子供みたいな寝顔だな

大学生活も三年目に入っていた。僕は僕自身の困難を抱えていて、どんどんと暗くなっていった。授業中にパニック発作が出ることが増えていき、狭い教室の、風の吹かない閉めっぱなしの窓から見える、外に逃げ出す自分と、その教室の中で卒倒する自分を想像して、冷や汗が止まらなくなり、誰のことばも耳をすり抜けていき、自分が発する声や身体そのものが現実から少しだけ重力を失っていく。
サークルで新歓がはじまり、同期の部長に、Gは毎回、飲み会に来てくれと頼まれた。お酒の弱い僕は、女の子の後輩が、勝負しましょう!と、安い居酒屋さんのおんぼろの机の上にドンと置かれたビールの瓶や、ときには呆れるくらいに大きなピッチャーを一気に二人で呑んでは、さらに別の女の子の後輩がまた、勝負しましょう!と、ドンと置くビール瓶を一気して、かならず潰れて、始発まで寝ていた。ときには、生中のビールジョッキにまるごとバーボンを注がれ、一気したその瞬間に、世界がぐるぐると回り続けて、パタンと自分の視線が斜めに崩れていき、そのまま暗闇のなかに吸い込まれもした。だけれどパニック発作を誤魔化すためには、一口のお酒は必需になっていた。

三年に上がる前の春の合宿で、僕ががなるだけのバンドを組んだ。二年のとき、朝まで誰かの家に集まって呑んでは、ミッシェルガンエレファントのVHSをかけたりしながら、朝までいまはもう覚えていないたくさんの会話を交わし、そしてミッシェルの真似を男の子たちがこぞってしていた。気が向いたときには、授業が終わったあとや、宅飲みの最中でもそこから抜け出して、スタジオに入り、やっぱりミッシェルやニルヴァーナの曲で遊んでいた。そんな仲間内で、合宿のバンドを組むことになる。ドラムには同級生の女の子を誘った。ギターふたり、ベース、ドラムと僕で、ミッシェルのコピーバンドを組んだ。歌えない僕にあわせてがなる曲を選び、三曲だけのコピーバンド。MCはロックンロール!だけ。僕は演奏の合間にミッシェルのボーカル、チバ君がやるようにマイクスタンドをリズムに合わせて叩き、マイクを持ってはチバ君がやるようなスカした踊りを真似した。ギタリストはギターをアベ君のようにマシンガンのように客席に向け、ときにはギターを頭上に掲げたり、背面弾きや歯で弾き、ベーシストはウエノ君のように入場するときに両手で客席を煽り、ベースを弾くときにベースを脇に抱えて腰を振る。ドラムの女の子だけがクールに太いビートを叩いていた。

歌いはじめたきっかけがある。二年の学祭のリハーサルで、G、ひといないからボーカルマイクで適当にバンドにあわせて声を出してよ、PAが僕に頼む。リハーサルバンドで鳴らされる3つくらいしかコードのない曲。三年生の先輩が、ステージと真反対に向き合う黒板に、Gは微妙だ、などと白いチョークでことばを綴っていく。僕は曲に、そのことばを乗せていく。ライブ会場に似せて作った教室にいる何人かの仲間の、驚いた顔を覚えてる。もちろん歌詞の内容、先輩がどんどんと僕のプライベートを黒板に書いていくものだから、それを自分で歌い暴露していく僕を、手を叩いて笑いながら見ている仲間たちの顔も覚えてる。
あの瞬間、カラオケすらまともに歌えない僕は、いくつかのセッションバンドでボーカルに誘われるようになる。ボーカルといっても、コードさえ拾えない僕は、歌の合間にステージの床でスネアをひたすら連打し、スネアを壊す気か?とPAに怒られたり、赤い褌一枚でパンクを歌って、引かれたりした。

意外と、ミッシェルのコピーバンドは好評で、新歓からその後の12月の引退ライブまで、組み続けた。
そう、僕がRさんをはじめて見た、バンドをやるって考えがあるんだな、と気付いた、あの講堂で、今度は僕が歌う番が回って来た。
たくさんの新入生のなかで、僕はあのとき見ていた、ラモーンズの電撃バップをやった。それからルースターズの恋をしようよや、クラッシュのアイフォウトザロウを歌った。下手っぴぃな歌った。

後輩が入ってくると、特に女の子は必ずまず僕にお酒の勝負を挑み、それから敬語からタメ口に変えていく。ときには、舌を出せよ?といくつも年下の女の子にいわれた。出した舌に彼女は、煙草の火を押し付けてきた。変なところで引けない僕は、彼女が飽きるまで、いくつかの根性焼きを舌に作った。一回、そこにいた男の子たちが全裸になって呑みはじめ、Gも脱げ!と部長にいわれた。下着を脱ごうとすると、Jが慌てて飛んで来た。あんたが脱いじゃうと、後輩の女の子たちが泣くと思うから、あんたは脱がないで。よく分からなかったけれど、パンツ一枚で呑んだ。
とはいえ、基本的には僕は飲み会の隅っこで、入学したての、東京にもきたての女の子たちと、他愛のないはなしをしていた。一気がはじまるまでは静かに飲んで、勧誘することも特にはしなかった。

ミッシェルのコピーバンドは、わりと好評で、モッズスーツも買えない僕らは、礼服に黒いネクタイでライブをしていた。
組んだあと、サンプラーを取り入れた。テルミンを買って使った。ミッシェルのコピーバンドから脱して、サンプラーの入ったガレージバンドになった。マッドハニーの曲をファンクにアレンジしてライブに出した。MCは、当時聴いていたtha blue herbのレーベルコンピに入っているライブでのボスのMCを真似したり、歌の合間には、バスドラにずっと客席に背を向けて、立っていたりした。

6月のある晩、一年生の後輩ふたりに居酒屋さんに呼び出された。背が高くイケメンの男の子が、背の低い、耳の軟骨にいくつもピアスをしているかわいい女の子が、Gさんと呑みたいっていってると呼び出された。Gさんに告られたら付き合います、なんていわれた僕は上気して帰路につく。翌日、そのふたりが付き合いはじめたのを知っても、凄いな!大人だな!都会だな!と思った。

夏の合宿に行ったとき。僕はずっとBガール系の後輩の一年生と遊んでいた。気付けばサークルに入ってきていて、GO!GO!7188のコピーバンドで、ドラムを叩いていた。声がでかくてうるさいやつ、って最初の印象だった。だけど、ロックかJ-POPの話題しか出ないそのサークルで、ヒップホップのはなしが出来る唯一の子だった。ジュラシック5のはなしから、仲良くなった。彼女はターンテーブルさえ持っていた。暇なときは、合宿でどちらかがスタジオに入っていないときには、彼女といた。彼女といると、不思議とひとが集まってくる。ホテルの廊下の隅でふたりではなしていると、何人かがそれを見かけて、そこに加わってくる。ゲラゲラとくだらないはなしをしながら笑う。それでも気付いたら、またふたりでいて、彼女は両膝を立てて、頬杖をついて、寝はじめた。窓からは夏の光が差し込み、光も影も彼女の静かな寝顔やからだを優しくうつす。僕はただずっと、彼女が起きるまで、子供みたいな寝顔だな、と思いながら、優しい顔で目を閉じている彼女を見ていた。
合宿でそれぞれに割り振られた部屋では、たくさんのカップルが、ベッドで添い寝や、それ以上のことをしていた。そんなはなしが瞬時に話題になる。僕は彼女と、ラジカセでスピッツのジュテーム?やハートが帰らないを聴きながら、しんみりするね、なんてはなしてた。どちらがきっかけかは忘れたけれど、俺たちもためしに同じベッドで寝てみる?と思いつき、いつもなら思い切り顔をしかめて、ハア?と拒絶しているはずの、彼女がさきにベッドに寝転がり、僕がそこに潜り込んだ。はじめて腕まくらってものをしてみた。布団をかぶって。布団の隙間から僕を見る彼女の視線を覚えてる。しばらくして、僕は彼女に聞く。ドキドキする?しない!俺も!。ゲラゲラとまた笑い出して、腕まくらって腕、痺れる!とまた笑う。髪の毛がかゆい!とふたりでゲラゲラと笑って、ベッドを出た。
バンドはスタジオで、オリジナルの曲を作りはじめていた。ジャジィーなドラムに、スクラッチめいたノイズを出すギター。歌詞をはじめて書くことになり、困った僕は彼女とふたりで、しばらく部屋にこもって、一緒に考えてもらう。できたのが、夕暮れコーヒーってタイトルのもの。
ソファーで、ふたりでやっぱり向かい合ってはなしたとき。彼女が尋ねた。ねぇ?Tさんを好きだってほんと?。Tちゃんは一学年後輩の子だった。仲は良かった。前の年の学祭、仕込みの帰り、一緒に地元に帰るとき、Tちゃんが、G!と電車の外を指差した。閉まり、動き出す窓から、僕に手を振る初恋のおひぃさまがいた。もちろん、僕がTを好きだって噂が流れているのは知っていた。Tが僕に興味ないのも知っていた。僕はその子にだけは話しておこうと思った。ね、あの子を、Tちゃんを好きだってことにしといたら、誰とも付き合わずにすむ。唯一の真剣な顔で彼女は、それを聞いた。少しだけ分かる、といった。
合宿の発表会で、僕たちのバンドと彼女たちのバンドは同じ曲をやった。彼女たちのスタジオから聴こえるその曲を、僕以外のメンバーが、オリジナルに混ぜようといった。そんなの彼女たちに悪い、僕は反対し、それでもメンバーは歌だけなしに、印象的なフレーズを引用して演奏した。ライブ後、僕にはわりとたくさんの後輩が、かっこよかった!と感想をいいにくるようになる。そのときは彼女も、それまでは僕のバンドについて感想さえ、言わなかった彼女が、かっこよくて悔しかったといった。お前らのほうがかっこよかったよ、拙く呟いて、心でごめん、と呟いた。
その晩、花火やプールに飛び込む打ち上げ。
僕は遠巻きにみんなを見てた。Gさんに告られたら付き合います、といった子に、ひとりでいる僕に近づいてきて、一緒に写真を撮ってくださいといった。一緒に写真を撮りながら、人気者になっていた、彼女が騒ぎながら、携帯や財布をズボンから出して、プールに落とされるのを見ていた。

秋になり、また学祭の時期になると、僕たちのバンドは、エレクトロニカやヒップホップやシューゲイザーやガレージやパンクをごちゃ混ぜにしてライブをしていた。流石にアタリティーンエイジライオットとダブを混ぜてやりたい、というアイデアは却下されたけれど。スーツを着たまま。礼服のまま。サークルでは部長の組むロカビリーバンドと二分する人気があって、ほかの部活や、たまたま見にきていた高校生のファンができた。彼女がバンドのドラマーと僕がライブ終わりに、話しかけてきた。ライブ全部見ます!ライブハウスではやんないんですか?来年、受験だから、必ず後輩になります。
ライブ終わりにサウンドチェックで、PAにドラムを叩いてくださいと頼まれた。PAと、Bガール系の彼女しかそこにはいなかった。気分転換に久しぶりにドラムを叩いた。バスドラ。スネア。タム。ハイハット。シンバル。ライド。組み合わせでください。
しばらく叩いて、サウンドチェックが終わると、彼女が、意外と叩けんじゃん?と笑った。

引退最後のライブの日。もう人前で歌うこともしないだろうな、と思った。サークルでははじめて使わせて貰う大きなライブハウス。もうこんなにたくさんの人前に出ることもないだろうな、と。彼女たちのライブのあと、僕たちはステージに向かった。秋になって、ひとりで生きる決意、みたいに金髪にした僕は、いつものように礼服で、いつものようにスイッチを入れて、そうすると視界がぼやけ、からだが熱狂していくのがわかる。がなるだけ。たまにあるだめなときは冷えていくからだとフロアは、そのときはいつものように熱狂し、いちばんさきにステージからはけた。本当は、MCでビートルズのキャリーザットウェイトを引用するつもりが、完全に飛んで、いつものように、MCもなく、歌のパートが終わると真っ先にステージを降りた。

打ち上げで誰と何をはなしたかなんて全く覚えてない。学校をやめるつもりだった、部長と僕は別れ際、酔いを覚ます缶コーヒーを飲みながら、これからだな、といった。ようやくこれからがあるんだ、と。泣いてる同期や後輩を見ていた。僕は感情的にすらならなかった。ずっと、楽しく煌めいていた日々のなかで、どこかでこれはいつか、終わり、離ればなれになる、ずっとそう思っていた頃の方が、別れより、寂しかった。別れがいざ、来たら、ただ冬の冷気に、背筋が伸びた。

その後、たまに同期を中心に飲み会があった。後輩のライブは開場から、最後まで全部見た。Bガール系の彼女は、やめるんだろうな、と思っていたけれど、引退までの三年間、サークルにいた。
僕がクラブDJをはじめて、最初にお店の人に無理矢理させられたイベントで、彼女にDJをして貰う予定をドタキャンされた。
最後にいつ話したかも、会ったかもいまではよみがえりやしない。

たくさんの友達がいた。女の子ふたりに、僕で遊ぶグループにもいたし、たくさんの後輩と遊んだ。大学をやめたあとも。25歳で、倒れるまで。そこからひとりぼっちになるまで。たくさんの後輩や友達がいて、でも初恋のおひぃさま以外で、もしずっと大切に思っているあの頃の仲間がいるとしたら、いまもふと気にかけている仲間がいるとしたら、それは彼女がいちばんに出てくる。彼女は何年か前に、学んでいたことを仕事にした。それは僕の耳にも届いている。元気なんだな、と思う。誇らしく思う。そしていつか、僕も活躍が彼女に届けばな、と思う。恋や親友なんかではなかったけれど、彼女の記憶は、いまも僕を奮い立たせる。

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