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【読書感想】芸術とデューイーー上野正道著『ジョン・デューイ』を読んで

上野正道著 岩波新書 2022年出版

 大学院で、現代美術について研究しているときに、ジョン・デューイを知って、プラグマティズムとアートについての本を英語の原書で読んだんだが、よく理解できなかった。最近この新書が出版されたことを知って、昔こういう簡単な新書でデューイってなかったな、と思い読んでみた。

 教育学をやるのならば、デューイは欠かせない存在であるというが、この本の始めに現代における、アクティブラーニングや、参加型アートなどはみんなデューイの影響といっていたが、そうなのか、と思った。なんで、こんなに昔の人が言っていた理論が今の教育に影響しているんだろう、と素朴に思った。

 でも、そこら辺の疑問のヒントになるようなことは書かれていなかったように思う。私の親は教育に興味がある人だったので、私の通ってきた中学、高校はちょっとユニークだった。そこでシュタイナー教育やら、モンテッソーリ教育などは耳に触れることがあったのだが、そういう実践的な教育とは違ってデューイの名は自分で調べるまで入ってこなかった。この本を読んでわかったのは、世界各国にデューイ研究所なるものが現代もあるということ。もちろん日本も。ちょうど、そんなことを思っていたら、千葉雅也がTwitterで突然「デューイっていいよね」てつぶやいていてびっくりしたんだが、日本ではどんなポジションなんだろ。

 この新書の後半は、デューイのプラグマティズムと芸術について述べている個所もあって、私が学生だった時、そのことに触れた日本語の本があまりなかったので、やっとなんとなく分かった気がした。それを読んでいたら、私が高校生の時にアメリカに留学してた時の美術の授業を思い出した。なんか、アメリカの公立高校の美術の授業って特殊なスタイルがあるなと思ってたんだが、それが多分、地域のコミュニティ・アートにつながっているんだな、と思った。デューイが生きてた当時は、万博に出展できるほどのアートがアメリカにはない、といってたらしいが、そこからいろいろ彼が構築したらしい。それが、現代アートの世界を牽引するようになったと思うと、すごいことだな、と思う。

 「デューイのプラグマティズムの思想は、主体と客体、精神と身体、観念と行為の二元論を拒否する。「あいだにあるもの(inter-esse)」としての興味の概念は、自己と対象、行為と結果を分離したうえで、外界とは無関係の個人の内面的なもの、あるいは主観的なものとみるのではなく、両者を相互作用のなかで結び付けようとするものであった。この立場は、「連続性の原理」と「相互作用の原理」から提示されるデューイの「経験」の概念に結びついている。」p. 31

 たぶんこういう思想が、例えば、興味、関心、主体性を重視した学習として、現在アクティブ・ラーニングと呼ばれるものが、教育において実践的に取り入れられているんだろう、と思う。

 面白かったのが、中国のデューイに影響をうけた陶行知という人(中国においてデモクラシー教育を普及させることをした人。1914年アメリカに留学)が言ったこと。「生活が教育であるということ(生活即教育)」。
なんか暮しの手帖を彷彿させるような、いいな、と思える言葉だと思った。


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