映画はひとを狂わせる2

そう、前回書くのを忘れていたけれど、中学から高校にかけて、いまではあまり触れられることのないアメリカ映画も観ていた。好きだったのは、リバーフェニックスのジミー、さよならのキスもしてくれない。ロバートレッドフォードが監督した、普通の人々や、同じくロバートレッドフォード監督のブラッドピットのリバーランズスルーイット。ブラッドレンフロのマイフレンドフォーエバー。のちに、ミュージシャン、ブライトアイズが曲のなかでモチーフにしていた、自殺する青年やあるいは自殺され、取り残された少年や、家族、とりわけ父親との不和といった、当時のアメリカを写実した、決して派手ではない作品も、我が事のように観ていた。普通の人々は、原作、アメリカのありふれた朝も読んだ。顔のない天使というメルギブソンがたしか出ていたシリアスな映画も、原作まで読んだ。夏休みの推薦図書だったはずで、そこには、きみはこれから先、何からも誰からも自由になれるがきみ自身からは決して逃れられない、というような台詞があったのを覚えているし、ジミー、さよならのキスもしてくれないには、NOTHING IS BEYOND YOU.ということばが刻まれた場面をうろ覚えだけれど、覚えている。
そして、毎日が夏休みという日本映画。佐伯日菜子のかわいさといったら、もう!。

映画科への進学が決まったあと、新宿のマルイ地下にあったヴァージンメガストア…毎週のように行き、ブリットポップのシングルを集め、その後、紀伊國屋書店でハヤカワ書房などから出ていたゲイ文学を週に一冊だけ買い、さらにはエルヴェギベールにはまった時代でエルヴェギベールの写真集は初めて買った写真集であり、洋書であり、いまでも持っている。そこにはフーコーなどが写っていて、ヴィンセントというフォトグラフは大好きで、エルヴェギベールの代表作、ぼくの命を救ってくれなかった友へ、幻のイマージュもかなり読み込んだ…そしてヴァージンメガストアで、そのときVHSでビデオアーティストのセディベニングの、それは愛じゃないのvol.1、vol.2を、買ったのを覚えている。
それから大学時代の最初の頃には、ジャームッシュの初期三作、パーマネントバケーション、ストレンジャーザンパラダイス、ダウンバイローを買った。ここではないどこかを夢見ていた時期で、三年生の時に卒論に向けてはじまる、ある作家について研究し、その研究をレジュメで配りながら、喋り、みなで討論する授業があって、誰もが押し黙り膠着していたその授業で口火を切ったのも、僕の研究だった。それをのちにいわれたのは覚えている。またもや自画自賛!。だけれど確かに僕はきっかけにはなる。そして、いつかそこからいなくなる。

誰もが、トリュフォーになりたかったのではないか?といまなら思う。フランス映画のある種の傾向という評論文を上梓し、あらかたの映画作家をコテンパンにやっつけたあと、大傑作、大人は判ってくれないで華麗に映画作家になったトリュフォーに。

卒論を書く前に退学届を書いたのだけれど、その後、当時の学友に聞かれた。もし卒論を書いていたらテーマはなんだった?。僕はたぶん、映画内映画について書きたかったんだな、といまなら思う。映画に描かれる映画の舞台裏。トリュフォーのアメリカの夜やウディアレンのカイロの紫のばらが、とにかく大好きだった。結局、書けずじまいに終わる。そうしばらくはそんな論文をいずれ書きたいとどこかで思っていた。アサイヤスのイルマヴェップもその系譜で大好きな映画であり、アサイヤスも好きな作家だ。輸入版でしか観ることが叶わなかった…数年毎にときたまアテネフランセで上映される冷たい水は、言葉は分からないけれど輸入版で何度も観た。それが今度、日本版でDVDでリリースされる!。

ちなみに、当時の同期に、別の学科だけれど、SR サイタマノラッパーの監督、入江悠さんがいる。ゼミの友達もそこには出ていて、いまでも繋がりがある数少ない当時からの友達だったりもする。サイタマノラッパーからはじまる入江悠監督作品、本当に素晴らしい作品ばかりだと思う。
同時に不貞腐れて過ごしていた20代後半にずっと遊んでいた同級生の女の子が、ピンク映画に関わっていて、いまおかしんじさんと一度だけすれ違ったことがある。へんなおっさんと一緒にいたな!と彼女がのちにいわれたらしい。いまおかさんのたまものという作品は本当に大好きな映画で、いまでも好きなバンドのライブに初めて誘われていった先で、彼女たちがたまものというオリジナルの曲を演奏したときには驚いた。そのときライブハウスにはリンダリンダリンダで、先輩役を演じていたガラガラ声の女性もライブをしていたし、そのときの打ち上げではそのバンドのボーカリストと、ずっと映画のはなしをしていた。終わらない会話だった。たまもの、由美香、リンダリンダリンダにはじまって。彼女の作る歌が大好きで、本当によくライブに通った。水戸まで日帰りでライブを見に行ったりした。

そう彼女たちが、僕が大切な友達を亡くしたあとに、それを知らずにライブに来ない?って誘ってくれなければ。ベースの女の子のブログを読まなければ。
そう、生きることはそれでも奇跡に満ちている。それが奇跡と気付かないくらいには。

初めての恋人と、久しぶりのやりとりのなかで出てきた、青山真治監督の東京公園も大好きな映画になった。彼女に勧められたキツツキと雨はいま観たい。

それから、それから、学生時代を通じていちばん一緒に過ごした友達、本当にいろいろなことに詳しくて、映画から漫画や文学、例えば面白い本を教えてくれといえば、すぐにリストを作ってくれていた友達…カネッティやホッファー、道化と笏杖や迷宮としての世界といった本がすらすらと出てくる、いつか別れた友達が、響という漫画の編集者として賞をもらったと最近知って、心から喜んだ。

いよいよ、この本当に雑でおそらくは記憶違いなどもたくさんある雑文書きもとりあえず終わることにしよう。
そして、映画を見始めた頃の僕が見ていた夢は、いつか映画館を作ること。そして色々な、もちろん好きな映画だけでプログラムを組んで、ずっと映画を観て過ごすこと。
そんな風に夢を見ていた日々をいま思い出す。

初めて映画館に一人で行った日。買いたてのごわつく感じのする黒いジーパンに、母親に買って来てもらったネルシャツで、ニキビを気にしながらいた待合室。目の前の椅子に足を組んで座り、開演待ちのあいだに文庫本を読むメガネの女の子がいたこと。二本立ての2本目の映画の途中から、おしっこをずっと我慢していたこと。サントラに聴きたかった主題歌が入ってなかったこと。暑い初夏の日だった。鈍行列車に座れず、ずっと窓から見える大きな川を二時間は眺めていたこと。
そして、音楽がそうであるように、ずっと映画を観るひとでいよう、あの日、そう思った。

読んでくださった方がいらしたら嬉しいです。
本当にありがとうございます。
もっと文章、うまくなりたいな。
ではまた!。

#映画

#エッセイ

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