記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

絶望と孤独の果てに・・・「象は静かに座っている」フー・ボー監督

フー・ボー監督、長編デビュー作にして遺作。。。
2018年の中国映画「象は静かに座っている」を観た。

234分!!ほぼ4時間の長編!!
2019年に映画館で上映が始まり、予告編を見て、一瞬で「これは観たい!!」と思った。
しかし、ちょうど転職の狭間で無職になったりしていた時期でさすがに余裕が無くバタバタしていた。
しかも、234分という長尺である!!
「ムーニーマン」の称号を頂くくらいに、貧弱な膀胱しか持っていない、おしっこ事情が最低最悪なボクとしては、映画館に向かうことをためらってしまい、いつの間にか映画館での上映が終わってしまった。
いや、途中トイレに行きながらも、236分の長編「牯嶺街少年殺人事件」はちゃんと映画館で観たのだから、「象は静かに座っている」も見るべきだったかな・・・。

まぁ、お酒を飲みながら、途中で一時停止して、ゆっくりトイレ休憩・・・いや、作品についてゆっくり咀嚼しながら、観ることができたので、DVDで観て正解だったかな。。。

画像1

リアルな絶望と孤独

この映画が中国の全てではないのだろうが、中国の「リアル」が克明に描かれた映画である。

現代の中国が抱える現実、貧困や格差が生む人々の絶望感を、正直に生々しく描いた作品。
しかも、この映画は、特定の事件や事故、もしくは、社会から逸脱したり脱落したりした、特定の一人の悲劇ではない。
若者から、働き盛りの大人、死期も間近な老人に至るまで、老若男女問わず、社会の中で必死に日常生活をしているにも関わらず、逃れることができない、足元に漂う絶望と悲壮感を、リアルに、克明に描く。

中国では、映画は国による「検閲」がある。

思えば中国も不思議な国に思えてくる。
これだけリアルに描いて、検閲は、大丈夫なのか?と心配になるくらいだ。
一説には、この映画を、「検閲」を通すための工作に奔走した、プロデューサー王小帥氏とフー・ボー監督との軋轢が、監督を疲弊させ、この映画の完成直後、死に追いやったという説もあるが・・・

そして、登場人物は、みんな絶望的に孤独だ。
まず、決定的に、周囲とは、会話が成り立たない。
得られる回答の二言目には、「いくら欲しいんだ?」といった、金の話になってしまう。
先へ進もう、何か問題を解決しようとすると、金が要る。
親も子供の金を盗むし、金や物を与えることで、関係性を築くことしかできない。

二言目には「金の話」、最たるものとして、親に対して「子供をいい学校に行かせるために引越ししたいけど、金が無いので狭い家にしか住めないので、老人ホームに行ってくれ」等と言ってしまうところは、中国のお国柄らしい、極端にどストレートな表現だな、と思ったが、いやいや、思い返すと、結局は、日本人も湾曲した表現をするだけで、いや、現代において、金や物でしか構築できない希薄な関係性は、世界中のだれもが陥り、苛まれている共通した孤独感である。

金が無ければ、信頼していたものにも、徹底的に裏切られる。
金が無ければ、答えが出ない。
進むべき先も、見えてこない。
チェンのセリフ通り、みんな「お先真っ暗」なのだ。
金は無くとも、時間だけは無情に過ぎていく。

234分は、登場人物たちが、戸惑い、逡巡するその時間を、観客も、物理的に、同じ時間を体感させられるのだ。

いや、実は、この映画では、その孤独の中で、本来、関係性を構築するはずの、新たなツールをも、リアルに描いている。

携帯電話、スマートフォンである。

人々が無言になってしまう中で、携帯電話の着信音が鳴り、SNSの着信通知だけが鳴り響く。

そして、その関係性を構築するはずの携帯電話が、歯車を狂わせる大きな元凶となり、やがて一人、また一人と、社会を逸脱していく過程を、時間を追って描いているのだ。

後頭部の向こうにピンボケで描かれる情景

正に、この映画は、「カメラが追っかける」映像が印象的な映画だ。
主要人物の服の襟の形を、克明に覚えてしまうくらいに、徹底的に人物を背後から追いかける。

しかも、浅い被写界深度で、ピントは後頭部に合ったまま。
絶望と孤独に包まれた人々の目線の先にある、情景を、観客はぼんやりとピンボケした中に見ることになる。

季節は冬。
遠くには工場、寒々として荒んだ街並み、埃っぽく、暗い部屋、死んだ犬は、ゴミが溜まった川の中に投げ捨てられる・・・。

そんな情景が、ピントがボケているせいで、印象派の絵画のように見えてくる。

階段しかないアパートと、エレベーターのある高層マンション、薄汚れた定食屋と、ソファーのある近代的なカフェ、人々がひしめく市場と、エスカレーターのある駅前のショッピングモール・・・。

中国のさびれた地方の工業都市、その歴史と近代化が入り混じる情景を、ボカして描くことで、映画のロケ地を匿名的にして、更には、中国という国を超えて、近代化の波に呑まれようとする人々のノスタルジアを喚起させる気がする。

まぁ、鉄道マニア、特に貨物列車大好きなボクとしては、轟音を立てて走る石炭を運ぶ長い貨物列車の姿が印象的だった。

てっきり、最後は、みんなが列車に乗って旅立つかと思ったら、高速バスに乗るところも、この映画一連のノスタルジアと近代化の対比なのかもしれない。

二人の可憐な女性

絶望と孤独に包まれた、長い長いこの映画で、観客の心の拠り所となるのが、二人の女性の可憐さと、強さではないだろうか?

まず、高校生の少女、リンがかわいい。

これだけ、後頭部からばかり撮られて、終始不機嫌で、さみしそうで、疲れた顔をしていても、それでもリンは、かわいいのである。
唯一、クスっと笑顔を見せるのが、許されざる関係を持ってしまった学校の副主任に悪い冗談を言う時だけである。
その笑顔から、やはり、いや、もしかすると、リンは、このどうしようもなさそうな副主任に、金と物の関係だけではなく、心も拠り所にしてしまったのだろうか?
観ているこちらまで、「こんなにかわいい女の子が、デートの時に昔の友人の猫殺しの話をして、感じ悪くほくそ笑むような、無責任で無関心な大人の代表のような、こんなクズのおっさんに、何故心まで奪われてしまうのか!!??」と怒りと疑問を感じてしまうくらいに、かわいいのである。

だからこそ、金属バットを振りかざすとき、爽快なものさえ感じるのだ。
ボクは、一瞬、母も殴ったのかと思ってしまったが、次の瞬間には、母はそこに呆然と立ち尽くしているのがわかる。
母は、無言で無表情だが、どことなく、娘が自分の手で現実を破壊していくことに、何か満足気な表情を感じる。
ガサツで品の無い母親だが、娘は愛していたし、リンも、その懸命に生きる母を守り、自分の撒いたゴタゴタに、母を巻き込みたくはなかったのだと思う。

そしてもう一人、この地域の不良のボス、チェンの彼女がかわいい。
チェンは、彼女に拒まれたために、親友の妻と寝てしまったと言う。
そのために、チェンの親友は、自殺してしまったと言う。
不良のボスでありながら、彼女の前では、全てを彼女のせいにして、思いっきりクズで弱い男に成り下がってしまう。
その裏には、チェンが親から受けられなかった愛情を求める、歪んだ姿が見える。
チェンの彼女は、自分の力で、仕事と金を掴み、何とかこの絶望と孤独の世界から這い上がろうと努力している。
チェンの彼女は、察してしまう。
この男と付き合っていたら、絶望と孤独の世界から逃れることはできない、と。

しかし、実は、こじゃれたカフェよりも、薄汚い定食屋の方が気が休まる自分がいる。
その定食屋で、ボヤ騒ぎが起き、自分を守り、定食屋の主人を必死に救おうとするチェンの姿を見て、彼女の心は揺れ動く。

その後の地下道で、この男、チェンと一緒にいてはいけない、と思いながらも、一思いにチェンを置き去りにして去ることはできない。

彼女は、感情的には、チェンのことが、狂おしいくらいに、大好きなのだと思う。
もしかすると、そこまでは描かれないが、彼女も、この街の絶望と孤独の中で育ってきて、チェンに居心地の良さを感じるだけの、心に傷を持っているのかもしれない。
それでも、彼女は、最後の力を振り絞って、チェンを振り切って去っていくのだ。

命は潰えていく

この映画では、あまりにあっけなく、命が潰えていく。
チェンの親友の自殺、少年ブーを虐めるチェンの弟シュアイ、ブーの祖母、老人ジンの愛犬、ブーの友人カイ、そして、リンと関係を持った教師とその妻(最後の二人は、殴られただけで死んだとは言えないかもしれないが・・・)

リンの金属バット以外、「バイオレンス」は描かれない。

物語のカギとなる、「ブーがシュアイを殴った」と言われる事件の瞬間も、実際は観ていただければわかるが、事故に近いし、カメラはブーの表情を追っているので、詳細な状況は観客には全くわからない。

特に、死んでいく人間が苦しんでいるところは、全く描かれない。

「死」は、歩いている途中で突然ハマってしまう、落とし穴のようなものかもしれない。
「死」が、あまりにあっけなく描かれることと対比して、生きていく中での孤独と絶望による苦しみをより重く深く描いていく。

誰も思い描く到達点には到着しない。
この映画の結末のように。

行き着いたところが、この映画で描かれた老人ホームのようなところだったら・・・
いやぁ、日本だと、老人ホームをここまで描けないのではなかろうか。。。

絶望を描き切って、最後のほんの微かな希望を観客に感じさせる。。。

「それでも生きろ!!」

という、監督の強いメッセージと受け取りたかったが、監督自身が、29歳で自ら命を絶ってしまった。

フー・ボー監督を追悼しながら、是非ともみなさまにご覧いただきたい、力作です!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?