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画像1

・歯
城ヶ崎先輩のは真っ白ぴかぴかだが、彼は徹底した伊達男で、定期検診の為に窪塚歯科にかかっている。対して樋口師匠はたぐい稀なアゴに見合って顎関節症である。飯を貢いでもらって生きているので歯医者に行く余裕も、行く気もなかろう。小津の詳しい描写は無かったと思うが、アニメの最終話以前では妖怪さながらのギザ歯を剥き出しているのと、結局羽貫さんに治療されに行っているのだから樋口師匠側ではないか。

・馬
小説版の冒頭では、縁切りの死神と化した「私」が、「人の恋路を邪魔する者は蹴られて死んでしまう」とし恐れていた天敵。対して、アニメ版のモテモテ回ではジョニーの乗り物だったり、「私」が鼻息を荒げている比喩だったり。御されるべきでありながらも、しばしば理性を跳ね除けて暴れ回ろうとする何か。乗り物という点は下記の自転車とも共通。

・自転車
移動手段としてすこぶる有用な反面、空回りやパンクや自転車すこやか整備軍の横暴などによって簡単に期待を裏切ってくれたりもするアイテム。究極、アニメ版で有人飛行パイロットに抜擢された際に全くの無関係であった事によって「私」を苦しめたとも言えるが、流石にそこまで押し付けられては理不尽か。小説にはサイクリング部回はないが、確か師匠や城ヶ崎先輩も自分用の自転車に乗っていた気がする。また、小津のダークスコルピオン桃色遊戯染め事件や、明石さんの健脚ぷりが披露されるシーンは登場する。原型の仔細が組み変わって別の光景が展開されるのは、まさに作品コンセプトの体現と言えよう。

・英語
既に歯科衛生士として手に職付いた羽貫さんがなぜか学んでいたもの。そして学んでいた割りには、机上の勉学としてよりも実用に比重が置かれていたもの。まあ小説では個人的に海外旅行に行ってるようだったので、趣味と言ってしまえばそれまでだが。アニメ版の最終話ではああなり、小説でも樋口師匠が(世界進出を目論んでいるくせ)てんで英語をしゃべれない描写があったので、そういう事でしょう。

・海底二万海里
こちらも極めて多面的で、城ヶ崎先輩に比する。まず師匠のまち針地球儀と連動して、国際世界に馳せる思いの象徴である。本、明石さんの居る古本市での買い物でもある。場合によっては図書館警察の監視の目を盗んで延滞され続けている書でもある。香織さんに戯れに持たせてみたり、景子さんにオススメした「私」の愛読書でもある。運命の黒い糸に縛られた男二人がごぼこぼと沈んでいくのも海底だし(賀茂川の水面で実現した)、延々と変わり映えのしない四畳半世界を八十日も掛けて探検していた「私」にとっては、空想上の冒険と現実のしょうもなさとの断絶を深めてしまった一端を担っている。

・虫
明石さんには仰天され、一方で終わりなき四畳半世界では部屋を越えて集って見せ「私」を孤独に駆らせた蛾。あと非人道兵器・ゴキブリ爆弾。反対にもちぐまは、小説では結構色んな人と接触し、そのだいたいに愛され、揉み潰されていた存在。マロミとか言ってはいけない。

・秘密結社福猫飯店、宗教団体ほんわか、自虐的代理代理戦争
大雑把な言い方をするが、これらは実態が結局よくわからない。上二つは運営者サイドや全体像の描写が少ないのと、小津が掌握できているのでそれなりに系統立っているのだろうが、代理戦争に至っては運営者も超情強たる小津も真の経緯を把握していないので完全に意味不明である。そういうものとして考えるなら、伝統ある殺伐都市の負の側面、多くの人間が創始者の意図をわからずもはや汲もうともされない伝統が、人々を根強く縛っている様を卑近な形で表現しているのかもしれない。下らぬばかりでもなく、当事者がよくわかっていなかろうが成立してこそ堅固な造りであるとも言える。師匠が「四角四面」に対する複雑な思い入れを歌い上げていたシーンも、単にいわゆる碁盤の目すぎる道の切り方に喧嘩を売っていたのじゃないか。

・肉
小説の小津は、よく、偏好してやまない肉以外を口へ押し込まれることによってはらはらと涙し、束の間その舌鋒を収める。高級カステラも受け付けなくて「私」に回したような節があるのだから筋金入りだ。似て非なる魚肉ハンバーグは一口つまんでみたなり、葱塩牛タンをうるさく要求し出して黙らされている。一見ただの意地っ張りだが、どんな汚い手を使っても望みを我が物としたい理想高さにおいて、「私」が後れを取っている示唆にも受け取れる。しかし(「私」の目を通した)外見描写が陸上の半魚人めいているのもまた小津の方。なお、猫ラーメンだけは食っている。

・カステラ
高級品で、おいしく、しかし独り占めしようとすれば決まって物悲しくなるボリュームの食品。「私」が不毛さに打ちひしがれながら食べ尽くし、中を刳り抜いた結果、剣闘士の居ないコロッセオが出来上がった。

・コロッセオ
打ち捨てられた高貴さであったり、訪れたことのない旅行先であったり、学生の本分として興味を抱いてしかるべき精巧な建築様式の一であったり、虫歯菌に対するまた阿呆なツッパリの成れの果てであったりするもの。アニメ版のジョニーが戦う相手の見境がつかない早撃ちガンマンだったように、自分の中では命と誇りを懸けた過酷な闘争が演ぜられるべき晴れ舞台の筈が、実際には誰もそんな時代錯誤な扱いはしてくれない、色々な物事の比喩だろうか。アニメの城ヶ崎先輩は、ローマ帝国関連の自主制作映画の主役に自身を据え、サークル活動の集大成としようと目論んでいた。

・好機
今ここでしか手に入らないものを、手に入れられる理由であり、手に入れなくてはならない理由。しかしこの重さを説く占いの老婆との会話が、彼女との巡り合わせから交わした一言一句までどの並行世界でも変わり映えしない出来事なのは皮肉極まりない。対義語は師匠の語る「我々を規定するものは不可能性である」。

・乳
原作小説では男連中は例外なく乳談義をしており、「私」が酔った羽貫さんに翻弄される一因ともなった。アニメでは城ヶ崎先輩のおっぱいフリーク度が頭抜けていた印象だが、師匠がシリコン乳?をライトアップする厳かな一場面もあった。男は皆その虜。相島先輩は他人の乳好きと香織さんを(裏稼業の)職権で告発しておいて自分の性癖もどっちもどっちだった為、破滅した。小説を読むとこれは奇抜な性癖同士の悲喜劇と言うよりは、他人の暗部を日の下に晒してやる物ではないと純粋に戒められているように感じる。男は乳好きだが、死ぬまで密かに思っている分には、ましてラブドールと清廉潔白な関係を営んでいる分にはまだ許されるべきというかなんというか、そっとしといてやれよ。

・三美女
香織さんとは心通じ合えず、景子さんとは対面できず(実在すらしていなかったのだが)、二人とも「私」にとっての好機が訪れることはない。そして羽貫さんとは好機の変わりに理性がなかった。考えてみると羽貫さんは、酔うとあんなんなっちゃう割りに色んな男性陣と飲みに行っているので、自覚がない男垂らしのような気がする。城ヶ崎先輩の人形趣味や、窪塚がちょっかい出してくる発端がそこらへんなのだとすれば、ちょっと本人も周りも可哀想になってくる性分。肝心(?)の師匠はと言えば、誘ってすら応じてくれなさそうだし。それと原作世界においては、かの自虐的代理代理戦争の名を借りても香織さんを盗み出すのは禁じ手らしい。また「私」が、意中の相手の情報やガードの硬さと、それを十分に吟味するまで決断を待てずに彼女らと恋破れる一連の流れは、そもそもテニサー次元にて小日向さんに真っ当に告白して真っ当に振られている経緯と似たものがある。反省しないといえば反省しない。ただ結果的には小日向さんが、素性の知れなさ、知ることの難しさでこの三人を遥かに凌ぐ傑物だったのは考慮に入れていい。

画像2

あの当たりに小津が落ちている。見えましたね?

・許さなくっちゃ恋泥棒
ぶっちゃけこのアニメ、まるで恋愛アニメとは違う……となるとこの失恋に叩きのめされた暗澹たる心情を描いたような曲はそぐわないのではないか。そうして最終話まで視聴し思ったのだがこれは、「黒髪の乙女」たる小日向さんと密かに結ばれておいて、一方では「私」と共に反恋愛主義者ぶっていた世界の小津が、その事実の露見と「私」からの嫌悪に怯えていた歌として解釈できないだろうか?見返してみると小津はあすび半分ながらも、「私」に明石さんとの縁結びを計画してやったり、(本物の黒髪の乙女を熟知した上で)「私」の理想の文通相手を演じたりと結構「私」に恋愛を唆すのに精力的で、その様はよほどに厚い友情か、でなくば負い目でもあるかのように思われる。顛末として露見は現実となったが、「私」は何の縁も培われなかった世界で、だからこそ小津への友情を譲らなかった(小説でどの平行世界でも紆余曲折経つつ明石さんと結ばれてしまう様を、アニメが省いているのは、ここでどちらに手を差し伸べるがよいかに緊張感を持たせる為だと思う)。予期されていた破局は知らない内に打破され、隠し事を分かち合おうとできなかった小津はようやく根負けを喫するのだ。
ああいい話。すけべすけべすけべ。

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