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マジパン思い出話エクストラ② 小山リーナさんのこと

 小山リーナさんの最初の印象は、際立った美少女でありながら引っ込み思案の大人しい女の子、でした。初めて登場したぽにきゃん!アイドル倶楽部では、雰囲気に気圧されながらおずおずと小さな声で話していたのをよく覚えています。
 1stミニアルバムの特典DVDにて、佐藤さんは彼女について「歌が上手いからそこに期待している」と語っていました。しかし、ネットの配信でパフォーマンスを見る限り、そのイメージはなかったのです。ところが、特典映像に収録されていたレコーディング風景を見ると、たしかに非常に上手い。
 よくよくライブを見返すと、その謎が解けました。音程をとることはできるものの、体力がなく、ダンスに精一杯でしっかり歌う余裕などなかったのでしょう。歌声がか細く、まるで印象に残っていなかったのです。ダンスも、器用にこなしてはいましたが、同じく特に印象はありませんでした。
 それが大きく変わったのは、疑いなく佐藤さんが欠席し急遽四人でパフォーマンスをした定期公演でしょう。覚醒、としか言いようがないライブでした。安全マージンなど蹴っ飛ばし、そのとき持てるすべての力をリスク覚悟で注ぎ込んだライブ。彼女が、歌姫となった契機でした。「私が私を燃やす理由」では、佐藤さんを差し置き落ちサビを任されるまでになります。
 しかし、先日そのライブを見返して、ひとつ思ったことがあります。「あれ、これぐらいだったっけ」と。
 僕の記憶では、もっと凄まじいライブだったのです。なぜ今見返して、そう思わなかったのか。理由は簡単、彼女はあの日からどんどん成長し、今ではもっと凄いパフォーマンスを日常的に見せているからです。
 メンバーはこぞって彼女のことを「努力の人である」と語ります。彼女ほど、ひとつのライブ、ひとつの音程、ひとつの振り、ひとつの表情を丁寧に作り上げるアイドルは、メンバー内はもちろん広いアイドル業界にも他にいないのではないでしょうか。
 ライブごとに微妙に歌い方や振り、表情を変え、より完璧を目指す。それがもっとも分かりやすい形で現れたのが「もう一度」のロングトーンでしょう。はじめ、彼女はあのパートを短く切り、そのあとの全員パートに加わっていました。しかし、東名阪ツアーからそれを止め、伸ばせるだけ伸ばすようになったのです。毎回、少しでもいいものを作ろうという彼女の試行錯誤の姿勢なくして、あのロングトーンは生まれなかったと言えるでしょう。
 派手な容姿とはギャップがありますが、僕は、実は彼女は職人肌の人なのではないかと思っています。ひとつひとつ丁寧に、繊細に組み上げ、思わずため息が漏れるほど美しい構造物を作り上げる。彼女にとってライブとは、アイドルとは、そういうものなのではないかなと思っています。
 彼女のその「丁寧に作り上げる」才は、パフォーマンスのみならず、ビジュアル面でも大いに発揮されています。もともと持っている容姿というアドバンテージに加え、お化粧やファッション、スタイル維持など、どれだけ丁寧に作り上げられているか。母親に協力してもらっている自撮りが毎回どれほどの完成度か。本当に、彼女のSNSは「お金を払ってでも見たい」と思わせるレベルです。
 歌にせよダンスにせよビジュアルにせよ、その裏にはストイックな自己研鑽があります。しかもそれを彼女は、ファンに見せようとはしません。なぜならそれは「余計な情報」だからです。「わたし頑張ってます!」というアピールは、感動を呼ぶ反面、芸術作品としてはノイズになってしまうことも多々あります。職人である彼女は、それをよしとしません。ただ表に出る作品の完成度さえ高ければよい。それはある意味、アイドルとしての彼女の責任感の裏返しではないでしょうか。その姿勢こそ、僕が小山リーナという人物のもっとも尊敬する点です。
 完璧なアイドル、小山リーナ。しかし「完璧だから魅力がある」は、彼女の魅力の半分しか語っていないのではないか、と僕は思います。
 アイドルとして完璧でありながら、ときおり彼女はメンバーの前で、ファンの前で、くしゃっと油断した笑顔を見せます。ブログに気の抜けた絵を載せます。ごく稀にではありますが、変な顔をTwitterにアップします。去年の大阪での浴衣で、薄目の変な顔をアップしていたときは、思わず笑ってしまいました。
 そして、笑うと同時に、愛おしさがこみ上げてきたのです。
 アイドルとしてあれほど完成度を誇っていながら接触対応は非常に朗らかで、つんとしたところなどまるでありません。ファンの悪ふざけにも、いつもころころと笑ってくれます。入り口はビジュアルやパフォーマンスかもしれません。しかし、小山リーナという沼へずぶずぶ落ちこんでいくラブリーナたちを掴んで離さないのは、彼女のそのギャップなのではないでしょうか。もっとも、沼の底で彼女もファンも実に楽しそうなので、これほど平和な沼もありませんが。
 個人的に、存分に「可愛い!」と叫ばせてくれることは、彼女の際立った美点であると思っています。オタクは、推しを褒めたい生き物です。可愛いと言われ「いやいやそんな」と謙遜せず「ありがとう」と受け止めてくれること。これは、簡単なようでなかなかできることではありません。年齢が上がるとともに気恥ずかしさもあったでしょうが、それでも彼女は「可愛い!」と叫ばせてくれるアイドルでい続けてくれました。自己紹介でのフライングの「可愛い!!」コールのなんと気持ちよかったことか。困り顔を浮かべつつそれをあしらう様の、なんと可愛かったことか。
 引っ込み思案な性格も、少しずつ変わっていきました。はじめはバラエティ的受け答えがまったく出来ず、それこそお人形のように座っているだけ。しかし、マジラジやマジテレの経験を経て、少しずつ前に出て行くようになります。個人的に印象に残っているのは、たしか一年目の@JAMのトークコーナーだったと思うのですが、後ろにさとれながいるところでMCに「佐藤さん怖くない?」と振られて「マジこわ~」と返していたこと。ああ、こういう受け答えができるようになったんだなと感慨深くなりました。
 実は今でも、人前でトークをするのはあまり好きではないんだと思います。彼女が、特に外仕事でなにかコメントをしているときは「頑張ってるんだな」という気持ちになります。
 パフォーマンス、ビジュアル、自己研鑽、ファン対応。全て満点の「アイドル界最高のアイドル」です。――本稿に置いて僕は、比較的断言を避け「思います」「個人的には」などのワードを使ってきました。内部事情を知らない一オタクであること、アイドルオタクとはいえ広いアイドル界を網羅してはいないことなどが理由です。しかし、これについては、自信を持って断言をします。
 小山リーナはまちがいなく、アイドル界最高のアイドルです。

 小山さんを初めて直接見たのは、三重の鈴鹿大学です。当時彼女は中学二年生の十三歳。しかし、そのビジュアルには衝撃を受けました。写真や動画は見ていますし、どれだけ可愛いかはよく分かっているつもりだったのに、それでもなお想像を遥かに超える可愛さだったのです。その後、アイドルオタクとなり、接触はせずとも多くのアイドルを間近で見てきましたが、未だにあれを超える衝撃を味わったことはありません。
 佐藤さんの卒業ライブの個別握手では、全身を赤で統一しながら「二推しは小山さん」と伝えました。「えー、しょみみなんだけどー」と言いながら喜んでくれたことは忘れられません。
 初めてツーショットを撮ったのは、ミナーラアイドルフェスでした。「何気に初めてなんですよ」「やっぱり?」と言いながらマジパンポーズでチェキを撮りました。
 実際に間近で見ると「可愛い!」以外の語彙力がなくなってしまいがちなのですが、それでも彼女とはよく歌の話をした記憶があります。
 特に思い出深いのが「もう一度」のロングトーン。自分がそれを初めて聴いた大阪では「あそこめちゃくちゃいい! とにかくいい!」と絶賛すると、彼女はとても喜んでくれました。
 カメラで撮影していてもっとも楽しかったのも小山さんです。どこを切り取っても表情がよく、外れがありません。スタイルがいいうえ手先までしっかり神経が通っているので、立ち姿も美しい。自分は誰推しなんだろうと思うほどカメラが向いたものです。ベストショット、と言われても候補が多すぎて浮かばないぐらいですが、それでも強いて挙げれば、先日の神田明神ホールでのこの一枚でしょうか。

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 初期はそうでもなかったのですが、四人時代のころから彼女の特典列は長く伸びるようになります。ライブのあと、二時間、三時間と特典会が続くこともありました。順番の関係で、その最後のほうにツーショットを撮ることもありました。
 しかし彼女は、疲れた表情など一切見せず、こちらの顔を見て笑顔で手を振ってくれるのです。
 五人時代の彼女は、溢れんばかりの才能を持ちつつも、引っ込み思案の大人しい末っ子でした。しかし、佐藤さん卒業後、彼女は歌唱の面でも人気の面でもエースとしてグループを引っ張ります。毎回「今日がまだ蒼くても」のソロを歌い上げるのが、どれほど負担か。しかし彼女は弱音を吐くことなく、その努力している姿すら見せず、エースとして、センターとして、グループの広告塔としての重圧を背負い続けていました。前リーダー、佐藤麗奈が抱えていた物をもっとも多く受けついだのは、彼女でしょう。
 類稀なるその才とストイックな努力で、これから先、必ずや小山リーナは我々には手の届かない人になると信じています。そのころきっと彼女は、我々のことなど忘れているでしょう。でもそれでいいんです。彼女は全ラブリーナの、いえ、我々全マジファンの誇りですから。「昔、マジパンにいたんだぜ! 俺、応援したんだぜ!」そう言えれば、それ以上望むことなどありません。
 これは本人にも言いましたが、僕は浅野さんさえいなければまちがいなくラブリーナになっていたでしょう。最後の最後で、横目で見ている推しに気を遣って言えなかった一言でこの稿を締めたいと思います。
 小山リーナさん、大好きです。





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