈々。
彼女は、穏やかな表情で景色を眺める。

最初にちらりとこちらを見たかどうか微妙な仕草で、「絶対的幸福論」を歌いはじめる。
視線は一か所にとどまることはない。
あちらこちらと飛び回る。

その様子は、具体的な場所を見ているのではなく、なにか思いをめぐらせているようにもみえる。

これは、このテキストにおいてかなり大切な点である。
よくよく覚えておいてほしい。

水樹奈々本人はその様子を、3月18日放送の冠ラジオ「Mの世界」のなかで、「プロポーズ前で緊張している男性」と語っている。
納得できる表現である。

そのまま1番を歌い、楽曲はサビへと進んでいく。
カメラは多少の動きはありながら、ひきつづき横から眺めるショットだ。
水樹奈々は相変わらず、海岸線を眺めている。

やはり、カメラを見ようとしない。
目力で勝負するタイプである水樹奈々において、これはかなり異例なことのように思える。
そのまま、サビへと突入。

そして、そのときが来た。

不意に水樹奈々の視線がこちらへと向けられる。
水樹奈々が、カメラを――その先の僕たちを、見るのだ。

いままで、まったくこちらを見なかったのに、突如、まっすぐで強い視線が僕たちを射抜く。
初見時、ここにドキッとしたオタクも多いだろう。

そのときになって、はじめて僕たちは気づくだろう。
このショットは、水樹奈々を見守る大切な人の視線なのだ。そして、主観ショットでもある。
先ほど水樹奈々が「プロポーズ」と表現した意味が、がぜん重みを増す。

本人は、MVの登場人物である「水樹奈々」自身を男性と語っていたが、視聴者はそれぞれの恋愛対象の性別でイメージすればいい。

なぜなら、「絶対的幸福論」はステレオタイプの男性・女性の役割分担を否定して、リベラルな相互扶助の関係性を歌った楽曲だからだ。

しかし、視線がこちらに向いたことに果たしてどんな意味があるというのか。
まだ、ぴんと来ていない読者がほとんどだろう。
もう少し詳しく説明しよう。

くり返すが、「絶対的幸福論」another ver.には主観ショットが使用されている。
主観映像と表現してもいい。

誰かの一人称視点は、そのままカメラが切り取った映像となる。
ゲームでいえばFPS、ホラーでいえばPOVである。
そんな撮影技法である。

辞書的な意味を確認しよう。

【主観映像】

《point of view shot》映画などで、登場人物の視点で撮影された映像。登場人物の視界を視聴者が共有できるため、現実感があり、迫真性が高い。ホラーやドキュメンタリー風の作品などで用いられる。POVショット。主観ショット。視点ショット。

あるいは、いま流行りのいいかたをすれば、VR映像と表現できるかもしれない。

いずれにせよ、視聴者の視点と、登場人物の視点が重なっている映像といえる。

しかし、主観ショットであること自体は、たいしてめずらしくも、新しくもない。
それだけで、僕はこんなに暑苦しいテキストを書こうとは思わない。

では、なにがそこまで僕の心を震わせたのか。
簡単である。

主観ショットであることが明らかになるタイミングが天才的なのだ。

もっといえば、「絶対的幸福論」の歌詞において。
水樹奈々がどのフレーズを歌っているタイミングで、カメラ越しに僕たちを見るのか。

水樹奈々の視線がこちらに送られる(贈られる)。
そのときはじめて、僕たちは、主観ショットであることに気づくのだ。

では、そのタイミングとはいったい全体、いつなのか。

手もとに映像がある人はぜひ確認してみてほしい。



どうだろうか?
もう僕のいわんとしていることが伝わっただろうか?
引っ張っておいてもしかたない。答えをだそう。

該当のシーンは1番のサビに登場する。

水樹奈々「絶対的幸福論」

幸せになりたい
幸せにしてあげたい
のそばにいたい
僕のそばにいて欲しい

そう。
、である。

水樹奈々は君と歌った瞬間、こちらを見るのだ。

僕の涙腺はその瞬間にスパークした

……すまん、すまん。話を急ぎすぎた。
もう少し言葉を重ねないとわからないだろう。
そのために、楽曲の性質を駆け足で紹介する。

「絶対的幸福論」はラブソングである。
あるカップルの、あるいは夫婦の強い愛を歌い上げた楽曲だ。

しかも、女性が男性に、経済的・社会的・人間的に依存する楽曲ではなく、互いを支え合う相互扶助の関係性にあることがすばらしい。
先の記事は、そういう意図であった。

当然、その愛はある特定の個人に注がれる。
つまり、そこに普遍性はない。どこまでも特定の相手が想定されている。
これはラブソング一般が抱える構造的な特徴である。
いや、構造的な弱点と呼び変えてもいいかもしれない。

そのことに水樹奈々自身も、気づいているようだ。
本人のインタビューを引用しよう。

インタビュアーが「絶対的幸福論」について、「ここまでむき出しの“人間・水樹奈々”が見えてくる楽曲はなかった」と表現したことを受けて、こう語っている。

私が歌うバラードは、例えば「愛の星 -two hearts-」(2014年4月発売の10thアルバム「SUPERNAL LIBERTY」収録曲で、アニメ映画「宇宙戦艦ヤマト2199 第七章」エンディングテーマ。参照:水樹奈々「SUPERNAL LIBERTY」インタビュー)のような壮大なものだった(後略)

(ナタリーインタビュー「水樹奈々「急」「実」「驚」な2016年と”新三世紀”の創造」より)

そう、壮大なのである。
そこには個人から個人へのごく私的な想いではなく、もっと人類全般世界全体への普遍的な愛が込められている。

当然、オリジナルverのMVにも、それが強く反映されている。

──ワンカットは大がかりな撮影ともまた違った大変さがあると思うのですが、いかがでしたか?

心を丸裸にしないと歌えない曲なので、なるべく私の目線の先に人がいないように(笑)、カメラマンさんがすごく気を遣ってくださって。MVを撮るときはすごく大人数なんですけど、私と画面の向こうにいるパートナーの2人だけという世界観を作るために、機材は固定させて、誰もいない状態を作ってくださったんです。

せっかくなので、「NANA CLIPS 8」内の言葉も引用してみよう。
水樹奈々はオリジナルverのMVの意図をこう語っている。

カメラを大好きな人と思って、カメラじゃなくて大好きな人に向かって、恋人同士の距離感で歌っているような(気持ちで撮影している)
(「NANA CLIPS 8」収録「絶対的幸福論」メイキング映像より)

ふたつの本人証言からも、「絶対的幸福論」は私=水樹奈々と、パートナーのふたりだけの関係性について歌っているといえそうだ。

しかし、そのままでは、すべてのリスナーと「絶対的幸福論」は無関係の楽曲という結論になってしまう。

くり返しになるが、これはラブソングの構造的な弱点である。
それを回避するため、いま僕たちはひとつの手立てを講じる必要がある。
というか、一般的なリスナーは自然にラブソングを聴くときに、実行している手だ。

つまり、僕たちはラブソングを聴くとき、その歌い手がイメージしている相手の存在をいちど無視して、自分に引きつけて考えているのだ。

自分の恋愛経験に照らし合わせて、楽曲のメッセージを受け止めるのだ。
少々ディテールが異なっても、自分のなかの類似の恋愛経験を参照する。
細かな差異は、この際、無視される。

なぜなら、そうでもしないと、楽曲中で歌われている情景に、感情移入することなど不可能であるからだ。
僕たちは、水樹奈々の恋人ではない。
あたりまえに。当然に。

ラブソングを聴くとき、実は僕たちはそういうややこしい回路を経由している。
そうしてはじめて、僕たちはそこで歌われる恋の情景に、共感することができるのだ。

しかし、「絶対的幸福論」のMVは、それを力業で乗り越える。乗り越えようとする。

すなわち、「君」と歌う瞬間に、「あなた」を見ることによって。
すなわち、「君」と歌う瞬間に、「あなた」に視線を送ることによって。

ポエミーな表現に頼ってしまった。
しっかりといいかえよう。
歌詞中の「君」が、主観ショットを通過することにより、MVを見ているオタクたちと直接接続される。

そこに、ややこしい魔法の回路は必要ない。
ただ、視線ひとつ、あるのみだ。

歌詞中の「君」と、MVを見ている僕たち――オタクがイコールになる。
この関係を先ほどの歌詞に代入する。

でも、どんな時も僕=水樹奈々を支えてくれた
君=オタクがいるから僕=水樹奈々は強くなれた

僕=水樹奈々を支えてきた、オタクたち。
オタクたち=君がいるからこそ、僕=水樹奈々は強くなれた。

お気づきだろうか?
先ほど指摘したラブソングが抱える構造的な弱点。
すなわち、特定個人へのメッセージという性質が、一瞬にして、大きな普遍性を帯びたことに。

ことここにいたって、「絶対的幸福論」はラブソングではなく、支えてくれたオタクへの感謝を歌い上げた楽曲へと進化を遂げた。

書いていて、すでに僕は泣きそうだ。
というか、ちょっと涙ぐんでいる。

ほんとうに気持ちわるい。
どうか笑ってやってほしい。

これは、MVに感動した、ひとりのオタクの妄想ではない。
水樹奈々自身、この構造を意図して操作している後が見える。

今年1月に開催された『LIVE GRACE 2019
-OPUS III-』のダブルアンコールにて、水樹奈々は「絶対的幸福論」を歌った。

まだ映像ソフトがでていないので、正確な引用ではないが、このとき水樹奈々はMCで「絶対的幸福論」をファンへの感謝という文脈に置き換えている。

その直後に披露される「絶対的幸福論」を聴いて、オタクたちが水樹奈々からのメッセージとして受け取るのも、無理からぬことであろう。

MVのつくりかたといい、MCの文脈づけといい、実に巧妙である。
あたりまえだが、めちゃくちゃほめている。

「絶対的幸福論」another ver.はそんな水樹奈々の巧妙さが味わえるMVである。

とくに、視線の使いかたが天才的だ。
最初のポイントしか紹介できなかったので、残りはオタク自ら確かめてほしい。

いやあ、ナナクリ、買ってよかった!

(終わり)



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