電字


 電子書籍か物理書籍かと言う話があって、俺は自分と激しい論争を百年起こした。そしてようわからん啓示を得た。
 ハードカバーのはてしない物語を5周した事がないやつはすぐ電子書籍を崇める。片や、最近汚部屋が堰を切りそうで真剣に困っている自分もいる。電子媒体Twitterで盲滅法詩を書いてみるのは非常に楽しい。これといった反響もないのに。他にはとんでもなくのろまな意地っ張りが、5年ぐらい前にアニメ(の毎話変わるED)で惹かれた電子小説を今も物理で追いつけないと聞く。

 たぶん、未来では書籍がなんかよくわからなくなる。電子書籍がのさばるから、一度電子化されたものは溜まり続ける一方だと思う。でも紙の厚みをスベスベしたいので、物理も死ぬ訳がありえる事ができない。ここは折衷案だ。2+3Dプリンターを備えたクラウドデータ図書館みたいなのが各地にあって、そこでは普段画面越しで読んでる電子情報を物理化製本できるのだ。市場効率労力、再利用性みたいな目の上のたんこぶオールスターズが全く消しカスになっている常若の棚。電子エーゲ海化した文字や.pngは死なないので無限に舞い降り、いつも何度でも夢を描く。蓋を開けると小人さんがいっしょけんめ写経中。

 酒とか入れてないのに頭がぽわぽわしてきた。
 どうせ保存するのだ、黄ばんだ本は黄ばんだ本として、読みにくいフォントは読みにくいフォントとして余すことなく保存してほしい。『ド低能』でも『クサレ脳ミソ』でもいいよ。両方いいじゃん。コーヒーをこぼす自由。古本の値札を剥がす自由。その上で「あの超絶カッコいいコマはどこ?」となったら記憶検索もズパッと可能。最悪その技術進歩の煽りを受けて人類は滅びてもよい。文字は生けども読み人知れず。

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