本を読む、音を聴くー未完成6

運命が変わる瞬間てのはいつも一瞬で、あっという間だ。

太陽が昇り、風が吹く。太陽へ向かって歩き出す僕に追い風が吹く。

もしくはまた、ぎりぎりのところで生かされている。破綻はするけれども、終わりではない。

ある方に、あなたを許してないのは、あなたなんだよ、と真剣にいわれた瞬間に泣きそうになる。

あるいは自宅待機が解かれた晩、久しぶりに会った介護の大先輩に、真摯な目で見つめられて、2時間くらいかな?、会話を交わした。

二人とも、介護の現場の現状について相当に詳しく、やはり同じことをいっていた。介護には、決して答えはない、ということ。だから、僕は介護に合っている、とも。深く、有難いはなしだった。

そして僕はまた介護の現場に向かう。そう、まだまだ始まったばかり。

ようやく動き出した瞬間に、やはり風は追い風になる。

僕自身が、太陽だってことをすっかり忘れていた。

いくつかのできなかった作業をようやくして、出せなかった手紙を出す。電話やメールのやりとりでなんとか、今回もぎりぎりのところで命拾いする。

初めて精神科で診察を受けてからしばらく通っていた病院のお医者さんに、きみは大丈夫だよ、といわれた。大丈夫な時も、もう本当に死にかけたこともあった。ふと思い出した。

またある晩には、事業を興している友達が話していた。新しい事業を興すにはいまがチャンスだと。それって、と僕はいう。まさに文化もそうなんだよね、と。いまの時期だからってわけじゃなくてさ、藝術家だってさ、潰れ、消えていくのはいつものことわりで、そのなかから自分の音や歌や絵や映像やことばを発していくのに、逆説的にいまの時期こそ、新しい音や歌や絵や映像やことばを発するチャンスなんだよね、って。もちろん、潰れて、消えていく作家にロマンを感じるのも、潰れて、消えていく自分がもう一度歌いだす、何度だって歌いだす瞬間の、自力で這い上がってきたものたちの凄みも、僕は見ている。だからやめられないんだよなぁと思う。さらにそのオールドスクールを食い破っていく若き力を間近で見ている。抜け道を探す、オールドスクールである僕は、チャンスは願っている時ではなく、ふいに訪れるものだから、やはり日々技を磨く。営みが、暮らしが、日々が、一瞬に出てしまうものだから。そんなはなしを交わしながら、一杯だけ呑ませて貰ったウィスキーは美味しかった。いま基本的にお酒は呑まないことにしているから尚更。気付けば3時間は過ぎていた二人の会話。

そしてまた今日も、ずっと大切に思っている女の子から突然のメッセージが届く。そう、いままさに僕がまた始めようとしている。始まろうとしている。縁はたとえ一瞬切れたとしても、生きてる限り、死んだ後でもかな?、どこかでまた会える。あなたがふいに僕を思い出してくれたことがただ、嬉しい。音の間で出会いと別れをくりかえしながら、歌だけはよどみなく流れていく。また太陽が昇り出すその瞬間。風が追い風になる。太陽に向かって歩き出す。歩いていく。すべては過程だ。行こう!。

#日記

#エッセイ



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