「夜明けのすべて」の感想文と感情の記録

瀬尾まいこ著「夜明けのすべて」を読んだ。
できるだけ内容には言及せず、感想を書き記しておきたい。

PMSに苦しむ藤沢さんとパニック障害に苦しむ山添くんがこの本の主人公だ。
読み進めていくうち、PMSもパニック障害も決して他人事でない人生を歩んできて、それなりに辛くしんどい思いをしたことが蘇った。
だけど不思議と辛いとかしんどいとかそういう類の感情に飲み込まれず、極めて冷静に俯瞰して読むことができた。なぜだろう。とても不思議な体験だった。

わたしの姉は高校生の時、パニック障害の一種である病気を患っていた。
楽しそうに学校に通って部活が楽しいんだとはつらつしていた姉はそのうち塞ぎ込むようになった。そして学校に通えなくなった。
姉の病気の症状の一つに過呼吸があった。
私たちは同じ寝室で眠っていたのだが、毎朝目を覚ますのは目覚まし時計の音ではなく、姉が過呼吸になった呼吸音だった。
枕元に置いておいたビニール袋を口にあて、背中をさすりながら症状が治まるまで呼吸を整えることが日課だった。
過呼吸になると身体がまるで動かなくなり、その日は学校に行けなくなる。こんな日々を1年近く過ごしていた。
家から出ないので身なりを気にしなくなり、食事量は極端に減り、昼夜逆転の生活になったりと変わりゆく姉の様子を受け入れるにはわたしはまだ心も大人ではなかった。
大人でないわたしが経験するには辛かった詳細な出来事はいつの間にか記憶の奥底に眠っていた。
姉がその頃病気だった記憶はあるのに、その頃私は姉とどう生活を共にし何を感じていたのかずっと思い出さなかったのに、この本で当時の記憶が一気に蘇ったのだ。

16歳の私が経験するにはいささかハードだった経験を30歳を超えた今、思い出しても辛くもなく悲しくもない。ただあの時お姉ちゃんが過呼吸になってたなとか、取り乱して服用してる薬を床に投げつけてたなとか、受け入れることが難しくてひどい言葉いっぱい投げつけたな、逆に投げつけられたなとか、これでお腹満たされる?って量しかご飯食べなかったなとか、けど消えてほしくなくて必死にバランス良くお弁当つくってたなとか、かなり冷静に一つひとつの事柄や感情を思い出してるだけだった。

なんで私はこんなに冷静なんだろう。
辛く苦しかった記憶はできたら忘れておきたいし、思い出したくはない。だけど思い出した。
潜在意識にあった感情も明瞭に自覚できた。
私たちが眠ってる間、お姉ちゃんは眠れない夜にどんな景色を見てたんだろうか、とか、当時は必死で自覚できてなかったけど「消えてほしくない、生かさなきゃ」と思ってご飯を作ってたこととか。

きっと約10年以上の時間をかけて、ゆっくりゆっくり、癒えてきたんだろうなと思った。
色んなものやことを経験したり触れてきたりして当時傷ついていたこと、そして今は癒されてきたという事実に気がつかせてくれたのが「夜明けのすべて」だった。

生きていると実に様々な困難に襲われる。
予期せぬ病気や怪我、人とのかかわりから生まれる悩みや衝突、大切な人との別れなどなど。
そこから生まれる悲しみや苦しみはその人にしか分からない。
だけど少しでもその悲しみ苦しみを誰かに理解してほしいし、救われたいし、癒されたいと思う。
それらはすぐそばにはないかもしれない。
だけど少しでも誰かが自分のことを想ってくれているだけで救われることもある。
家族でも友達でもない藤沢さんと山添くんは互いの苦しみはわからないにしても、理解はしている。理解していることで救いあってる、こんな関係性を築ける、そんな優しい世界は物語の外にもきっとあるんだろうな、あってほしいなと願わずにはいられなかった。

主人公たちが抱える問題は現代に深く深く根付いているがゆえ、簡単に解決できないし、映像化することによって見た人が抱える辛い記憶が蘇ることもあるかもしれない。経験した人にしか分からないという点においても描く題材としてはとても難しいと思う。
だけど、映画化する。
現代に深く根付く問題だからこそ、それに触れてこなかった人も、触れてきた人も、現在進行形で向き合ってる人にも、届けることや表現する意味を映画から感じ取りたいと思う。

藤沢さんと山添くんを演じる上白石萌音さんと松村北斗くん。
私は朝ドラカムカムエヴリバディで人生を救われたので、再びこのお二人が共演してくれることが純粋にとても嬉しい。
わたしはカムカムで北斗くんに出会えなかったとしても、この作品で出会えたんじゃないかと思う。
ふたりの表情の繊細さ、衝動、無気力、優しくてあたたかい世界。
2024年2月9日の公開を待ちわびている。

あとがき
実はこれを書いたのは2023年の3月。
1年近く公開するかしないか悩み保存しては読み返していた。
2023年10月5日に特報映像が解禁になってまたこのnoteを読み返した。
山添くんの肌質のボロボロ感、藤沢さんの抗えない感情を前に無力になる姿に胸をつかまされた。
そして各種雑誌媒体や試写会の記事を読んで、
いろんな立場にいる人を固定概念で縛ってない観点にとても安心している自分がいることに気がついた。製作陣が病気を抱えながらも日々の生活を送る人たちのことを見世物にしない、これだけで作品を見てみようと思うハードルはかなり下がるのではと感じている。
姉にも映画があるよと勧めてみたけど、おそらく映画館で見ることは叶わないと思う。だけれどいつか出会えるように後世にも残る作品であり続けてほしいと願っている。

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