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【京丹波町】村人と共に築かれた「中畑城」


こんにちは!京丹波町担当ライターのみゆぞーです!

今回、京丹波町口八田の山城にある、中畑城跡に登ってきました!
標高差約100m、道のり約500mの登城道。
ちょっとした登山をする必要があるのでスニーカーを履いて準備をします。

村人と共に築かれた「中畑城」

築城年代は不明ですが、那須与一の末裔とされる北一ノ正(きたいちのかみ)によって築かれたと推測されています。
南北朝時代に北道氏(きたみちうじ)の代に、本格的な山城として改修されました。

保存の取り組み


1985(昭和60)年に、“我が地域の貴重な文化遺跡として守らなければならない”と「中畑区」が立ち上がりました。

1991(平成 3)年には『中畑城跡保存委員会』を設置。

本丸跡や東の丸、西の丸跡の整備、また城戸口を始め、山城ならではの城郭の整備や補修など保存に向けた取り組みを開始し、現在に至っているそうです。


看板に沿って登っていく

のぼり道は分かるだろうか?と不安になりながら辿り着くと、旗や看板が立っていてすごく分かりやすかったです。


入り口には中畑城のパンフレットや、登る時に使える杖も置いてありました。

パンフレットはA4判の三つ折りのもので、山頂までの道のりにある三つの神社や城郭の位置をイラストで紹介されています。


黒板の文字も昨日書かれたものかと思うくらいくっきり。とても綺麗です。
これほどまでにしっかり整備されているとは..!
観光で来られる人をしっかり歓迎されている感じがしますね。


そしてこちらが登り門です。扉を開けて入っていきます。若干入り口の草木は険しかったですが、なんだかジブリの世界に入っていくような気分になりました。

のぼり道

中世の山城の特徴



中畑城を登っていると、まだ鉄砲が伝来していない時代の戦術を垣間見ることが出来ます。

鉄砲は、1543年種子島に伝来したといわれていますが、中畑城はそれ以前のお城であったため、敵が攻め入ってくる唯一の飛び道具は矢でした。


そのため、中畑城の登城道には「矢』にする矢作があちらこちらに育てられていました。

その『矢作』は現在も部分的に残っています。


また多勢の敵が一気に攻めてこれないように「落とし穴』もありました。


「落とし穴」の形跡も数個のこっています。


この落とし穴を掘って、敵を足止めをしたのですね!
実際には、この落とし穴が見えないように落ち葉などで隠されていたのでしょうか?
私ならまんまと落とし穴にハマってしまいそうだなあと思いました。笑

中世の山城の戦術は当時ならではの工夫がなされたものだったことが実感できます。

頂上がみえました

歩いていくこと数十分、中畑城ののぼりがたくさん立っているここが頂上です。

登り切ったところから見た景色

農村部を見渡すことができ、良い眺めでした。

中畑城の位置は、西は氷上の国(現丹波篠山市)、北は丹後の国、南は京の都との交通の要所であり、生活文化の交流点として大変重要な存在であったようです。

当時の様子はこんな感じだったのかなと想像させるイラストもありました。



登城記念に 話題の「御城印」を集めてみませんか?

「須知城(しゅうちじょう)」「中畑城(なかはたじょう)」の御城印及びそのほかのグッズを京丹波町観光協会にて販売されているそうです。
金ピカに光る御城印もあり、かっこよかったです!


春には桜も綺麗です


訪れる方々を迎えるため、また区民の憩いの場ともなるように山頂や城郭跡には桜の木の植樹を行われたそうです。
春には美しく満開に咲き誇っているそうなのでぜひとも今度は春にお花見がてらに登ってみたいものです。

中畑城観光問い合わせ先

京丹波町観光協会(観光案内所)
電話番号 0771-89-1717

メールアドレス info@kyotamba.org

営業時間 9:00〜17:00
定休日 年末年始(12/29~1/3)
所在地
〒622-0213
京都府船井郡京丹波町須知色紙田1番地1(丹のまち広場うるおい館内)

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