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天籟日記前日譚 1888年天籟――ムオ

19世紀最後の年、清の隣にある小国、天籟の姫君が、ヨーロッパの小国、クリークヴァルト公国へと嫁ごうとしていた。その船旅に乗り合わせた日本の少女、霞は、不思議な出来事に遭遇する。

前、彼らはどんな生活をしていたのか。

NovelJam2019出走作品
『天籟日記』スピンオフ
https://bccks.jp/bcck/161731/info
↑本編はこちらからお読みいただけます。
後ほどkindle等の配信予定

今回は最年少ムオのスピンオフです。パフパフ~




「今日開始不可用天籟語同廣東話。淨可以用英文同德國話(今日から天籟語も広東語も使ってはなりません。英語とドイツ語だけを使いなさい)」
「點解呀?(どうしてですか?)」
 ムオは姿勢を動かさず、小声で問うた。
 ムオは母と共に神殿の本殿の隅で平伏していた。神殿は天籟国の宮殿の最奥にあり、中でも本殿は御神体である神子の在所として使われる、この国で最も重要とされる場所。
 よく磨かれた床にはふたりの顔が映り込む。ムオは母の顔を床ごしに見ていた。
 母はムオが仕える姫の乳母であり、ムオたちを取り仕切る仮母だった。
 血が繋がっているわけではないが、ムオにとってはいつも目指すべき『完璧な理想象』だった。
 愛想がない代わりに、とびきり優秀。天籟の言葉や大清の言葉、それに英語や独語など、必要な言語はすべて話せる。
 そして何より、抜身の刃のように研ぎ澄まされている。
 鐘が鳴る。美しい鐘の音がいくつも響く。
 今日は神子継承式だった。新しい王が即位し、その姉である王女が神子として宮殿の奥、神殿に入る。これより王が崩御するか神子が亡くなるまで、神子は本殿から出ることなく、処女のまま神に仕える。
 神性を帯びた王族の女性の中でも、神子は天を頂き、地を祝福し、この国を守る。
 ひれ伏した者たち以外は、全て王族だ。上座には即位したばかりの新王、そしてその王弟ふたりと、王妹ふたり。ムオが仕えるのは五人の兄弟姉妹の中の末子だ。
「ムオ。姫の婚姻が決まりました」
 母の独語の言葉に、ムオは顔を上げそうになった。
 だが、動いてはならない。
 響き合う鐘の音。その響きに揺さぶられるように、自分の心がぐらりぐらりと揺れるのをムオは感じていた。



「姿勢が悪い」
 真っ先に感じたのは熱さだった。鋭い痛みが全身に走る。
 真後ろからしたたかに竹尺で背中を打たれ、ムオは転がりかけた。咄嗟に頭の上に乗せた花瓶に手を当てて、堪える。
 両手でがっしりと花瓶を抑え、足を大きく開いて止まったムオに、母は冷たい声を浴びせる。ムオが振り向くと、横目でじろりと睨まれた。
「なんですか、その格好は、猿のように」
「……すみません」
 神子の代替わりの日から、ムオは今までの服を着ることを禁じられ、大人の女性が着る官服を着ることとなった。長い上着の隙間に、暗器を仕込む。ムオの得意の暗器は簪と峨嵋刺(がびし)である。王族の傍に仕えるものとして、その身を守る武器を持つのは当然のことだ。それを仕込むには児童が着る袖や裾の短い衣装より、女性の服の方が楽だ。
 ただ、裾の扱いが難しい。今までのように歩こうとすれば足に絡みつき、大股で歩けばはだける。
 母のように凛としていたい。そう考えているのも事実だ。ムオは花瓶から手を離すと、裾を直して、また歩きはじめる。
(……頭をずらさず、膝の下だけで動く。丹田に力を入れて、視線は真っ直ぐ、一点を見る)
 母はゆっくりとムオの周囲を歩いている。ただし、足音や衣擦れの音はムオひとり分だ。まだ幼いとはいえ、ムオもまた、母と同じく宮殿に仕える身。早く一人前ならなくては姫に申し訳ない。
 ふん、と気合を入れる。
「無心におなりなさい」
「ッ~~~~~!!!」
 ビシリ、とまた一発喰らう。
 今度は堪えきれなかった。あまりの痛みに膝をつく。なんとか花瓶だけは受け止めつつ、ムオは地面でうずくまる。

「母上は手加減をして下さらない……」
 ムオは背中が腫れ上がるだろう未来を想像して、ぼやいた。
 母は少しだけ首を傾げた。
 そして、竹尺を伸ばし、床に這いつくばったままのムオの顎を持ち上げた。磁器のように白くつるりとした顔に、すっと切れ長な目、母の顔は得も言われぬ不思議な雰囲気がある。
 じぃっとムオを見ていた母は、ゆっくりと口を開いた。
「お前の修練に手心を加えて、姫になにかあったとき、お前はどう贖うというのだ」
「この命で」
「お前の命を投げ出したとて、何になるというのか。愚かな」
「愚かではありません。ちゃんと言葉も覚えて……!」
 母はムオの言葉を黙って聞いている。
 姫の結婚決まったとき、嫁ぎ先の国の言葉を徹底的に覚えるために、ムオは天籟語での会話を禁じられた。姫と話すときも、母と話すときも、すべて独語を用いている。独語がままならない時は英語なら用いてよいと言われている。
「ムオ。お前は入れ物ではないのだ」
 母は興味を失ったように竹尺を引っ込める。
「私は姫のために生き、姫のために死にます。愚かではありません、守るために言葉も風習も覚えます、必ず」
 くるりと母はムオに背を向けた。
「すぐにお前は先を見失う。ムオ」
「母上!」
 母を呼び止めようとした時、鋭い痛みが背中に走る。
 母の左腕が先程より少しだけ下がっていた。暗器だ。母の暗器が何か、ムオは知らない。得手とする暗器の種類は誰にも明かさないのが天籟の王族を守る人々の掟だ。
 ただ、比べ物にならない痛みに、息がとまる。
「手当をします。背中を出しなさい。ムオ」
「いいえ、大丈夫です」
「腫れますよ」
「私の不始末です」
 ムオは頑なに首を振った。
 ふぅ、と母は息を吐く。そして、ムオに背中を向けた。
「好きにしなさい」
 母が歩き去るのを、ムオは見送った。母は渡り廊下を進み、角を曲がる。すっかりその姿が見えなくなってから、裂けた背中の痛みで声にならない悲鳴を上げて地面に倒れ込んだ。
(くそ……っ! 絶対に、絶対に一人前になってみせる……!)
 天籟の姫を守るため、天籟の姫に仕えるため、ムオも母もこの世に存在しているのだから。



 姫はとても穏やかな方だった。
 痛みを堪えて姫の部屋に向かう。ムオの足音に気が付いたらしい姫は、眺めていた書から顔を上げてきょとんと目を丸めた。
「ムオ。どうしたの。歩き方がおかしいわ」
 姫も母と同じく独語で話しかけた。
「そんなに無様な歩き方ですか」
 思ったよりも拗ねた声が出て、自分でも驚いた。
 姫は、察したように微笑むと、首を振った。
「いいえ。綺麗に歩けている。ジャンは厳しい」
「猿のようだと言われました」
「ふふ」
 姫は袖で口元を隠して笑う。
「でも、ジャンがそれだけ厳しいのは、ムオを好きな証拠」
「好きかどうかは……」
 母は厳しいが、見込みのない者を置いておくことはない。個人的な好意など、ムオには分からない。
 ただ、ムオは選ばれたのだ。姫にも、母にも。
 末娘である姫を守る者として。
 姫はほっそりとした手をあげて、窓の外を指さした。
「ムオ。見て、桃が成っている」
「ああ、本当ですね」
 見れば、見事な桃が生っている。確か、この木は姫の曾祖母に当たる大清の公主が輿入れした際に植えられた木だ。
 ムオは宮殿にある、王族によって植えられた樹木をすべて覚えている。
「桃を所望されますか」
 尋ねたものの、もう体は動いていた。
 窓にひょいと飛び乗ると、反動をつけて目の前の枝に腕を伸ばす。腕に力を込めながら、振り子の要領で更に太い枝に飛び乗った。よく手入れされた木はとても登りやすい。
 王族が植えた木には手も足もかけず、周囲の木を使って桃に近づく。
 両手でそっと捥いで、懐に忍ばせる。
 そして、来た時と同じように木を伝って、姫の待つ窓に戻った。
 枝の上に腰かけて、懐から桃を取り出す。
「どうぞ、姫」
「ふふ」
 姫はころころと笑う。
 そして、桃ではなくムオの髪に手を伸ばした。
「葉がついている。可愛い子猿」
「あっ」
「ジャンが見たら、妾が怒られる」
 姫は笑う。
 桃を捧げ持ったまま、ムオも笑った。
「姫様、殿下の輿入れをお守り出来るよう、私は今よりももっと、きっと強くなってみせます」
 完璧に服も着こなし、言葉もこなし、その身にかかるすべての困難を払う盾になる。
「お前、背中はもういいの?」
「……とても痛いです」
「おいで。手当てをさせよう」
 姫はムオの手から桃を受け取った。桃の分、手が軽くなる。不思議な予感が、ムオの体に残った。けれど、まだこの時のムオに、それが何かはわからなかった。


 二年の時をかけて、天籟国は欧州クリークヴァルト公国との結婚に関する協議を終えた。ムオは姫と船に乗ることになる。
 一九〇〇年、オスマン帝国領ポート・サイドからヴェネチアへ向かう船。その先には、姫の将来の夫が待つ、クリークヴァルト公国がある。
 そしてその短い船の旅はムオにとって人生を一変させる日々になると、このころのムオは知るすべもなかった。

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ライターです。好き勝手書き散らかしたり、観劇の記録だったり、いろいろです。

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