「先に結婚して、すみません」…社会常識のモノサシについてのエッセイ
先日、私と同い年の同僚男性が結婚した。
職場結婚で、みんながお祝いの言葉をかけた。二年間秘密に交際しており、結婚を機にやっと職場のメンバーに打ち明けられてホッとしたそうだ。
私も「おめでとうございます」と、声をかけた。
そうすると彼は、「いや〜先に結婚することになりました、すみません…」と申し訳なさそうに、はにかみながら言った。
私はそのとき、ギョッと目が丸くなった。
「ん…?すみません…??」
そう心の中で、疑問符が浮かんだ。
なぜ「すみません」ってあやまるのか。
先に結婚することはあやまることなのか。
私は現在、20代後半。
同世代が結婚するという話は、どんどん聞くようになった。
同い年の同僚が結婚することは、なんら不思議のない“よくある話し”である。
私は10代のときから、自分が結婚できるとは思わなかった。
そういった「みんなが乗るレール」には、私は乗れないんだと諦めていた。
学生時代の私はいわゆる「こじらせて」おり、自分自身の内側がぐるぐる混乱して、かき乱されていた。
学校という、社会のレールの上にやっとの思いで乗っかり、何とか毎日じっと耐えて過ごしていた。恋愛するなんて、それどころじゃなかった。
20代後半となった今も、結婚するなんて現実味がない言葉に聞こえてくる。
「先に結婚して、すみません」
彼にとっては、何のたわいのない言葉なのだろう。
ただその言葉は、私は大人になっても足並み揃わない人間なんだと、社会常識のモノサシをグッと押し付けられる気持ちになった。
結婚することは常識であり、お先にさせて頂いたことに対して「すみません」という配慮なのだろうか。
そのモノサシの跡が、私の心の表層にうっすら残っている。
「レールの外側」が、隣の芝生は青く見えるがごとく、ステキに思える今日この頃です。
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