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聴神経腫瘍のお話⑤プラスα

2008年に長男、2011年に次男が誕生した。(ちなみに長男と次男の間にも流産あり)次男はダウン症で先天性の心臓疾患があり、生後半年で根治手術をした。それが京都大学医学部附属病院(通称京大病院)だった。ちょっとした風邪が命取りになるかもしれなくて、本当に本当に気が抜けない日々が続いていた。胃腸炎とかインフルエンザとか、上の子たちがたまにひく、ただの風邪にさえ、過剰に反応していた。結局、長男を生んだ後育休に入り、そのまま次男を妊娠したため、続いて産・育休に入った。長男はありがたいことに、保育園に入れてもらえたので、私は家で次男につきっきりになることができた。

とかいう生活だったので、その間、自分の病のことなど、思い出すことはほとんどなかった。次男が2歳を越えた頃、職場復帰が前面にチラつき出したのと同時に、腫瘍のことを思い出した・・・というより思い出さざるを得なかった。長男妊娠前で手術はほぼ決定だったのだから、ほっといて良くなっているわけはない。耳鳴りなんか、そりゃあもう何万匹とセミを飼っているような感じ、左耳内で(;´Д`A ```

意を決して、前回まで通っていた府立医大ではなく、改めて、かかりつけ医に紹介状を頼み、次男と同じ京大病院で診てもらうことにした。なぜこちらにしたかというと、次男の付き添い入院を繰り返したおかげで、病棟内の施設などを把握できてたから(笑)知っている所なら安心じゃないけど、そんな感じ。あと、自宅からの通いやすさで。

そして、2013年12月に受診&MRI。見立ては府立医大と全く同じ。腫瘍は4センチ大になっていた。ガンマナイフは1センチ未満の腫瘍にしか使えない。開頭手術以外、選択はない。翌年2月に手術が決定した。主治医が執刀医に決まった。

自分至上最大の難関が迫っているというのに、その時の私の関心事は「次男は卒乳じゃなく、断乳になってしまうのが、すごく悲しい。」だった。ダウン症の次男は、生まれてすぐの哺乳力が大変弱く、授乳するのに大変苦労したのだ。ただ、次男を生む寸前まで、長男を夜間授乳していたので、私の乳首は柔らかさを保っていたのが功を奏した。人工乳首の方が楽に飲めるからという理由?で、ミルク哺乳に切り替えざるを得ない子もいる中(元々、ダウン症の子は身体の筋力が弱い子が多いと言われている。個人差あり)数か月後には母乳のみでOKになった。そんな経緯があるからこそ、無理やりやめさせるのでなく、自然に卒乳という形に持って行きたかったのだ。この気持ちも当時は誰にも話せなかったなあ・・・。

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「笑顔が人を幸せにする」が座右の銘。日々の記録・人生録・実証録。長女、長男、次男の3人の子どもたちとパピヨン2匹と生活しています。次男はT21のダウン症、次男を含むすべての人が生きやすい世の中になるよう、発信します。