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七つの橋

青い服の人形と赤い服の人形が窓から外を眺めてゐます。

(きれいな虹が出たねえ)
(わー、ほんと、こんな大きくてはつきりした虹、初めてだわ)
(虹を見ると幸せな気分になるよね)
(あの虹の上に乗つてみたいわね)
(行つてみようか)
(どうやつて?)
(わかんないけど…、
 例へば、目をつぶつて、いちにいさんで飛んでみるとか…)
(ほんと?)
(ぼく、やつてみるよ、いちにいさん…
 あれ?だめだ)
(ぢやあ、わたし、虹の精にお願ひしてみる)
(虹の精ッてゐるのかなあ)
(虹さん、虹の精さん、わたしたちをあの虹の上に連れて行つてくださいな)

赤の橋

「なんだかぼんやりしてよく見えないわね。」
「離れ離れにならないやうに手をつないで行かう。」
「あ、あそこに何か…」
「橋だ、赤色の…木の橋。」
「渡りませう、霞んで向かうがよく見えないけれど、何かありさう…」
「あれは何だらう、橋のたもとに何か大きなものが見える…」
「木よ。」
「これ、桜の木だ、枝が拡がつてすごく大きい、それに満開の花…」
「誰か小さな声で歌つてるわ。」
(…花よりほかに知る人もなし…)
「あそこにぼろきれを着て人が寝てゐる。」
すると、その人がむくつと起き上がりました。
「わしは山伏だ、今ぼろきれと言つたのはお前か。」
「まあ、横になつて桜を見てゐたのね、一緒に花を眺めませう。」
「ああさうか、久しぶりに人間らしい人間に会へたし、よしさうしよう。
 ところで、そこの若い者よ、立派な体つきだが、少し太つてるな、ちよつと稽古をつけてやらう。そこの、枝を持つて、かかつてきなさい。」
「え、これですか?何をするのですか?」
「そら、左!」
すると、左から烏が襲ひかかつてきました。男の子は、わっ!と叫んで、持つてゐた枝を振り回し烏を払ひのけました。
「さあ、今度は正面だ。」
山伏は杖を振り下ろします、男の子は慌てて枝を横に構へて防ぎました。
「まだまだ、右だ!」
右側から烏が襲つてきます。後からも烏が飛んできました。山伏が叫びました。
「娘さん、落ちてゐる枝を拾つて、烏をやつつけなさい」
男の子は右の烏を払ひのけました。女の子も夢中になつて、後から飛んできた烏に枝を投げつけました。枝は烏に当たりました。すると、烏が消えました。桜の木のかげに山伏が隠れました。
「何だい、今のは…」
「木の後ろには、もう誰もゐないわよ、どこに行つたのかしら?
 でも、お兄さん、運動不足だつたから、ウォーミングアップできてよかつたぢやない?」
「でも、こんなの御免だよ。
 さあ、こんなところは、早く離れよう。」

「ところで、どつちへいかうか?」
「あのおじさん、左、正面、右ッて言つてたよね。
 左へ行つてみない?」

橙の橋

二人は左へ歩いて行きました。
「あ、また橋が見えてきた。」
「こんどは、橙色の木の橋だわ。」
「向かうに誰かゐる…、若い女の人だ。」
二人が近づくと、その若い女の人が声をかけました。
「お待ちしてをりました、わたくしは、胡蝶と申すものです、どうかわたくしを助けてください。」
「どういふことでせうか?」
「はい、もうすぐ大きな蜘蛛がやつてきます。わたくしはその大蜘蛛の生贄にならなくてはなりません、さもなければ、村中の人が殺されます。
 ここに剣と物の箱があります。これをさしあげますので、どうか大蜘蛛を退治してください。」
「そんな無茶な!」
するともう向かうから人間の大人ぐらいの大蜘蛛がやつてくるではありませんか。そして、ふッと糸を吐き、女の人を絡めました。
「お兄さん、速く!」
男の子は剣を抜くと大蜘蛛に向かつて走り出しました。糸を引つ張つてゐる隙きに大蜘蛛の横にまはり、剣を振り下ろしました。蜘蛛の脚が2、3本飛んだやうです。すると、大蜘蛛も女の人も消えて見えなくなりました。
「お兄さん、やつた、すごい!」
「あのおぢさんのお陰で何とか退治できたよ。」
「いい人に巡り会つてよかつたね。」
「で蜘蛛と女の人はどこへいつたんだらう?」
草むらでがさがさいふ音がしました。見ると蝶が蜘蛛の糸に絡まれて、もがいてゐます。女の子が蝶をつまみました。
「さあ、胡蝶さん、行きなさい、もう自由よ。」
蝶は二人のまはりを暫くひらひら舞つてゐましたが、まもなく、飛んでゆきました。

「さあ、僕らも行かうか、この剣と箱はもらつて行かう。
 どつちへ行かうか?」
「あの山伏のおぢさんが言ふやうにするなら、次は正面よね。」

黃の橋

「よし、まつすぐ進まう。」
「また、橋がみえてきたわよ…黄色い橋…」
「よし、渡らう。
 何だらう…、向かうの方に木がある。」
「柳の木だわ。」
小さい男の子がやつて来て、柳の木のまはりを2、3回まはりました。
「坊や、何か探してるの?」
「うん、今日この柳の木のところでお母さんに会ふんだ。」
「まだ、来てゐないやうね、ちよつと橋のたもとで座つて待ちませう。」
 …
「坊や、『今日会ふ』つて言つたね、どういふこと?」
「今日会ふ約束なんだ。」
「毎日会つてゐないの?」
「あのね、去年の今日別れて…
 去年はねえ、この川、水がいつぱいになつて、僕の家も水浸しになつて、僕とお母さんも流されたんだ。それで、この柳の岸にやつと着いて、僕は何とか上がつたんだけれど、お母さんは流されてしまつた。その時お母さんは来年の今日の日にまた会ひませうと言はれたんだ。だから、僕、今日ここに来たんだ。」
すると、柳の木の近くに、女の人が現れました。
「あッ、おかあさーん!」
「坊やだね、だめ、こつちに来ないで。」
「どうして?」
「元気でくらしてる?」
「うん、仲間がゐるから大丈夫だよ。でも、おかあさんの近くに行きたいよ。」
「こつちに来るのはだめよ、お母さんも今日坊やに会へてうれしいよ。」
「おかあさん、戻つて来てよ。」
「もう行くからね、さやうなら、元気でね。」
女の人は消えてしまひました。
坊やと二人の兄妹が柳の木のもとに行きました。
「その箱に何か入つてない?」
「ええと、らふそくと線香があるわ、火打ち石も…」
男の子は、石を積み上げて塚をつくり、その前にらふそくと線香を置き、火をつけました。
それから、三人で手を合はせて、お母さんのお弔ひをしました。
「ぢや、僕もう行くから、お兄さん、お姉さん、ありがたう。」
「坊や、元気でね。」
と言ふやいなや、坊やの姿が消えました。消えるとき、しつぽのやうなものが見えた気がしました。

「あの親子、たぬきだつたんぢやないかな。」
「たぬきでも、人間みたいな親子の情があるのね。
 それに新しい命が育つて行く…」
「ぢや、行かうか、まつすぐ正面…」

緑の橋

「おッ、緑色の橋が見えてきた。」
「渡りませう。」
「松の木があるよ。」
「あれ何かしら、木の上に何か引つ掛かつてゐる。」
「よし、登つて取つて来よう。」

女の人がどこからともなくやつて来ました。
「もし、すみません、それ、わたくしの衣(ころも)です、うつかりしてゐるうちに風に飛ばされて、なくしたと思つてゐたところなのです。」
「これ、とつても軽い布だね。
 でも、ほんたうに、あなたのもの?」
「ほんたうです、どうか返してください、お礼はしますから…」
「はねのやうに軽い…」
「だから、はね衣と言ひます、わたくしにはなくてはならない大切なものなのです。」
「どうして、そんなに大切に思つてゐるのですか?」
「はい、わたくしはもともとしがない行商人の娘で、ある日富くじを買ひました。ところがそれが大当たりして、いつぺんに大金持ちになつたのです。すると、兄弟親戚それに知り合ひまで毎日のやうに来て、お金を貸してほしいのやら何やらと言ひに来ます。商人と言つてもお金の使ひ方もしらないわたくしです。毎日のやり取りに疲れ果ててゐました。そんなとき、ある大商人がやつて来て、深刻な顔をしながら、この衣を買つて欲しいと相談に来たのです。手にとつてみると、身も心も軽くなるやうな感じがしました。わたしはすぐに自分のお金をほとんどその商人にあげました。そして、その衣とわづかなお金を持つて旅に出ました。この衣をまとふと、自然にからだが舞ひ、美しい声で歌ふことができます。かうして人々を楽しませて日銭を稼ぎ暮らしてをります。」
「さうだつたんだ。ぢや、どうぞ持つていつてください。」
「ありがたうございます。お礼に…」
「お礼なんかいらないわよ、衣を大切にしてね。」
「はい、ありがとうございます。では、わたくしの舞と歌をお楽しみください…」
女の人はまるで空中を飛ぶやうに舞い始めました。歌声も天女のやうに澄みきつてゐます。さうして舞ひながら霞の中に消えて行きました。

「あの衣は、『はごろも』といふものぢやないかな。」
「そして、あの女の人は天女だつたんでせうね。」
「ぢや、行かうか、まつすぐ…」

青の橋

「青色の橋が見えてきたよ。」
「渡りませう、少し風が吹いてきたやうよ、遠くが見えて来た…花がいつぱい咲いてゐる。」
「かきつばたの花だ。」
「あそこに男の人が立つてゐる、昔の貴族の着物を着て、帽子のやうな冠をつけて…」
「おぢさん、こんにちは、何してるの…」
「ああ、ちよつと物思ひにふけつて、歌を作つてゐたところだよ。」
「へえ、どんな歌?」
「『唐衣 着つつなれにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ』
 わかるかな?」
「わかんないや。」
「はゝゝゝ、『か・き・つ・は・た』といふ五つの文字を句のはじめに置いて歌つたのだよ。
 『からころも』の“か”、『きつつ…』の“き”…ほら、ね。」
「ほんとだ、おぢさん、歌が上手だね。」
「わたしは在原業平(ありわらのなりひら)といふものでね、まあ、歌詠みが半分仕事だから…。意味は、
 着慣れた着物のやうに暮らしてきた愛しい人と別れて、旅にでて、遠くまで来てしまつた、
 といふこと。」
「どうして、別れてこんな遠くまで来たの?」
「その好きな相手と会ふことが許されなくなつてね。」
「どうして?」
「あまりにも高貴な人、帝(みかど)のお妃になる方なのだ…」
「で、今は、
 『由良の門を渡る船人かぢを絶え 行く方も知らぬ恋のみちかな』
 の心境?」
「それは誰の歌か知らないけれど、言ひ得てゐるよ。
 かきつばたの揺れる花のやうにゆらゆら揺れながら、どこへともなく歩きまはつてゐる自分かも…」
「おぢさんは、帰らないの?」
「帰りたくても帰れない、
 『いとどしく過ぎゆく方の恋しきに うらやましくもかへる浪かな』
 寄せては返す波がうらやましい…」
さう言ひながら、舞ふやうに花の群れの中へ入つて、消えてしまひました。

「お兄さん、あんな歌、よく知つてゐたわね。」
「何かが乗り移つた感じだつたよ。
 さう言へば、うちのお姉さん、百人一首の遊びしてたね、
 そこで、聞いたやうな気がする…」
「ふうん、ここは不思議なところね。」
「あのおぢさん、難しいこと言つてたね。
 行かう、まだ何かあるのかな?」

藍の橋

まつすぐ歩いて行くと、藍色の橋が見えました。
「橋だ、渡らう、風がやんで、また霞んできた。」
橋の向かうに小高い丘が現れました。中程に岩で枠取りされた洞があり、その前に柵があります。
「あれ何かしら?」
「古墳みたいだね、行つてみよう。」
老人が、花を飾つて、手を合はせてゐます。
「おぢさん、こんにちは、ここは何ですか?」
「ああ、こんにちは、
 これは昔の古墳でね、以前に調査されたとき、立派な太刀(たち)が発見されたんだよ。高貴な人のものなので、ここは千三百年程前に亡くなつた有間皇子(ありまのみこ)が葬られた古墳ぢやないかと言はれてゐるよ。」
「有間皇子?誰?」
「天皇の御子、つまり将来天皇になる候補者といふことだね。」
「天皇様にならなかつたの?」
「さう、謀略にかかつて、処刑されたんだ、十八か十九歳の頃にね…」
「ええ?かはいさう…」
「皇子の歌が残されてゐるし、昔の有名な歌人たちも皇子を偲んで歌を詠んでゐるよ。」
「おぢさんは、よくここにお花を供へにくるの?」
「さうだね、家はすぐ近くだから、ほら、まはりに家が数軒あるだらう、交代で供へてゐるよ。」
「千三百年前からやつてるの?」
「誰の墳墓かわからなかつたから、花を供へだしたのはそんなに昔ぢやないよ。
 ところで、きみ、立派な太刀を持つてゐるねえ。銀で覆われた鞘、あの太刀に似てゐるやうな…」
「ああ、これ。さうだ、この剣をここに納めよう。」
男の子は、剣を墓の内部に入れました。すると、剣は青く鈍く光だし、やがて白い霧に包まれて、消えてしまひました。

どこかで、馬の足音が聞こえます。橋のたもとに、馬と青年が立つてゐます。従者たちも十人ほど現れました。青年は馬にさつととび乗りました。その顔立ちは引き締まつて、いかにも潔い姿で座つてゐます。振り返つて従者たちを見ました。風が吹きました。一瞬、うら悲しさうなまなざしをしたやうでした。それからまたまつすぐ前を向き、橋を渡つて去つて行きました。

『磐代(いはしろ)の濱松が枝を引き結び 眞幸(まさき)くあらばまた還り見む』

紫の橋

「悲しい話だつたね、先へ進まう。
 あッ、前は崖になつて進めないや」
「あの山伏のおぢさんが言つたやうに、今度は右へ行きませう。」

「橋が見えてきた、これでいくつ目だらうか?」
「ええと、最初は赤い橋で、次は橙、それから、黃、緑、青、藍、そして…」
「紫色だ、これで七つだよ、七色…わかつた、虹の七色だ、これが最後の橋なんだ。」
「行きませう。」

「また霧が深くなつてきたね、しつかり手を握つて、離れないやうにしよう。」
「何だかまはりが白つぽくなつて、足元もよく見えないわ。」
「ふう、この橋、ずいぶん長いね。」
「ほんと、わたし、疲れて眠たくなつちやうわ。」
「まだまだ続きさうだ、ぼくも何だか眠いよ。」
「まはりは白くぼやけて、紫色の欄干だけがずつとどこまでも……」
「…もう歩いてゐるのか、眠つてゐるのかよくわからない…」
「…わたしも、多分もう、眠つてゐる……」

虹はすつかり消えました。日が傾いてゐます。
(お兄さん、眠つてるの?)
(うん、多分眠つてる…)
(虹が消えたわよ)
(ええ?あっ、消えてる!
 いろんな人に出会つたね)
(いろんな話を聞いたり…)
(悲しい話もあつたけれど…)
(…思ひ出せば、こひしい人たち)
今日はきれいな夕焼けが見られさうです。

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