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批判に先立つもの

生きている限り、不平不満は無限に発生します。
上位者への不満、下位者への不満、第三者への不満、組織への不満…様々なことが苛立ちの原因になります。
原因はそこいら中にある一方で、解決する手立ては数える程もありません。
人が変えられるのは自分の思考と行動までであって、誰か他人を操作することはできないからです。
不満の発生原因を変えることができないのであれば、不満のない人生を送ることはできないのでしょうか。

他人は変えられない、だから他人が原因で生まれる不満は解消できない、残念ながら我慢するしかないような状況に見えますが、そうではありません。
他人から発生した事象を不満として受け取る受容体としての自分がいます。
自分は変えられるので、受容体に対する意識が変われば、不満は解消できるかもしれません。

不満が発生する時、多くの場合「何故あの人は」と考えます。
この「何故」は答えを求める言葉ではなく、ただ不満が吹き出しているだけの言葉に過ぎません。
この「何故」を原因解明の為のきっかけの言葉として捉えてみると、印象が変わってきます。

不満は感情の発露に過ぎませんが、何故を追求することは論理的な原因究明につながります。
何故できないのか、何故こんなことをするのか、更には自分ならどうするのか、自分が相手の立場にいたらどうするのか、そういったことを考えていくと、2つの利点が手に入ります。

まず一つ目は考えているうちに怒りのピークを通り過ぎるということです。
瞬間湯沸かし器のように沸騰した感情が少し落ち着く時間が「何故」を問う間に経過します。

もう一つは想像力を広げるトレーニングになるということです。
相手の立場を想像し、自分の場合を想像し、自分が相手の立場だった場合のシミュレーションまですることができれば思考の幅が大きく広がります。
不満を一つ抱えるごとにテストケースが一つ手に入ると考えると非常にお得です。

不満を抱える、批判する、否定する、拒絶する。
弾き返してしまうことは極めて簡単ですが、その前にトレーニングのきっかけとして活用できると考えられれば、不満も悪いものではないのかもしれません。

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