「今こそ祈る時」みたいな時期はいつも家族が悪魔のように見える。

今までもいろんなことがあったけど、

この年末年始は特に。

酷かった。

もうそろそろ、この繰り返しは本当に終えなければいけないのだと思う。


宗教って、

やるべきか、やらざるべきか、なのかなあ。


それだけやってもう働かなくて住むところも食べるものも保証される、

「祈る」ことがそういうお仕事なら私はやるのだろうか。


体調とか仕事とかゴチャゴチャで精神的にもう逃げ出したくて鬱症状になったのだと思うのねー

そんなタイミングは彼らにとっては

「今こそ人生の大事な時だよ!!」と

もうコチラから見たら嬉々として畳み掛けてくる。


嬉々としてって、

私のモノの見方が歪んでいるのかなって悲しくなる。


「事件だ!イベントだ!」って感じで

組織の人とか家に来たりする。

励ましに来てくれるんだけど、結局は祈ることが幸せだよという話で、


ぼんやりと、宗教とネットワークビジネスって似てるなあと考える。


もうこの場面が人生で何度も繰り返されていて、

あ〜またここかあと思う。


18歳に戻る。


またふりだしな気がして悲しくなる。


何度やるんだろう。


やりたいのか、

やめたいのか、


とことん弱っているから、

もうそれが真実なのか洗脳なのか愛なのかなんなのか分からなくなってくるわけ。


でも悪意じゃなくて彼らにとっては本気でそれが人生の使命で、ひとりでも誰かを救いたいのだ。


「祈ることで全てのタイミングが上手く回り出すから」


じゃあさじゃあさ、

家の家族は上手く回って父が病気で弟が鬱で母は自分の子育てに失敗はないと証明したいと祈ってるのかな??


私にはもう考える気力も何もなくて、

精神が崩壊しそうな中、


「今は精神的に弱っているから判断が出来ません。すみません、今は祈れません、許してください。そういう活動は私には今考えられません。ただ幸せになりたいんです」


と土下座した。


47年生きてきて、


はじめて土下座して人にあやまった。


何にかが分からないけど、

あなたたちの望むように生きられなくてごめんなさい。

だからって自分らしさも埋もれてしまうくらいの罪悪感の中に自分を置いた私にゴメン。


どう生きたいのすら分からなくなった自分自身にゴメンね。

もう生まれてゴメンって勢い。


自分の中では素直な素直な気持ちだったけど、


残念なことに、

向こうから見るとこっちの方がこの家に生まれて素直に祈れない強情なニンゲンってことらしい。


私だって神様に素直に

「幸せになりたい♡」って祈りたい。


でも自分が大変な時にこうしてやってくる人たちが、いつも悪魔にしか見えないんだ。


なんだかんだいって、

弱った時に側にいて支えてくれるのは家族なのに、

その人たちが悪魔に見えるなんて、


私は本当に何を思ってここに生まれてきたんだろう。


うーん、

でも問題はきっとそこではなくて、


自分が自分らしく生きていないただそこにつきる。


こんなこときっと本当はどうでもよくて、

私がどうしたいのかが分からなくなっている。


家族を信じたい。

自分を信じたい。


どうしてそこにいつも宗教が関わってくるのか分からない。

私が強情なのかなー


そんなことより仕事しなきゃ(オイ)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?