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【ダイナー/小説感想】聞いたことのないはずの暴力音が、頭の中で生々しく再生される……

ハイウエストのパンツを履いたら、なんだか苦しい。肥えたサイン。
スナック菓子をつまみながらゴロゴロしてた正月休みのツケと思われる。

こういうとき手に取るのが、小説『ダイナー(平山夢明著)』。
これを読んでる間だけは、食欲がげっそり落ちる……。
今回で3周目ということもあり、せっかくなので紹介してみることにした。

【もくじ】
身近にない光景や音で構成された物語は、映像に限る?
聞いたことのないはずの暴力音が、頭の中で生々しく再生される…
おまけ話・殺し屋たちの奇怪なジョーシキ
※文庫版小説のネタバレ注意

【あらすじ】
ほんの出来心から携帯闇サイトのバイトに手を出したオオバカナコは、凄惨な拷問に遭遇したあげく、会員制のダイナーに使い捨てのウェイトレスとして売られてしまう。そこは、プロの殺し屋たちがつかの間の憩いを求めて集う食堂だった――ある日突然落ちた、奈落でのお話。(文庫版『ダイナー』裏表紙より)

殴られ罵られながら、“自分が埋められる穴”を自分で掘らされる…という、恐ろしすぎるシーンから始まる。
ただ、作中には「どうしたらこんなこと思いつくんだよ…」とドン引きどころじゃない描写ががんがん入ってくるので、あえて言おう。こんなのは序の口だ。序の口だったんだよ…。


身近にない光景や音で構成された物語は、映像に限る?

物騒な小説はほかにも読んできたけれど、私は結局『ダイナー』だけ手元に残し、ときどき読み返している。
その理由は、本書のずば抜けた表現力にある。


あ、本題に入る前に、まず前提として。
私は正直なところ、SF系とかスプラッタ系とか、そういう日常からかけ離れたストーリーは、できれば映像で楽しみたいと思っている。

なぜなら小説は、頭の中で映像を組み立てる媒体だから。
それが小説の面白さというのはわかっているけれども。自分の想像力がとても及ばないであろうジャンルの場合は、この特性はデメリットになると思うのだ。


いや、だって。
自分が見たことのないもの、聞いたことのない音って、すごく想像しづらくないだろうか?


たとえばシャベルで人の頭を殴る音とか、壁に人が叩きつけられる音とか、そんなに聞く機会はないと思う。少なくとも私にはない。
自分の中に「想像するための材料」がないのだ。

それでも読み進めることはできるけれど……「バキッ」「ドゴッ」みたいな想像できない擬音は、私の場合、脳内で棒読み&カタカナ発音で再生される。
で、ちょっと萎える。これが地味につらい。

聞いたことのないはずの暴力音が、頭の中で生々しく再生される…

この考えを鮮やかにひっくり返してくれたのが『ダイナー』だった。
すばらしい表現力。すばらしすぎて、濃厚すぎて、生々しくて、吐き気をもよおしたわ(ほめてる)。

一部をそっと紹介。閲覧注意?

(冒頭。自分が埋められる穴を、自分で掘るシーン)

別の男がまたディーティーを殴った。額から何本も血の筋を垂らしている彼女は、会ったときとは別人のようになっていたし、始めは殴られると硬かった頭の音も、腐ったカボチャ風に変わっていた。(P.9~10)

(毒を盛られた男の描写)

両目が、真っ赤なトマトをくっつけたように充血していた。男はものすごく苦しそうで、何度も首を左右に振った挙げ句、口の端を両手で摑んで引き裂こうとした。ビチビチと唇の裂ける音がした。
「痛い痛いいたい、いたぁぁぁい」
(中略)
「あふぇ」
プシュッと西瓜(すいか)を潰すような音とともに男の顔が破裂し、生温かいものが、まともにわたしにかかった。(P.137~138)

比喩が用いられているからかもしれない、私の想像力でもなんとかなる。
聞いたことのない暴力的な音が、光景が、なぜか生々しく頭の中で再生される。この気持ち悪さはすごい。

この小説を読んで「頭の中で暴力シーンを再生できた場合は、むしろ映像で観るよりしんどいのでは?」と思った。

どうしてなのか考えてみたが、おそらく、映像が“自分とは切り離されたもの”として観れるのに比べて、想像は“自分の中でつくったもの”だからなのかなと。
自分がより理解しやすいように描いた分、よりえぐい形で響いてくるというか。

もちろん、痛みや衝撃の表現も絶品だ。アア、ウレシイナァ……。

鳩尾(みぞおち)に杭(くい)でもぶち込まれたような痛みがあり、躰が後ろに吹っ飛んだ。後頭部に棚板がぶつかり、わたしは吐き気と目眩で失神しそうになった。
(中略)
口の中に血の味が広がっていた。喉を灼(や)く苦い液が後から後から迫(せ)り上がってくるので飲み込み続けた。腰と背中が鼓動のたびに痛む。(P.251)

こんな素敵な描写がずーーーっと続くんだぜ、この小説……。
全10品の贅沢フルコース、ただし全部メインディッシュ!みたいなっ(西尾維新さんところの巫女子ちゃん風)

気持ち悪くて気持ち悪くて気持ち悪くて、でも先が気になって、くらくらしながら読み進めちゃう。初見は徹頭徹尾そんな感じだった。

さすがに慣れてはきたけれど、いまだにこの小説で「ながら食い」はできない。

極短期ダイエットのおともに『ダイナー』を。
グルメな描写ですら、私には“暴力描写と角度を変え、気持ち悪さをよりかき回してくれる刺激”になったぜ……。

おまけ話・殺し屋たちの奇怪なジョーシキ

裏業界?ならでの豆知識がちょくちょく出てくるのも面白い。

「死体に重りをつけて捨てるのは素人だ。プロは魚が通れる程度の隙間(すきま)のある金網に入れる。網なら潮の影響も受けにくいし、腐敗ガスが充満しても浮かび上がることもない。身は魚が綺麗に骨にしてくれるし、網が錆(さ)びて壊れる頃には骨も崩れて跡形もない」(P.323)
「厭な事実だが、凍った人体は弾除けになる」(P.496)

とか。事実なのか、この小説のためのフィクションなのかは、私には確認できないけれど。

こういうのが、さりげなく会話に織り込まれるのが好きだ。
キャラクターたちが生きてきた軌跡が垣間見えるというか、ストーリーに登場する前から“生きてきた”ことをあらためて感じられるというか……うん。こういうのってイイよね!(*゚∀゚)=3

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