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不完全で豊かな時間

「またどこかで」
そう不確かな約束を言い残して、旅人はその宿を出て行った。
今度はいつ会えるだろうか?連絡先も知らない。ましてやフルネームも知らない。
彼女はスイス人で、二日前に北の町から来て、今日は西の方へ行く車に乗った。
毎日誰かが来て、わずかな時間を共に過ごす。語らうこともあれば、一緒に食事をすることもある。挨拶しか交わさないないこともある。そして毎朝誰かが別れを告げてその宿を出て行き、僕はそこに残り次の旅人を迎える準備をする。

ニュージーランドの南の端のとある湖畔の小さな宿の手伝いをしながら、なんとも豊かで贅沢な時間を過ごしていた。

その宿には、レストランもなければ、食事の提供もない。温泉もないし、バスタブもない。卓球台もないし、カラオケだってない。売店もなければフロントもない。自動販売機もテレビもない。そのうえ、窓は仮止めで、いくつかの部屋のドアもない。作りかけの不完全な宿だった。
宿のある小さな村も、小さな八百屋兼雑貨屋とドライブイン兼パブ兼ガソリンスタンドが一軒ずつあるだけで、前日予約しないとシャトルバスも来ない。観光地や史跡名所があるわけでもなく、ただ目の前に湖と森があり、夜は星が降るほど天空にあるだけだった。
それでも、その宿には毎日旅人が来て、その小さな村で過ごし、お店で食材を買い、パブで村人とビールを酌み交わす。先にも言ったが宿にはカフェもレストランもないから、村の店に行かなければならない。そこに宿があることで、その村にもわずかながら収益が出る。実に素敵なことに思えた。

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妻と二人でニュージーランドを一年間旅していた。そのとき利用した宿がバックパッカーズホステルと呼ばれる安宿だった。延べ250泊はしたが、そのほとんどの宿がそんな感じで存在していた。宿は宿で、食事はレストランで、ビールはパブで、コーヒーはカフェで。旅のルートを決めるように、その町での行動が実に自由だった。

ひと月ほどその宿にいて、旅立つときに妻が言った。
「こういう宿は日本にないよね?」
「あるかもしれないけど、知らないね」
「たくさんあったらいいのにね」
「じゃあ、無いなら作ろう!」

いつも始まりは単純な思い付きからだった。
それが1996年のことだ。

その宿のオーナーに僕らが日本でこういう宿をやりたいと話をした時に言われたことがある。

「宿が持ちすぎないこと」(村にあるものはそれを使えばいい)
「宿が旅の目的地なら無いこと」(目的地にある宿なんだよ)
「宿が旅人の自由を奪わないこと」(アドバイスはしたとしても、ルートを決めるのは旅人だよ)

「宿のことは忘れられたっていいんだ。でもここで、出逢った旅人とのひとときを覚えていれば、それでいいんだ。そんな宿を作ってね」
とエールをもらい、オーナー夫妻とハグをして僕らは旅立った。

それからおよそ四半世紀たった。
まだ、ゲストハウスという言葉も確立されたなく、スマホもSNSもなかった時代に手探りでバックパッカーズホステルを郷里北海道小樽でオープンしこの秋で22年になる。
今ではゲストハウスも増え、いろいろタイプの宿がある。
実に豊かな旅の時代だ。

ふと思う、この宿はあのニュージーランドの宿で言われたようなバックパッカーズホステル(ゲストハウス)になっているのだろうか?

長くやっているといろいろなことがある。
連日満員満床のこともある。旅人がまったく来ないこともある。
楽しときもあれば辛いときもある。笑ってしまうことも声を荒げてしまうようなこともある。まるでここで旅をしているようだ。
それでも、旅人は来る。きっと来る。
旅は終わらない。
だから、旅人が迷わないように今日も宿の燈を灯し続ける。

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年年歳歳旅宿相似
歳歳年年旅人不同

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そこのことを忘れても、そこで出逢った旅人のことは忘れられない宿でありたい。

おたるないバックパッカーズホステル杜の樹
はらだまさき

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