【ミャンマークーデター】民主派勢力「PDF(人民防衛軍)」の存在
5月以降、ミャンマーでは爆破事件やUSDP(軍側の政党)の幹部の暗殺などが増えました。
それらの事件が民衆派によるものか、軍内部の自作自演か、軍内部の分裂かどうかは定かではありません。
しかし、先日タムウェというヤンゴンの中でも比較的中心部に近く、人口も多い地区で軍トラックの爆破事件があり1名の一般市民の犠牲が出てしまいました。
最近、話題にも上がる「PDF(人民防衛軍)」について解説します。
1、PDFとは?
5月5日ミャンマー国民を代表するNUG(国民統一政府)がPDF(人民防衛軍)(People’s Defence Force)の創設を発表しました。
日本語では、国民防衛軍、人民防衛軍、などメディアでは表記されていると思います。
PDFは、戦うための武装勢力というよりも、
国軍の攻撃から身を守るための
「防衛組織」
として結成されました。
いずれ、現在のテロリストと化したミャンマー国軍を解体して、
新たな「ミャンマー国軍」を想定していると言われています。
*ミャンマー国軍に代わる新しい「軍事力」は少数民族武装勢力を取り入れた「連邦軍」を結成する、と言われていますが、今のところ新しい動きはありません。
また、少数民族武装勢力は、自エリアの防衛勢力のため、「連邦軍」としてミャンマー全土の国防を担うかどうかは、不明瞭です。そのため、少数民族の武装勢力を持たないエリアでは(ヤンゴンやマンダレーなど)PDFという市民による「防衛軍」が立ち上がりました。
NUGからも正式に「来たるべき時に備えて軍事訓練を受けるように」
とアナウンスもありました。
4月頃から、NUGが少数民族武装勢力と結んで組織されるのでは?
という話もありましたが、今は、「PDF」という名前の組織がタウンシップごとに生まれてきました。
もちろん、NUGと少数民族武装勢力との連携や、少数民族と一部PDFの連携もあります。
多くのPDFは、市民たちが自発的に「防衛隊」として立ち上げました。
ヤンゴンの中でも、マヤンゴンPDF、ミンガラドンPDFのようにタウンシップの地区ごとに立ち上がりました。
ヤンゴン、マンダレー、そのほかの州を含めると組織数はもはやわかりません。
先日、マンダレーの6つの地域のPDFが連合を表明するなど、「PDF」という名を持っていても、1つ1つの組織は小さく、別々に動きます。
誰が組織し、何人なのか、拠点はどこか、などもほぼわかりません。(拘束されるリスクもあるので)
NUGによる組織というよりも、一種のグループのようにも見えます。
日本のメディア等では、
「武装した市民の組織」
「過激派民主勢力」
「市民側の軍隊」
といった表現がされることが多いように思いますが
そもそもの創設は「防衛」のためです。
しかし、ヤンゴンでの爆破事件や最近相次いでいる国軍側政党トップの暗殺など、PDFの勢力によるものと言われています。
離脱した国軍、国軍の中での行為、など諸説あり、主犯は不明です。
2、PDFの動き
5月に創設されたPDFに参加している大多数は一般の若者です。
武器を持ったこともなく、戦ったこともない、クーデター前までは会社員をしていたような若者たちです。
3月下旬頃から一部の若者が少数民族武装勢力と合流して地方部で訓練を受け始めました。
その中には、モデルをやっていた方もいらっしゃり、話題になりました。
訓練といっても、数週間のトレーニングです。
長年、国軍の部隊の中で訓練・戦闘をしていたような兵士に敵うほどの強さとは思えないのも事実です。
しかし、地方部での戦闘では、
「PDFが国軍兵士を拘束した」
「PDFが国軍基地を攻撃し、国軍側に死者」
など、PDF勢力の方が優位になっていることもありました。
(少数武装勢力との連携もあり)
ただ、その後、国軍の報復で村が焼き討ちされる、PDF拠点の家を国軍が攻撃、など、一般市民も巻き込まれるケースもあります。
PDFが自作の武器で抵抗しているのに対し、国軍は重火器なども用います。
また、5月〜6月末にかけて、地方で訓練をした若者がヤンゴンに戻ってきている、ということもあり、
そのため、地方とヤンゴンをつなぐ場所で検問が行われたり、
ヤンゴンの長距離バスターミナルでの監視が強化されたり、
などがあります。
さらに、ヤンゴン市内では、
・USDP(軍側の政権)政権
・軍に任命された管理者
の暗殺や、
・学校
・国軍関連施設(基地・建築)
での爆発事件も多発しました。
これらと、PDFの関係性は定かではありません。
・国軍兵士の中でPDFをサポートしている人
・国軍を離脱した人
・国軍の自作自演
様々な関与されている方と背景が考えられます。
3、PDF結成に至った経緯
PDFが結成されるということは、国民が武力・武器を持つということです。
これまで、スーチー氏も「非暴力」を唱え、国民も守っていました。
しかし、徹底した非暴力での抗議活動に対し、国軍の殺戮がエスカレートし、ただ死を待つだけになりました。
国民も、武力を持つべきではない、と理解しつつも、身を守るためには必要不可欠という状況にまで情勢も悪化してしまったのです。
もともと、2月〜3月頃は
国連の介入、ASEANの介入、他国からの国軍への強い制裁、
などを期待し、クーデター直後から、
・英語のプラカードの利用
・SNSで国際社会に発信
・各国の大使館の前でのその言語を用いた抗議活動
・世界各国での抗議活動
・国軍への資金を絶つ為の活動
など、国連・海外への協力を呼びかけるような活動が多く行われました。
しかし、結果としては、国軍の暴力を止めるには至りませんでした。
3月中旬ラインタヤでの100人近くの犠牲
3月後半カレン州での空爆
4月中旬バゴー焼き討ち
5月ミンダットの国際法を無視した衝突
など数百人の規模での犠牲者、罪なき人の拘束、国内避難民などに・・。
決して、海外の協力が効果を表していない、というわけではありませんが、残念ながら国軍の暴力は止まらなかったのです。
その結果、国内では、
「国連・他国の介入を待つより自分たちで武力をもち、立ち上がるしかない」
という風潮になりました。
本当に苦渋の決断だったと私は思います。
PDFに入隊する側も、国民に武器を許すNUG側も。
国際社会からは、PDFに対して、
「国軍の武力に対して、国民も武力で内戦をしている」
「民主派勢力が過激化してきた」
「内戦の勃発」
など多々の批判や応援する声もあります。
どの国にも国防のための軍事力があるようにNUGが軍事力を持つのは不自然ではないかと思いますが、
誰がどんな思想で武器を持つかで光にも闇にも転じてしまうと感じます・・。
賛否両論あると思いますが、PDFが結成された背景、PDFによる犠牲と功績含め、実際に起きていることを今後考えるきっかけになればと思います。
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