そうやって音楽を選んでいる時がいちばん楽しそうに見える

もう3年も前になるのか、記録を手繰れば、facebookの記事に、この季節の記事が残ってる。ストロベリームーンという、なんだかきらめいていた夜。

僕はちょっとどうかと思うくらいには、ひととうまく喋れないひどい状態で、その時にもだけど、いつものバーでiPhoneを繋いでYOUTUBEから、音楽をかけていた。無我夢中で午前0時からお店が終わる朝5時まで。

それがDJと呼ばれるものだろうが、はたまたDJとは呼ばれないものだろうが、とにかくもうずっと熱中して、モダンなR&Bを中心に、スウィートなラブ・ソングをかけていた。リクエストされれば、なんでもかけたし、ミュージシャンの名前が上がればすぐに反応してかけてみる。ほとんどのひとが、そこで音楽をかけているのが僕だとは気付かなかったし、だけど音楽はそこの雰囲気を良くする作用を確かに果たしていた。

モダンなR&Bなんてほとんど、その時に横に居た女の子の影響で知った。babyfaceですら名前しか知らなかったし、The brand new heaviesや、Ne-YoにBruno mars、Tuxede、SOULUTIONS、Des’ree、好きだったはずのTLCの復活すら知らなかった。

彼女はまだ20歳だった。実際、恋愛なんてものではなかったと思う。3回、彼女の誕生日を祝った。それから1度だけ、友達が始めた和食のお店でランチをして、公園にビールを買い込んでいき(彼女がヒールだったからタクシーで)、彼女が公園にある小さなゴーカートに乗って、手を振ってくるのをゲラゲラ笑ったし、その日は、「ここがうちんちだから覚えといて」と彼女の自宅の外まで送った。それから雨が降り出したから、水色の傘を貰った。

JOEというミュージシャンがライブをするから二人で行こう、って約束は僕が行けなかった。その晩、彼女が興奮して、いつものバーに来て、「席がJOEの真ん前で、ハンカチを貰った」といった。二人で行った唯一のライブがbabyfaceで、二階席だったんだけど、babyfaceのコーラスの男性が、彼女にウィンクしているように見える。しかもライブが終わって彼がはけて、彼女の席に近づき、「ずっと目が合ってたね」とまたウィンクした。incognitoの時は、彼女がドタキャンした。残り二枚だったチケットを買ったよ、っていったら、「さすがだね」といっていたのに。incognitoのライブの一部が終わり、二部が始まる前、席に座る僕の肩を急に揉まれた。それが彼だった。それを後日、彼女に伝えたら、やっぱり「さすがだね」と笑った。

だけれど、彼女はそのストロベリームーンの日、彼女を挟んで向こうにいる男性と付き合い始める。30歳近くは離れていたんだっけ?。僕はただ、ひたすら画面と、それからスピーカーから流れる音に熱狂していた。「そうやって音楽を選んでいる時がいちばん楽しそうに見える」彼女がぼそっと呟く。ONE OK ROCKの「WHEREVER YOU ARE」を朝が来るタイミングでかける。「これ…」彼女は僕を見て、泣く。彼はそれに気づいていないまま。

それから2か月して、不意にお店で彼女に会う。彼の愚痴を聞く。だけど、彼のために別れられないと、彼の面目のために、と彼女はいう。「あれ、そんなにださかったっけ?」と僕はいうことになる。それは彼女が久しぶりにDJをすると喜んでいたはずなのに、「元彼が出るからあたしは遠慮しな、って周りにいわれた」と聞いた時にも同じことをいうことになる。「いまから別れてくるからじゃあここで待ってて」と彼女はいってから、二時間後に「別れてきた」といった。それでも二人の感情が交わるには、僕は臆病すぎたし、彼女はまだ子供だった。

最後に会った時より、その前に彼女がそのお店にふらりと入って来た時、顔色でしんどそうだな、と思った。耳が聴こえなくなっていく病だってのも聞いていた。DJが、いや音楽が好きで、それが毎日の自分の真ん中にあるひとが、聴力を奪われていくこと。だから僕は彼女に歌を作った。彼女が聴いたかどうかは知らない。「例えば君が音を見失ったら、僕は君の音になろう」「例えば君が音楽を見失ったら、僕は君の音楽になるだろう」「例えば君が太陽を見失ったとしたら、僕が君の太陽になろう」稚拙な歌。それからしばらくして僕も難聴になる。それでも情熱は、少なくとも僕の中ではまだ消えていないし、彼女と最後に会った時には、大人になった笑顔の彼女を見て、少し安心した。

「そうやって音楽を選んでいる時がいちばん楽しそうに見える」

それはきっとずっと僕が抱えていく言葉。例えば僕がいつか聴力をまるっきり失っても、きっと音楽にかける情熱を刺激する記憶のひとかけら。

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