永遠なるもの

近況にかえて

note自体の更新は一時期に比べたら減ってしまっている。けれども、インスタグラムに(なぜだろうとは思うのだけれど)大量の文章を写真にくっつけて、あげていたりはする。自分のなかでは、noteはカチリとした(自分のなかでは)エッセイを書きたい、インスタグラムはもうちょっとだけラフに書いている。それからこのパソコンに元々入っている文書ソフトに、少しずついくつかの小説を書きはじめている。とはいえ仕事を変えたことで、やっぱり書くペースは落ちているかな。だから、風邪をひいて、お休みしているこの時間は少し参った。参ってばかりいるじゃないか?とも思うのだけれど。PCR検査を受けるために入った発熱外来のイメージする無菌室にも近い、無機質な医療用品が置かれているだけの白い部屋で、不安のなかで、突如として創作意欲が、というよりも書きたい!という意欲と、それからこの先どれだけの作品を僕は残せるのだろうか?時間はまだあるのだろうか?それともこのまま無名のまま、静けさのなかに沈んでいくんだろうか?と2時間ばかり、考えを巡らせていた。いまも風邪薬を服用してぼんやりとしたあたまでこの文章を書いている。時間がないことをいいわけにすれば、働かねば生活がさらにひどくすさむことをいいわけにすれば、体力がないことをいいわけにすれば…いいわけなどいくらでも思い付くくらいには、僕はエスケープの名人なので…もう少しだけやるべきこと、やらないこと、できること、できないこと、やりたいことを考えながら、仕事をしようと思う。それにしても書きたい欲求は物凄くあって、ではその書き続けるためにどうするかをもうちょっと考えながら、動けたらいいな、と思う。DJや音楽に関しても然り。ただ決定的なちがいは、DJや音楽は僕にとっては決してひとりで行うものではないということ。しかし書く行為は僕にとっては、ひとりで行うこと。孤独と共生の共存。聞こえがいいな。でもそれは事実だから。


時間を作っては相変わらず映画を観ている。いまはひと作品ごとにレビューをするだけの体力がないゆえ、印象に残った作品を上げていくに留めておく。マーティン・エデン、燃ゆる女の肖像(大傑作!!)、パリのどこかであなたと(愛すべき作品)、私をくいとめて(大傑作!!)、HONEY BOYとヒルビリー・エレジーは何らかの中毒者依存症またはそれにまつわるひとには響くと思う、星の子、さくら、それから公開は昨年だったはずだけれど今年はじめに観た、朝が来るの3作品は、家族についての問題を抱えている僕には、そしてそれを小説にしようとしているいまの僕には示唆に富んだ作品群だった。花束みたいな恋をしたももちろん素晴らしかったし、再度観たストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語にはやはり泣いてしまう。というよりもいまは凄く涙もろくなったものだなあと思う。すばらしき世界は、モアリズム・アントニオ佐々木の名前がエンドロールに出たところで何度目かの涙を。僕がDJでモアリズムについて回っていた時期、ブースでレコードをかける僕の側で煙草を吸うアントニオ佐々木を思い出す。懐かしくはない。ただ寂しくなっただけだ。それでも彼のいた時期のモアリズムを見ていたことはいずれか未来に自慢の種になることでしょう。やはりいまあげた作品はもう少し時間を取って細かくレビューしようと思ったいま現在。


昨年書いた小説はコンビニでコピーして10数人に渡した。感想は色々だった。それなりに批判(?)もあったけれど、最近、ようやく読んだという方が、絶賛してくれた。仔細に解説もしてくれた。それでまた書きたいにスイッチが入ったのだとも思う。もしもそれを読みたいという方がいらしたら、コメントいただけたらと思います。何らかの選考に出すつもりなので、ネットには上げないつもりです。


音楽でいえば、ずっとチルドレン・ミュージックというジャンルの音楽を聴いている。優しい子供たちのための歌。elizabeth mitchellからこのジャンルを聴きはじめた。それからalela dianeというシンガーソングライターの声にものすごく惹きつけられてずっと聴いている。いずれ環境を揃えて、またmixを作るので、ご期待ください。


相変わらず貧乏は貧乏で冴えない暮らし。でも、うん、いま分岐点にはいると思うのだけれど。まだそれは来ていない。別れも決定的な傑作も、まだ。いまはゆっくりと歩み続ける。僕もあなたもひとりだけれど、視線の高さが同じで、見ている風景も同じなら、くちびるにはことばがあふれるのでしょう。



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