■老眼で見逃していたダン・ソーヤーについての記述。
前稿【Bonus Track 11】 を書くために、改めて【Bonus Track 10】 SNプロ共同経営者:シャタックとソーヤーの追加情報の稿を読み返していたら、あることに気付いた。
下記のアウトリガー・ホテルの告知をよくよく見れば、左下、朱里エイコの足元にダン・ソーヤーの名前が記載されているではないか。迂闊だった。これも、注意力の無さと老眼の成せる業である。
(気付くの遅すぎだよ。また回り道しちまった。)
ソーヤーは、トーマス・ボーン配下から独立して「SAWYER PRODUCTIONS」を起こし、ラスベガスを拠点にタレント斡旋業に勤しんでいたのだった。この告知に出てくるアーティスト全員がソーヤー・プロの所属ということなのか。
THCは、渡米当初はトーマス・ボーンの事務所に所属してソーヤーがマネージメントを担当、ボーンの死後は「SAWYER PRODUCTIONS」の所属となって活動していたようである。
GLH/THCのプロダクション所属の系譜としては、下記と思われる。
■2013年に残っていた、GrandMasterダン・ソーヤーの記録。
先の告知にあった”Las Vegas,Nevada”の文字を見て思った。もしかしたらLas Vegasとダン・ソーヤーで検索を掛けたら、なにかしら情報が出てくるかも知れない、と。
トップに出てきたのが下記のサイト。2013年2月に掲載された地元紙の記事である。なんで空手なのか?と驚いたが。
これは本当に、あのダン・ソーヤーのことなのだろうか。本文を訳していくと、こんな記述に出くわした。
「1950年代、彼は何年もの間、日本のエンターテインメント業界の常連」という紹介からして、この人物は間違い無くダン・ソーヤー本人だ。火災に遭ったナイトクラブとは『ラテン・クォーター』に他ならない。
また日本からアメリカに帰国し、ラスベガスで仕事の傍ら空手道場を開いたことについては、こう書かれている。
ソーヤーはハワイまたは日本滞在時に空手を修練したようだ。タレントプロダクションやクラブ経営に関わる以上、日本で興行絡みとなれば”その筋”や官憲との軋轢は免れない。護身術として武術を身に付ける必要があったのだと思う。
ラスベガスでの道場開設が1960年代半ばと記述されているので、GLHの渡米前か遅くとも同時に帰国していたようだ。武術の技と精神を会得したGrandMasterダン・ソーヤー、なかなかの人格者だったようである。
■Baugher氏にこの件を伝えて得た、返信と情報。
研究者でらっしゃるがゆえに、『ラスベガス・サン』のページの件もRoy Baugher氏は先刻承知だろうとは思ったが、一報入れてみた。
Baugher氏からいただいた返信と情報は以下の通りである。
また『ラテン・クォーター』の共同経営者で【Bonus Track 10】で詳細を紹介したアロンゾ・B・シャタックについても情報をいただいた。
シャタックについての追悼記事、長くなるが引用させていただく。
波乱に富んだ人生を送ってシャタックが亡くなったのは、ほんの2年ほど前のことだったのだ。
合掌(RIP)。
(了)