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Tokyo Happy Coats『奥の細道』 【Bonus Track 12】 武術家として余生を過ごしていたダン・ソーヤー。

『LAS VEGAS SUN』2013.02.18付

本稿はアメリカのTokyo Happy Coats研究家Roy Baugher氏の許可を得て日本版サテライトコンテンツとして作成しています。

本文中敬称酪

■老眼で見逃していたダン・ソーヤーについての記述。

前稿【Bonus Track 11】 を書くために、改めて【Bonus Track 10】 SNプロ共同経営者:シャタックとソーヤーの追加情報の稿を読み返していたら、あることに気付いた。

下記のアウトリガー・ホテルの告知をよくよく見れば、左下、朱里エイコの足元にダン・ソーヤーの名前が記載されているではないか。迂闊だった。これも、注意力の無さと老眼の成せる業である。

https://www.zeroto180.org/tokyo-happy-coats-japanese-pop-on-king/

PERSONNEL MANAGEMENT
SAWYER PRODUCTIONS
Dan Sawyer,President
Las Vegas,Nevada

(気付くの遅すぎだよ。また回り道しちまった。)

ソーヤーは、トーマス・ボーン配下から独立して「SAWYER PRODUCTIONS」を起こし、ラスベガスを拠点にタレント斡旋業に勤しんでいたのだった。この告知に出てくるアーティスト全員がソーヤー・プロの所属ということなのか。

THCは、渡米当初はトーマス・ボーンの事務所に所属してソーヤーがマネージメントを担当、ボーンの死後は「SAWYER PRODUCTIONS」の所属となって活動していたようである。

GLH/THCのプロダクション所属の系譜としては、下記と思われる。

SNプロ→協同企画/Pan Orient→(独立?)→旭興行→(渡米)→トーマス・ボーン→ソーヤープロ

■2013年に残っていた、GrandMasterダン・ソーヤーの記録。

先の告知にあった”Las Vegas,Nevada”の文字を見て思った。もしかしたらLas Vegasとダン・ソーヤーで検索を掛けたら、なにかしら情報が出てくるかも知れない、と。

トップに出てきたのが下記のサイト。2013年2月に掲載された地元紙の記事である。なんで空手なのか?と驚いたが。

これは本当に、あのダン・ソーヤーのことなのだろうか。本文を訳していくと、こんな記述に出くわした。

Sawyer also has lived a life of adventure that seems to defy belief.

For years, he made his living as a fixture of the entertainment industry in Japan in the 1950s. He brought acts such as Luciano Pavarotti and the Temptations to the island nation. And as Sawyer tells it, a nightclub he owned mysteriously burned down when it came in competition with a watering hole owned by the Yakuza criminal organization.

He’s lived through many things: a stint aboard an oil tanker in World War II, a few years as a police officer in Hawaii and the wrath of a powerful criminal enterprise. For Sawyer, the constant has been his martial arts.

ソーヤーは、信じられないほど冒険に満ちた人生を送ってきました。

1950年代、彼は何年もの間、日本のエンターテインメント業界の常連として生計を立てていました。彼はルチアーノ・パヴァロッティやテンプテーションズなどのアーティストを日本に招きました。そしてソーヤーの話によると、彼が所有していたナイトクラブは、ヤクザの犯罪組織が所有する酒場と競合したため、謎の火災に見舞われました。

彼は、第二次世界大戦中に石油タンカーに乗船し、ハワイで数年間警察官として働き、強力な犯罪組織の怒りにさらされるなど、多くのことを経験してきました。ソーヤーにとって、常に変わらなかったのは武術でした。

太字は引用者

「1950年代、彼は何年もの間、日本のエンターテインメント業界の常連」という紹介からして、この人物は間違い無くダン・ソーヤー本人だ。火災に遭ったナイトクラブとは『ラテン・クォーター』に他ならない。

また日本からアメリカに帰国し、ラスベガスで仕事の傍ら空手道場を開いたことについては、こう書かれている。

Sawyer has been teaching martial arts since he came to Las Vegas in the mid 1960s, but not anyone can work out at his home gym. Most of his students are brought to him through friends and other connections. The fee isn’t fixed, around $50 to $60 a month, and classes meet about four days a week and teach a variety of skills, including jiujitsu.

Andy Dowdell has been a friend and student for 18 years and helps Sawyer with his classes.

“We don’t just go out there to teach someone to kick, punch or beat someone else up,” he said. “We go out there to make someone a better person.”

That’s the sort of humility Sawyer wants his students to buy into: Leave the macho attitude at the door.

“A lot of martial artists say: ‘I’m the best. I’m God. Don’t screw with me,” friend Gary Marino said. “Danny wasn’t like that. He was very secure with himself.”

The two met in 1975 at Marino’s martial arts studio downtown. Marino said that in a business that is rife with deception, he has never heard his friend lie.

ソーヤーは1960年代半ばにラスベガスに来て以来、格闘技を教えているが、自宅のジムで誰でもトレーニングできるわけではない。生徒のほとんどは友人や他のつながりを通じて連れてこられる。料金は固定ではなく、月に50ドルから60ドル程度で、クラスは週4日ほど開かれ、柔術を含むさまざまなスキルを教える。

アンディ・ダウデルは18年間友人であり生徒でもあり、ソーヤーのクラスを手伝っている。

「私たちはただ誰かに蹴ったり、殴ったり、殴ったりする方法を教えるためにそこに行くのではありません」と彼は言う。「私たちは誰かをより良い人間にするためにそこに行くのです。」

ソーヤーが生徒に受け入れてほしいと思っているのは、そのような謙虚さだ。マッチョな態度はドアの外に置いておくのだ。

「多くの格闘家はこう言う。『私は最高だ。私は神だ。私をからかうな』」と友人のゲイリー・マリノは言う。「ダニーはそんな人ではなかった。彼は自分にとても自信がありました。」

2人は1975年にマリノのダウンタウンの武道スタジオで出会った。マリノは、欺瞞に満ちた業界で、友人が嘘をつくのを聞いたことがないと語った。

ソーヤーはハワイまたは日本滞在時に空手を修練したようだ。タレントプロダクションやクラブ経営に関わる以上、日本で興行絡みとなれば”その筋”や官憲との軋轢は免れない。護身術として武術を身に付ける必要があったのだと思う。

ラスベガスでの道場開設が1960年代半ばと記述されているので、GLHの渡米前か遅くとも同時に帰国していたようだ。武術の技と精神を会得したGrandMasterダン・ソーヤー、なかなかの人格者だったようである。

■Baugher氏にこの件を伝えて得た、返信と情報。

研究者でらっしゃるがゆえに、『ラスベガス・サン』のページの件もRoy Baugher氏は先刻承知だろうとは思ったが、一報入れてみた。

Baugher氏からいただいた返信と情報は以下の通りである。

Dan Sawyer died in 2021. I contacted his family in January 2018. His family told me he was very ill with dementia, and he could not help me. I decided to not pursue this situation further, since he was ill. I do not know what items he had. My guesses are photographs and possibly documents.

ダン・ソーヤーは2021年に亡くなりました。私は2018年1月に彼の家族に連絡を取りました。彼の家族は彼が認知症で重篤な状態にあり、私を助けることはできないと私に話しました。彼は病気だったので、私はこの状況をこれ以上追求しないことにしました。彼がどんな品物を持っていたかはわかりません。私の推測では、写真とおそらく文書でしょう。

web翻訳もBaugher氏 以下同
https://ja.findagrave.com/memorial/236007398/howard_dan-sawyer

I remember reading this Las Vegas Sun article, but I did not save it. I need to save a PDF copy now.

この『ラスベガス・サン』の記事を読んだことを覚えていますが、保存していませんでした。今すぐ PDF コピーを保存する必要があります。

また『ラテン・クォーター』の共同経営者で【Bonus Track 10】で詳細を紹介したアロンゾ・B・シャタックについても情報をいただいた。

Alonzo Shattuck died in 2023. He was 96. I found some US newspaper articles about him recently.

アロンゾ・シャタックは2023年に亡くなりました。享年96歳。最近、彼に関する米国の新聞記事をいくつか見つけました。

https://ja.findagrave.com/memorial/249106917/alonzo_bain-shattuckS

シャタックについての追悼記事、長くなるが引用させていただく。

彼はセントルイスのワシントン大学で教育を受け、東京のソフィア大学でさらに学びました。アルは18歳で2人の親友とともに歩兵隊に入隊し、世界の珍奇な世界を体験したいと考えました。彼は日本に派遣され、硫黄島に派遣される最後の派遣部隊の1つとなりましたが、戦争が終わったため、彼は助かりました。彼の日本とアジアへの愛は深いものでした。戦後、アルは日本に留まり、占領軍の一員となり、横浜港の警備責任者に昇進しました。

3年後、彼の警備への献身が認められ、在日米軍への韓国人麻薬密売を調査するキヤノン機関の一員として、米国防諜部に加わりました。6年後、アルは官僚主義にうんざりしましたが、東京に留まり、有名で大成功を収めた自分のディナークラブを開きました。彼は人脈を通じて、フィリピンや周辺国に駐留する占領軍を楽しませるために、アジアに有名人を招き始めました。

彼は世界中を旅し、尽きることのない好奇心も満たしました。アルは米国に戻るまで17年間日本で暮らしましたが、自由な精神の持ち主だったため、国内に長く留まることはできませんでした。メキシコで数年間過ごした後、ブラジルに定住し、多数のアジア人のために仏教寺院を建てました。それは日本の京都の金閣寺の正確なレプリカでした。34年間、ブラジルのサンパウロに住み、1992年に妻のリーと出会い、一緒に働き、ブラジルの素晴らしい自然とゴルフを楽しみながら生活しました。

ブラジルには晩年の生活に必要なインフラが整っていなかったため、彼は米国に戻り、ファウンテンヒルズに住み着きました。アルは、彼を知るすべての人の人生に影響を与えた人物でした。彼は素晴らしい語り手で、2013年から2014年まで司令官を務めた VFW ポスト 7507 に非常に献身的でした。彼の遺族は妻のリー・シュヴァリエ・シャタックです。彼の並外れた、非常に特別で優しい性格を知るすべての人が、アルを惜しむことでしょう。

追悼式は、2023 年 2 月 18 日土曜日午前 11 時にメッシンジャー ファウンテン ヒルズ モーチュアリーで行われます。その後、ファウンテン ヒルズのアメリカン レギオン ポスト 58 でレセプションが行われます。

web翻訳は引用者

波乱に富んだ人生を送ってシャタックが亡くなったのは、ほんの2年ほど前のことだったのだ。

合掌(RIP)。

(了)

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