子に夢を託すしか希望がなかった母を、背負って可哀想に思う必要はない。そんなんしてたら鬱になるから走って逃げるべし!

「お腹にいる頃から必死で祈っていた」

それが母の誇りらしい。


自分の人生と向き合えないのは悲しいことだ。

私自身も、随分大人にならないとそれが分からなかった。


自分が働かない旦那の元で、

自分自身も変わり者と思われる団地生活で、

希望は生まれる子供が自分を救ってくれることだったのかもしれない。


そもそも5人兄弟で1番上だった母は、

高校へも行かせてもらえず、

好き合っている人はいたらしいけれど、

上から順にと見合いで結婚させられたらしい。


結婚生活は大変そうだった。


幸せな家族像をどこかで知っていれば違ったのだろうけれど、


私にとって、

「結婚」とか「子育て」は「魔界」とか「呪い」と同義語で。

適齢期がきたら気が変わるのかもと思いつつ、

どれだけ好きな人が出来ても、

結婚の話が出ても怖くて。


いつまでたっても「家族」になることは恐ろしいことでしかなかった。


子供の頃、

何度か離婚をしてくれるよう頼んだことがある。

子供ながらに離婚届まで取りにいってだ。


自分の業は離婚したからと変わるわけではない。

祈りで変えてみせる。

みたいなことを言われてガッカリしたのを覚えている。


この父親のもとで、

そしてそれに文句ばかり言う母のもとで、

子供は逃げ場がない。


そこから多分、私は見えないことにしたんだと思う。


視力は急激に落ちて、

都合の悪いことは記憶から消すように努めた。


本当に、

わりと楽しいことしか覚えていない子供時代。


こうして思い出して書き出してみてやっと、

こんなに嫌だったのかと今更ながら気づいている。


見ないフリをしたまま鬱々しているより、

こうして思い出して悪態つく方がスッキリもする。


親なんて完璧な人間じゃない。


認めてしまえば楽になれるかもしれない。


こんなにずっと怖いのはなぜだろう。


私はまるで義務のように、

うちの血筋は私が断たなければいけないと。


呪いはここで止めなければいけないと。


それくらい壊れた「家族」は怖い存在だ。

うーん、ここからそんな意識を書き換えて幸せになれるんだろうか。


まあ、気づけばポイッて簡単に捨てれるかもしれない。

だって書いてても思うけど、

嫌だったら早く捨ててしまえばよかったし、

今からだった捨てて出ていける自分になればいい。


がんばろ。


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