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学歴コンプレックスとのお別れ

沖縄県北部にある今帰仁村。
特に特技も無いし、なんとなーく空気を読みながら
(住んでるところから近いからバス代浮くし)
ギリ徒歩圏内の県立の高校へ。

9個上の姉は予備校に通いながら沖縄県にあるたった一つしかない芸大の染色科に行き

私も県立芸大に行くのかなと思っていたけれど
高校2年生の時に親が急遽生業をたたみ無職へ(爆笑)

最寄りの予備校までは車で1時間半。
バスだと2時間以上。(バス停まで山を降りて徒歩30分)
お金が無い時ってガソリン代もバス代も捻出厳しいよね、、、。
そして高校の美術の先生は絵が描けない、、、。

なんてこった。
進路の先生は進学先が確定している生徒のノルマがあるのか進路相談の時に

「今帰仁村だと予備校にでも行かないと芸大は難しい。かといって一浪も良くないから県芸を諦めた方がいい」

と言った。

お金もない。
平凡な普通校。
慕っていて、まともそうに思っていた大人は浪人が良くないと言う。



ナヨナヨとした私が出来上がっていた2008年高校3年。
とにかく変わりたかったのか
田舎独特の協調性を保つ事に疲れたのか
はたまた前年の親の無職を目の当たりにして都会でバリキャリになりたかったのか、、、
猛烈に勉強をして
東京の国立のインテリアを学べる学校へ。
(学費年間50万)

ナヨナヨ
ナントナク進学した方が良いらしいと入った学校。
ミノとトンカチを手に持ち、
構造計算と実技が多く、今だったら楽しく通えたのかもしれないけれど(横文字に憧れたが就職先は施工管理がメイン)
楽しかったのは3ヶ月だけだった。

カラーコーディネートの宿題で
「愛」をテーマに3つのカラーを選んだら
先生には

「あなたは愛を知らないのか。」

と、言われてからは
愛という感情に正解があるのか!?
と、驚く。
いや、18歳。愛なんて知らないよ。


独創的な設計が出来たぞ!と、自信満々に模型を提出したら
先輩が似たような模型を随分前につくっている。
潜在的に無意識に真似をしていたのか
もはや分からない。

心がポキリポキリと折れていく。

心は荒れ果て
当時付き合っていた彼とは
自己肯定感が欲しかったのか
自分がココにいて良いのかの確かめたかったのか
何回も振っては何回も付き合い
ややこしくて、痛い痛い人間だった、、、。


半年後には心がボギッ!!と折れてしまって

退学を決意。

沖縄に帰る事に。

そっから端折るけど東京と那覇を行ったり来たりしながら
フラフラ〜と最低限の生活費を稼ぎながらノラリクラリと過ごす。

東京にいた頃は
国立美術館などに顔を出しては
理解不能で無責任だからこその美しさを目の前に
遠い遠い世界を感じながら
ミュージアムショップでいそいそと
「国立美術館に行ったんだぞ!意識高いだろ!」
と言いたげな身につけれるものを購入し

那覇にいたときは
芸大の同年代の子達の卒展などに顔を出しては
空気をめいいっぱい吸い込んで
重ねては吐き出して

羨望と卑下を往復し

白目を剥きながらお酒を呑むのだ。


20代前半。
意思の弱さと
貧乏に甘んじている自分に嫌悪を感じながら過ごす。
心が不健康でガッツがない。
何がやりたいかも分からない。
特に特技もない。毎日つまらない。
だけれど何かしたい。
矛盾に矛盾を重ねては
こじれに拗れる。

確か、通り魔事件や無差別殺傷事件が多かった頃で人混みにいても刺されないように(目立たないように)無印良品ばかり着ていた気がする。
なお、ボーダーは劇的に似合わない。

今、思えばこの頃があったからこそ
悩める若い子とお話するのが好き。
ぁあ。分かるよ分かるよと、糸口は見つからず共感しか出来ないけれども。

26歳。
あれよあれよと母になり、
子育てもあり、帰ってきた今帰仁村。
藍の事を片手間に普通に社員で働いていたけど
娘の「私より仕事が大事なの?」
と言われた事にハッとして

個人事業主としてちゃんと食っていこうと決意。


展示会や染め依頼で食わなきゃならんので
プロフィールを書く機会が増える。
プロフィールは大体大学など卒業したところからはじまり、過去の賞や展示会へと続く事が多い。

他の作り手のプロフィールを覗くと

○○大学○○学科卒業

○○○○○○スクール修了

○○○大学院卒業

○○センター終了のち○○に弟子入り


みたいなことがズラズラと書かれている。
ぁあ。私の筆が止まりっぱなしのプロフィールを見ると、なんてチンケなんだろうとゲンナリする。

まさに蟻と象だ。
蟻と象の心拍数は大体同じ回数に達したときに死亡する。
蟻は心拍数が高く、象の心拍数は低い。
長生きのコツは交感神経を酷使しないこと。
副交感神経に耳を傾ける事。

心がズンと重くなる。
トライアンドエラーでスポ根でやってきた畑。
私は藍を育てるハルサー(百姓)です。
と、なんとなく表現メインじゃないから高卒でも良いでしょ。と、逃げるようにそれっぽく言ってきた。


何か劇的なターニングポイントがあったわけではない。
でも、なんだかニュルニュルとコンプレックスから脱した。


やっぱり根底はハルサーであることには変わりないし、アーティストというのも違うけれどもコネクトする役割に徹する。
藍を伝えたいし、知識不足で見出しきれなてない沖縄のポテンシャルを見出したい。

芸術系の大学院を卒業した夫にも
前までは嫉妬心を吐露していたけれど
最近はすんとしなくなった。
(良かったな。夫。)

きっとコンプレックスがあったから
頭がねぇなら、体力だけでも!
何くそーと畑を続けられてるしああ

大学行かなくてもちゃんと展示会して食って行くんだ!と、物理的な行動にも出れた。

コンプレックスを盾にゆっくり進む。
価値観がゆっくり変わる。
暮らしがやたら楽しくなる。

付箋は過去のあちらこちらに散りばめられていたのか。


蛇のように餌を受け付けなくなり
目の色が変わり
頭を傷つけ口からしっぽにかけて
ニュルニュルと皮が剥け
スポン!と脱皮した音がした。

あとはいそいそと脱皮した皮を食べて肥やしにするのだ。

子供たちには何を伝えれるのだろう。

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