音の中だけが自分の居場所

久しぶりに(それはもう本当に久しぶりで、約20年振りになるだろうか)、
通勤中にヘッドフォンをしている。
ちょっとだけ、外の世界のノイズを遮断したい。
それで辿り着いた、YouTubeでのAndrew Weatherall live @
303 Liverpool Bithday という4時間半の動画を、携帯をポケットに入れて、
音を少しだけ大きくしたり、小さくしたり、左手で調整しながら、
先週、聴き終えた。
小さな雨音と、アンビエント・チックな始まりがマッチして
(とはいえ、僕のヘッドフォンではやっぱりベースやキックがうまく
拾えないから、ボトムが実際にアンビエントだったかは分からない)、
これが僕がウェザオールに求めていたDJだと、勝手に思った。
CDで彼のmixは何枚か持っていたはずだし、だけれど、
TWO LONE SWODSMENや、THE SABRES OF PARADISEのような、
彼の作るトラックほどは聴いていなかった。
彼はもういないけれど、暗闇の中で聴く太いリズムが、
それから煙草の染み付いた、お酒でベトベトのフロアを恋しく思う。

永遠も半ばをとうに過ぎて、記憶力さえ低下しているけれど、
それからは久しぶりにエレクトロニカばかり聴いている。
apparat、Ellen Allien、ファナ・モリーナ(いまは綴りも思い出せない)の
segundo、モノ・フォンタナのCiruelo、Wunder、Kim HiorthØy、フェネスに、jan jelinek…。

夜の、それも窓があるお店でDJをするのが好きだ(った、とでも書くべきだろうか)。青い外灯、あるいは黄色い灯り、行き交う車がフロアを少しだけ照らして、窓の外に目をやれば、あるのは(ある時は)ポツンとした誰もいない公園だったり、(ある時には)ビル群が遠くに見える夜景。
確かにあの時は、そこがどこであれ、世界と切り離された場所で、
音をかけていた。星や月さえ消えた夜。

「今日の選曲はめちゃくちゃラグジュアリーですね」と駆け寄って来た友達が僕に言う。それははっきりと覚えている。ラグジュアリー?お洒落ってことかな、と思う。それから「もしよければ一緒に写真を撮ってもらえますか」女のひとが僕に言う。イルリメが歌い出す。
「たそがれ時にふと思った
年を取ったと感じたこと
あしたになればすっかり
忘れていくんだろう」
僕は彼の歌をかけながら、白い壁が車のヘッドライトで浮かんでは消えていくさまを見ている。

昼下がり、例えば僕はランチタイムにDJをしている。
やっぱりそこも窓が大きくて、外が見える。
空がどんどんと顔色を変えていくのを見ているし、
小さなフロアではサルサに合わせて踊り出す3歳の少年を見ている。
彼は彼の大きな友達が彼に持ってきたボンゴを必死で叩いている。
小学生くらいの男の子がブースに入ってきて、
僕のレコードを触って、触るとスピーカーから流れている音が
変わるものだから、逆回転や、早回しに一瞬だけ夢中になって、
すぐに飽きて外に飛び出していく。

DJが終わると、僕は片づけをはじめる前に、煙草に火をつける。
狭い喫煙所で。

どんどんといろんなことを忘れていくけれど、
いまじゃもう思い出そうとしてもきっと二度と立ち返れない場所もあるだろうけれど、
いまでも音の中だけが僕の居場所で、
音の中だけが記憶の在り処。



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