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【旅窓と一頁】杜の書棚から。「弱いつながり」

「強い絆は計画性の世界です。」
「弱い絆は偶然性の世界です。」

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「絆」という言葉が苦手だ。
一見素晴らしい言葉のように使われるが、語源でいうと「家畜をつないでおく綱」のことで、ソコハカトナク主従関係あるいは上下関係を感じる。
それと同じく「繋がり」という言葉を強調するのも苦手だ。
かといって、それらの言葉や、それらを多用する人を否定したり非難することはない。

いつの頃からか(たぶん中学生の頃にはそう思っていた)、「友達を作る」という言葉に抵抗を感じ、「仲間意識」というものを避けるようになった。
友達や仲間を必要としていないわけでなく、「友達を作る」の「作る」というのがどうにも作為的で計画的でなんとも友達に対して申し訳なく感じているし、「仲間意識」は「仲間」と「それ以外」を分けるように思い、「仲間外れ」を生むと思っている。

強い繋がりは、さらに差別を生むように思う。
極論だが、もっとも強い差別は「愛」だと思っている。愛するものとそうで無いもの、愛さないものに差別される。まあ、僕にも少なからず「愛」はあるので、それを否定はしない。僕にも差別意識はあるのだ。

「繋がろう!」とか「絆だよね」と強調し言っている人の中には、誰とでも繋がろうというのではなく、「自分に共感を持ち都合のいい人と繋がりたい」と無意識で思っている人もいると思うし、そういう人は「愛」が強い人だと思っている。それはそれで素晴らしい。

昨年末、母が他界し、そのことを投稿した。
そのとき多くの方から、反応があった。普段「いいね!」もない人や、会ったこともない人、日本語の分からない外国人や、たぶんSNS上で仕事の都合で繋がっているだけの人からもあった。偶然性の「弱い繋がり」の反応が心強く感じ涙した。
そんな些細な「弱い繋がり」が本当に嬉しかった。

何度も支援したり、手助けをしたことがあるが、こちらが困った状態になっても無視されたり、以前親しくしていた人が急に疎遠になったりする。親族にもそういうことはある。
「愛」の強い人の「強い繋がり」は、あるとき「強い反感」にも変わる。諸刃の剣だ。

この数年、特にコロナ禍の1年、そして、母の他界でそういう状況に何度も合い淋しいことだが、それはどこかに僕自身が計画的で打算的な「強い絆」を求めているからなのかもしれない。

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#弱いつながり #東浩紀 #今日の一頁 #杜の書棚 #morinoki

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