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『2023年はZ世代論、やめませんか?時代マーケティングという考え方』~【新しいweb3ビジネスのアイディアのタネ】2023.1.13

■2023年はZ世代論、やめませんか? 感度の高いマーケターは気づいている「世代論の終焉」

「今やもう、世代論で若者を語るのは難しい」

その事実は、世代論で記事を書いてきたからこそ誰よりも自分自身が感じているし、最近「若者論」を書いている人たちとよく話題にも挙がるのだ。

いやぁホントその通りだと実感を持って思います。

世代でくくる手法はZ世代、ミレニアル世代などの呼び方の他、F1層・M1層などの呼称でも以前から広く使われてきました。

これは世代や性・年代がある程度同質の好みを持っているということを前提にしたセグメント論です。しかし以前から同一世代での同質性に疑問は持たれてきましたし、最近ではさらに世代ではくくれないのではないか?と感じられるシーンが増えてきたように思います。


■同世代内での異質性

「今やもう、世代論で若者を語るのは難しい」

と、この記事の著者であるりょかちさんが指すのは「同世代内での異質性」です。

「若者」も「Z世代」も「F1層」も解像度が低すぎる。というよりもはや、その区切り方が的外れになってきているのである。私たちは世代ではなく、興味や思想で人とつながっている。

「Z世代」と呼ばれる人たちの特性特長を分析してマーケティング計画やプロダクトデザインなどを考えるにしても、「一般的には1990年代後半から2012年頃に生まれた20代前半から10歳前後の年齢の人」が同質化していないだからもっと解像度を上げる必要があるという主張です。

解像度を上げる手法は「趣味や思想」で捉えることが重要で、「界隈」「クラスタ」という単位になることから「Z世代」という大きな人数をターゲットにするマーケティングは難しい。より小さい人数を「金魚すくいのポイで狙う」ような感覚が必要だと言います。

スマホが普及し1人1画面となった結果、学生以前の世代の同質性が失われたことがZ世代をひとくくりにできない理由だとしていて、「私たちがまた “みんなで同じディスプレイを見る” 時代はほぼやって来ない」としています。

スマホ普及以前は学生が情報を得る手段が限られており、生活リズムや学校が学生に求める価値観も強く同質化する傾向があったため、若者を世代でくくることに一定の意味があったかもしれません。

しかし今は未就学児の頃からベビーカーの中でスマホやタブレットを与えられる時代です。「ディスプレイを通じて価値観が形成される」という前提に立てば、個人別のディスプレイを与えた瞬間から以降、同質であるという決めつけはもうできないと言えます。


■クラスタを細分化したマーケティングの難しさ

世代論をやめるのは難しい。なぜなら、世代でくくらずに、細かいクラスタでマーケティングをするのは骨が折れるからである。ひとつの世代でも、複数のクラスタに分かれているならば、もっと細かくユーザーを観察しなければならない。アウトプットに反応してくれる層もその分、小ぶりになる。時代に合わせていくために、予算やチーム編成など、体制の変化が必要になるのである。

これは非常に手間がかかります。同じマーケティングアクションを採っても少人数しか動員できません。たくさんのクラスタにアプローチするためにはたくさんの企画・たくさんのスタッフが必要になります。

これを上司などに伝え理解してもらい承認を得るのはなかなか骨が折れるはずで、だからこそ「Z世代論、やめませんか?」のムーブメントが起きてほしいとも思います。


■異世代間での共通性と、それでも生まれる若年層とのギャップ

趣味や思想に着目したクラスタにアプローチすると「異世代間での共通性」にも直面します。趣味でくくると、世代人数の多寡はあるものの、さまざまな世代の人が混じります。

こちらはクラスタの対象人数が増える話で、若年層にリーチしたいなど絞り込むニーズがない場合はマーケティングコスト効率が上がる話として良い面もありますが、「同じディスプレイで同じコンテンツを消費しある程度価値観が同質化して育った上の世代」の人たちと、「1人1ディスプレイで育った世代」では同じ趣味クラスタでも捉え方に世代間ギャップがあるのは実感です。

上の世代の人でも1人1ディスプレイを20年以上経ているものの、上の世代になるほど「人間の本質的な共通性は変わらない。従って表面的なムーブメントは時代で変わっても、その本質を捉えればブームに振り回される必要はないのだ。」という考え方に凝り固まって支配されがちだと感じます。

つまり上の世代であるほどブーム・ムーブメント・流行りを軽視します。

アップデートが進まず古い考え方から変われないのはやはり上の世代に多く、柔軟に新しいものを吸収し流行に乗ることに躊躇しないのは下の世代に多いと感じます。

どの世代でも1人1ディスプレイであることは今や変わらないのに、やはり世代ごとのグルーピングができてしまうのは、上の世代であるほど価値観が固定化されディスプレイの中から自ら選ぶコンテンツが固定化されている結果だろうと予想します。

レコメンドエンジンによっても、自分が求めるものに近いものしか表示されなくなっています。柔軟にいろんなレコメンドに応じていけばレコメンドも分散していきますが、上の世代であるほどレコメンドに多様性を求めず、より積極的に自分の今の価値観を強化するものだけを摂取するという傾向があるように感じます。


■Z世代をひとくくりに捉えるのは誤りだとしても世代別価値観は存在する

Z世代をひとくくりに捉えることは誤りだとしても、世代での共通性は一定程度あると感じます。

しかしながら、特に上の世代は時代の求める価値観にアップデートできている人とできていない人の差が大きく、上の世代でもアップデートできている人はむしろZ世代と趣味や思想で同一クラスタと見なせる場合が多いように感じます。

ただ上の世代になるほどアップデートできない人が増える印象で、そういう意味でもやはり世代でくくる意味は未だにあると思います。


■Z世代ターゲティングは世代ではなく時代のマーケティング

Z世代をひとくくりにすることは乱暴だと納得しつつも、今流行するものはやはり同じ方向を向いていると感じますし、今流行するものはZ世代に広く受け入れやすいものだろうと思います。

デザインや色使いには「今風」がやはり存在しますし、SDGsやESGを重視する姿勢、パーパスという考え方、多様性の尊重、LGBTQIA、非暴力や競争の忌避、お金よりタイパ、優越感より仲間意識など、最近のトレンドになっているものには言語化しづらいですがすべてに共通性を感じます。

これを機微に捉えて「界隈」とイメージできるかがマーケターにとっては重要な能力です。

Adoは「新時代」と歌い、ウタのPVのルック、色使い、デザインは「今風」と言えるものに仕上がっています。

このルックはZ世代向けに作られたものではなく、今の時代をターゲットにしたものだと感じます。

その結果、Z世代の中のさらに細分化された趣味や思想のクラスタという小さいターゲットではなく、マスに流行りました。

「界隈」は小さく捉えることもできますが、こういうマスクラスタも同時に存在するという事例です。そして時代をターゲットにするとルックは「Z世代風」に見えます。これを若者に迎合していると言わず、時代の波に乗る感覚だと捉えられることが重要なのだろうと思います。

つまりZ世代向けマーケティングではなく、時代マーケティングです。

Z世代を世代でくくるのはやはり乱暴で無理があるとりょかちさんの主張に強く共感しますが、時代マーケティングと捉えるなら結果的にZ世代にリーチしやすいプランとなるのだと思います。

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