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Reflection Journal 2019年11月3日 夜

3泊4日のワークショップに参加している。ワークショップに参加することで、3食食べたり、お酒を飲んだり、昨日は久しぶりに2次会に参加した。


1.「自分を見つめる旅」に参加して
非常に事前準備がなされており、夜の食事や朝食も練りに練られて、半分観光のようである。
また、潜伏キリシタン(隠れキリシタンとは分けているようだ)に関する歴史的な建物や、歴史を知ることで、新しい情報をインプットできた。

1つの情報としては、キリスト教の弾圧が終わった後も、隠れキリシタンとして最近まで集落が存在していたようだ。どうして、そのような選択をしたのか定かではないが、習慣の伝承・守り抜いてきた文化・既に宗教として形を変えていたなど諸説あるらしいが、その形をつい最近まで残してきたことが新しい情報発見であった。

しかし、過去の歴史は誰かが文章にしたものであり、その当事者の本当の気持ちは分からない部分もあり、1つの情報を受け取った。


2.ワークショップに参加して
非常に注意していたが、やはりワークショップの型に自分をあてはめようとして、逆に自分を見失うワークショップになってしまった。

ちょうど、自分を見つめる3時間の前に、S氏からメッセージがあり、

「やはり、まだ人としての自分に囚われている、、、そんな印象です。では、人ではなくて何なのか?
要は、肚とそこにある高次の意識や感覚、それらが本来を教えてくれます。
哀しみは、人間体験をする上で、ベースとなっている記憶。それを読み替えることも、解消することもできません。
要は、哀しみという記憶のエネルギー構造を理解して、そうだったんだ!と氣づききったとき=受け容れたときが、変わり目となります。
今は、その感覚と同居しながら経験を進めることで、ご自身を知る足掛かりとなるはずです。」

というメッセージが目に留まった。

午前中の対話の時間で自分が話をしたことは、「嘘」だと気づき、そして「哀しみ」が浮き出たことを、3時間振り返る時間にあてた。ワークショップに参加すると飾る自分、発表のときに意図しない言葉ができる自分に気づく。

主に出てきたことは2つ。

①社会が変わらない哀しみ
何かを変えようとする気はさらさらない・歴史を作る気もさらさらない
何かを意図してやる気持ちがないことを受け入れること
本当は、色々なことがチョーどうでも良いことに気づくこと

②哀しみというより寂しさ
人に合わせようとして、合わすことができなく、独りぼっちになる感覚
多様性の理解の前に、自分の独自性を認めること
完全に孤独になることを恐れないこと。何かにまだ執着があること


3.五島列島
五島列島で少しできたネットワークは良かった。忘れないよに、記しておく。
①五島ゲストハウス 雨通宿 夜はbarになっており地域の交流も図れる ふーさんという移住を口説くのが上手なおじさんがいる
②福江島奥浦町の古民家一棟貸しの宿
https://the-cove.jp/
③廣瀬 健司 写真家でもあり、地元の人からしっかり話を聞かれている方
④朝がゆ 金木犀 ここは明日の夜に行ってみよう。
⑤宿泊したホテル
https://serendiphotelgoto.jp/
⑥話は変わるは船舶2級を取ろうと思う。イカ釣りに行ってみたい。

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